第六話
『ステージ1クリア』
ぼんやりとした意識の中、聞こえてきた機械音声。
もしかして、夢だろうか。思いながら、目を開けば先ほどまでの煙はかなり薄れていて。
「……え?」
自分の右手がやけに熱いと思えば、そこには見慣れない男の掌が包み込むように俺の手を握りしめていた。
幻覚じゃ……ない?
咄嗟に起き上がろうと頭を上げれば、すぐ背後にいたそいつにぶつかる。
「おい、いきなり動くな!」
聞こえてきた怒声に振り返れば、そこにはやはり見慣れない男がいた。
幻覚でも幻聴でもない。
「お前、誰だよ……」
鋭い目、青みがかった黒髪。崩した制服はここらへんの学校のものではないのだろう。見たことのないもので。
そもそも、いつの間にここにいたんだ。ここはあの扉を通らなければ入れないはずだ。
次第に鮮明になる頭の中、次々と湧き上がる疑問に思考回路はパンク寸前に陥る。
「お前……俺のこと、覚えてないのか?」
「あ?」
「……まあ、別にいい」
よくないだろ。けど、記憶にないのは確かだ。
「というか……お前がしてくれたのか?」
「ああ、これか?……そうだな、巻き添えくらって殺されるのは御免だからな」
「な……ッ」
「こういうのなら、昔よくやってたからあんたよりは慣れてると思う」
刺々しさのなくストレートな分、余計プライドが傷付けれるが内心やつの言葉に安堵する自分がいた。
俺だって練習すれば出来るようになるはずだが、今練習してる暇はない。情けないが、慣れてるやつに任せとくのがいいとしか思えない。それが余計、ムカつく。
「ちょっと……待てよ」
「なんだ。プレイ前はあまり話し掛けられると困る。気が散るから」
「お前、名前は?」
「……」
「おい……」
「……陣屋」
そうぽつりと呟いた無愛想男。
「じん……や……?お前、陣屋達海か?!」
その口から出た言葉に、頭の奥、忘れかけていた記憶が一気に溢れ出す。
有り得ない、陣屋がここにいるはずがない。けれど、無言で画面を眺めるその横顔には確かに、あいつの面影があった。
陣屋は変なやつだった。
いつも黙ってて、大人しいというよりも無関心というべきか。ノリも悪いどころか話そうともしない陣屋は度々学校をサボってはゲームセンターに詰めている、と誰は言っていた。
そんな陣屋がゲーム得意なのは納得できたが、いまここに陣屋がいることはおかしい。
だって、
「お前、死んだんじゃなかったのか…っ?」
中学を卒業し、他のやつらとバラバラになった。
勿論、陣屋もその内の一人だ。しかしその数ヶ月後、周子達がそんなことを話していたのを聞いた覚えがある。
死因は、交通事故。
どっかの病院に運ばれて、そのまま死んだ。そう聞いていたが……。
「確かに、死にかけた。…けど、勝手に殺される筋合いはない」
「お前、本当に陣屋なんだよな」
「疑いたければ疑え。俺が何を言ったところで信じないんだろ、アンタは」
「……」
陣屋が喋るイメージもないから、目の前の男が陣屋と俄信じられない。
けれど、男がいうことも最もだ。俺は何を言われたところで疑う。
けれど、この男が陣屋であろうがなかろうが、今は目の前のゲームをクリアしてもらわなければならない。
「そうだな……無駄なことは聞かない」
陣屋は「おせえよ」とだけ呟く。
「あと、その手離してくんねえ?邪魔なんだよ」
お前が握ってるんだろと言い返しそうに鳴るのを寸でで堪え、俺はやつの手を振り払うようにグリップから手を離した。
「チッ、ステージクリアしても残機は回復しないのか…」
「……」
「はぁ……クソ……」
「悪かったな!クソで!」
「別にアンタには言ってない。独り言だ」
人に聞こえるようにご丁寧に馬鹿でかい溜め息まで吐いてよく言う。
陣屋と交代し、椅子に腰を掛けた陣屋はコントローラーを握り締める。その後ろ姿を眺めている俺。
記憶の中の陣屋よりも、当たり前だが目の前の陣屋は遥かに背中も縦も大きくなっている。
斜め前の席。いつも陣屋は背中を丸めて机にガリガリ何かを彫っていた。当時の印象は、得体の知れないやつ。恐らく、いまでもそれは払拭されないだろう。
「しかし本当に、ただのシューティングみたいだな」
「いけそうか?」
「当たり前だ。すぐに終わる」
そう、ほんの一瞬。
確かに陣屋が笑った気配がした。
「あっそ、じゃ、そっちは任せたぞ」
もともとこういう低俗な遊びは俺の担当外だ。
目が痛くなるようなエフェクトでチカチカ光る画面から離れ、俺はこの機体内部を調べることにした。
ルールについてはゲームクリアがメインなのだろうが、それでも1つでも脱出の手掛かりを見付けておくべきだろう。
別に、いきなり現れたやつに全部取り上げられては手持ち無沙汰になってボケッとしているのが嫌だってわけではない。…断じて違う。
それほど広くはない室内、適当な物置部屋を改造して作ったのだろう。
精密な機械はゲーム画面が表示されるモニターとその周辺機器ぐらいで、その他はよく見ると壁紙だったりプラスチックをはめ込んでSFの世界観を作ってるだけのようだ。
気になるものと言えば、天井に取り付けられた無骨な機械。残機が減った時、赤く点滅するランプと謎の煙を放出する通気口か。
もしかしたら、と網が張られた通気口に手を伸ばすがやはり頑丈にできていて、到底外れそうにない。
あとは、やはりあの扉か。エレベーターに直接繋がっているその締め切られた扉に機体を呼び出すための操作盤は見当たらない。
ということは、現時点で俺達が逃げ出す扉はないということだ。
ゲームをクリアしたことによってなんらかのカラクリが作動する仕組みなのだろうが、なんとかそれが検討つけばもしかしたら先手打つことも出来るのではないか。
「おい、陣屋」
「…なんだ」
「てめえ、今までどこにいたんだよ。どうやって入ってきたんだよ」
「……」
「おい」
無視かよ、と舌打ちしたとき。
「俺がここに来た時、プレイヤーが揃わなかったため起動しなかった」
「閉じ込められたのか?」
「そうだな、やること無かったから適当にここ調べてたら、この椅子、動かしたら地下に繋がってる」
「地下……?」
なんでそんな大切なこと黙ってたんだよ。
呆れる俺に構わず陣屋はマイペースにハンドルを操り、続ける。
「そんな大層なものじゃないが、恐らく入口に続いてるんだろうな。扉で封鎖されてたから諦めて戻ってきて……寝てた」
「寝てたって、お前」
「もういいだろ、お喋りは」
ガチャリと音が響く。
どういう意味かと耳を疑った時、いきなり部屋のランプが点滅し始めた。
今度は黄色だ。黄色に点滅するランプに、先程まで仏頂面だった陣屋の表情に汗が滲む。
「ここからは、あまり話し掛けるなよ」
「おい、何やってんだよ……!」
焦ってプレイ画面を覗き込めば、色とりどりのエフェクトが画面を埋め尽くしていて。
一瞬わけがわからなかったが、それは全部敵の攻撃のようだ。
「…馬鹿みたいな弾幕打ち込みやがって」
陣屋の表情が歪む。
ギリギリのところで攻撃を避けているようだが、どんどん増えていくその敵の弾からして殺しに掛かってきているのは一目瞭然だ。
「おい、何ボケッとしてるんだよ」
どうすることもできず突っ立っていると、突然陣屋に怒鳴られる。
「…っは?」
「通話だ、外のプレイヤーに繋げろ」
「他のって…」
「誰でもいい、早くしろ」
なんで俺が命令されなくてはならないのか。
ムカついたが、そんな場合ではない。言われるがまま俺は通話の表示に指を伸ばし、迷った末『ALL』の文字に触れた。
『宰様!!』
まず、一番に飛び込んできたのは陽太の声だった。
『宰様、大丈夫ですか?ずっと応答がなかったので、僕、もう、どうしたのかと思って…』
「……っ」
『宰様、声を聞かせて下さい、お願いします、宰様』
陣屋に目配せすれば、やつは【状況を聞け】と小さく口を動かした。
ムカつくが、無視して犬死には御免だ。
「…陽太」
『宰様、よかった…』
「そっちはどうだ?」
『こっちは順調ですよ、って言いたいところなんですけど、いま二面なんですが少し、残機が心許ない感じで』
二面というのはさっき陣屋がクリアしたステージのことだろうか、最早どれがどう違うのか分からない。
どちらにせよ、こちらから助けようがない。
「そういや、進藤は?」
真っ先に応答してくれると思っていたあいつの反応がない。
そのことが妙に突っ掛かり、陽太に尋ねてみれば。
『進藤篤紀ですか?そういやさっきから黙ってるままですね、でも放っといていいですよ、あんなやつ。それより僕、コツを見付けたんですけど――』
進藤が応答しない?
その言葉に、胸の中に出来たもやもやは確かな違和感として膨らむ。
「おい、進藤!聞こえてんだろうが!返事しろ!」
「…」
「進藤!」
ALLの文字を何度も押し、マイクに向かって声を上げるが無反応。
「…嫌な予感がする」
陣屋がぽつりと呟いた。
そんなもの、こんな場所に閉じ込められた時からしっばなしだ。
仕方ないこうなったら。
『宰様、今、なんか他の男の声が…』
陽太を無視し、No.1の文字に触れる。
No.3は陽太に直接繋がった、だとしたら。
「進藤!」
ALLから個人通信に切り替わったのを確認し、名前を呼ぶ。
しかし、
『No.1はただ今通話出来ません』
どこからともなく聞こえてきた無機質な音声に、俺と陣屋は顔を見合わせた。
まさか。胸の奥が一斉にざわつき始める。
まさか。
「…っ陣屋」
「通信を切れ……お前の手、邪魔なんだよ」
「なんだとっ?」
「…………」
こんな状況でまだ言うつもりかと睨み付ける。
けれど、陣屋も陣屋で先程までの余裕はなくて。
無言で画面を睨み付けるその横顔に何も言えなくなる。
「チッ…」
何やってんだよ、進藤の野郎は。
収まらないイラつきに近くにあった機体を蹴り上げる。
その時だった。
「おい!バカが!」
陣屋の怒鳴り声に振り返った瞬間、けたたましく鳴り響くブザー。
赤く点滅し始める部屋の照明に明らかにやばいことになってることに気付く。
「っ、な……!」
椅子が動き出し、椅子の肘置き部分、音もなく現れた鉄製の枷が陣屋の手を拘束する。レバーから離れる陣屋の手。
それだけではない。背もたれ部分が動き、手枷同様現れた首輪が陣屋の首を拘束する。
文字通り、無理矢理椅子に固定された陣屋はレバーを掴むことすら出来る筈がなく。
「な…んだよ、これ……っ」
「だから言っただろうが…っ、バカが…!」
こればかりは何も言い返すことができなかった。
「っ、くそ、外れねえ…!」
「んなの見たら分かるだろうが!バカかッ!」
「な…っ」
「それより、コントローラーを握れ!早く!」
陣屋に急かされ、咄嗟に俺はグリップを手に取った。
ディスプレイに表示される『GAME RESTART』の文字。
何も考えていなかったが、そうか、こうして陣屋の腕が使えなくなってしまったということは。
「絶対、しくじんなよ……」
背後から聞こえてくる恨めしそうな奴の声に、汗が滲む。
陣屋がいないとなれば、俺しかプレイができないということだ。
最悪の事態に、今回ばかりは数分前の自分を恨まずにはいられなかった。
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