第一話
「ああ――宰様、大丈夫ですか?」
いつもと変わらない、ヘラヘラとした間抜けな笑みが今だけは余計腹立たしく思えた。
「…おい、何やってんだよ」
「何って、実験ですよ。……だよなぁ?木賀島」
「……」
後ろ手に縛られた木賀島は何も答えない。
それどころか、俺の姿を見るなりいつもと変わらない笑みを浮かべる。
「宰、どこ行ってたの〜?俺を置いていくなんて酷いじゃーん」
「おい、気安く宰様の名前を呼ぶんじゃねえッ!」
目の色を変えた陽太は手に持っていた鉄板プレートを振り上げる。
「おいッ、やめろ馬鹿が!」
その動作に驚き、咄嗟に陽太の腕にしがみついた時。
びくりと陽太は動きを止める。
そして、
「ど……どうして止めるんですか、宰様……ッ」
怯えたように、瞳をじわりと潤ませる陽太。
……ああ、また始まった。
思いながらも、「いいからやめろ」と俺は陽太の手から鉄板プレートを取り上げた。
上に置いてあったはずの肉がないことが気になったが、どうやら別の皿に移していただけのようで安堵する。
が、問題はそこではない。
昔から、陽太は他の人間に比べてやや情緒が不安定なところがあった。
すぐ泣くし笑ったかと思えば怒ってまた泣く。
ころころ表情が代わり、分かり易い分ましなのかもしれないがやや扱い方が面倒で。
「だってこの身の程知らず、立場も弁えずに宰様を傷付けたんですよッ!罰を与えるべきではないですか!?」
「…旭君、君の言いたいことは解るけど少し落ち着きなよ」
呆れたように周子は宥める。
皆、陽太の性格はある程度把握しているだろうがやはり、馬鹿真面目な周子かりしてみれば陽太の言動は目を細めるものがあるようだ。
「旭陽太。貴方は少し冷静になるべきではありませんか。それでは貴方がただ私怨に走っているように捉え間違えても仕方かまない」
不意に、先程まで傍観に徹していた篠山が口を開く。
「…どういう意味だ?」
「自分達が話していたのはこの料理のことです」
篠山は実験台に並べられたそれを指差した。
既に冷めきっているものの、美味しそうな匂いは相変わらずで。
「まさか、木賀島君に毒見させようとしていたの?」
「木賀島那智の話を聞くに、彼は既に得たいの知れないものを飲んでいる。それなら毒見の一つや二つも同じことではありませんか?」
無表情のまま続ける篠山の目は至って真剣で。
だからこそ、俺と周子は何も言えなくなる。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
静まり返った科学室内。
慌てて反論したのは進藤だった。
「確かに、木賀島はなんか変なもの飲んだかもしんねーけどさ。だからって全部毒見させるってのは危ないだろ!それこそ、本当に毒だったらどうすんだよ!」
「どうするって、そのままに決まってんだろ。宰様、俺たちがその毒を食わずに済む。ほら、これならどうですか?宰様、完璧じゃないですか!」
どうしても俺に話を持っていきたいようで、血走った目で俺に笑い掛けてくる陽太に頭が痛くなってきた。
「お前な……それじゃ効率が悪いだろ」
「分が悪い?」
「木賀島が毒見したとして、全員分食べきれなかったらどうする?木賀島が毒で当たって、そしたらまた別のやつが毒見するってか?」
毒見係の腹が満たされるだけだ。
そもそも、毒見係を割り出すということで今みたいに揉め、無駄な労力を使うことになるのは目に見えてる。
「でっ、でも、それなら……」
「全員好きなもの食えばいいだろ」
「はっ?!」
「宰様、正気ですか」と青褪める陽太。
周子を除いた他の連中も、驚いたようにこちらを見る。
俺だってこんなこと言いたくはないが、誰も言わないのだから仕方ない。
「そんなことして、毒があったらどうすんだよ!死ぬかもしんねーんだぞ!」
「おい進藤、お前言ってること変わってるぞ」
「うっ、いや、でも、だって…」
「どっちにしろ、このまま食べないにしても死ぬんだ。それなら食べてみる以外ないだろ」
「驚きましたね。右代宰、貴方がそのようなことを言うとは」
「文句あんのかよ」
「いえ、自分も右代宰の意見に賛成します」
今度は俺が驚く番だった。
「へー、ルイ、あんたも結構大胆なんだねえ」
「視点を変えてみただけですよ。この料理を用意したその意図を考えてみればこの料理に毒が含まれているその可能性を算出することは可能です」
「は?なに?さ、さんしつ?」
ちんぷんかんぷんといった様子の進藤に、篠山は「算出です」と答える。
「まず、ここに自分たちを閉じ込めた人間が料理を用意するにあたってどんなメリットがあるか」
「メリット…?毒を盛って殺す?」
「進藤君、今の僕達のことを考えてみるんだよ。まず、毒殺という可能性は低いだろうね」
「なんでだよ、妙な仕掛けしてくるやつらだぞ?きっと、これにも仕組んでるはずだろ!」
「その通り。普通なら進藤君みたいに考えて食べないはずだよ」
「だから、毒殺自体成り立つ可能性は低い。それなら他の場所に毒を仕組んだ方が殺しの効率は高いはずだ」そう、淡々と続ける周子に篠山は頷く。
正直そこまで考えてなかったが、言われてみれば確かにこの施設自体、ひっ掛かるところがある。
「…殺すのが目的ではないということか」
今まで感じていた違和感を口にした時、科学室の空気が僅かにピリついた。
今まで、ずっと考えていた。
俺たちがこの廃校に集められ、軟禁されているその理由についてだ。
俺たちがこれまでに何度か死にそうになるという状況に追い込まれた。実際に死んだやつもいる。
だけど、
「だったら、なにが目的って言うんだよ。右代だったら身代金とかそういうのって分かるけど、俺んち金とかねーぞ?」
「ま、ふつーに金じゃないってことでしょー?」
「は?ならなんだって言うんだよ」
怪訝そうに目を細める進藤に、木賀島は可笑しそうに笑う。
「そりゃー俺たちが死にそうになってんのを見て愉しんでんでしょ。よくいるじゃん?そういう変態さん」
クスクスと喉を鳴らす木賀島に、進藤は言葉に詰まる。
正直、木賀島と同じ意見だった。
恐らく、俺たちと同じ中学で、なおかつ俺たちに恨みがある人間であることは間違いない。
そして、ある程度金がない人間でなければ、これほどまでの広い敷地を思うがままに改造することは出来ないはずだ。
だけど、俺はこの廃校丸々自分の遊び場に出来るほどの同級生を知らない。
「まあ、変態かどうかは置いておいて自分たちを虐げることを目的にこの施設を作ったのには間違いないでしょうね」
「殺すことよりも苦しめることが目的…ね」
「んーと、ルイたちの話からしたら殺すことよりも過程を楽しみたい、だからこのご飯は毒は入ってないってこと?」
「そんな無茶苦茶な理由で宰様にこんなもの食わせられるかッ!」
そう怒鳴ったのは陽太だ。
「ならお前が食うか」
あまりにも宰様宰様煩い陽太にそろそろ頭に来て、少し脅すつもりでそう尋ねた。
なのに、あいつは。
「わかりました、宰様のためなら喜んで毒見しましょう」
「「「えっ」」」
バカ真面目に頷く陽太に、周子、進藤、木賀島が呆れたように声を揃えた。
無理もない。
そんな返答、俺だって予想していなかったのだから。
「おい、陽太、いい加減にしろ!」
実験台の前、一組のナイフとフォークを乱暴に手にした陽太。
「大丈夫です。宰様の口に入るものは全て安否は俺が確認するので安心してください」
咄嗟に止めようとするが、本人はすっかりその気になっていて。
「おい、旭、早まんなって!まだちゃんと調べてから…」
「だからそれを俺が調べると言ってんだろ、馬鹿かあんた」
「な……ッば、馬鹿………」
「篤紀もー放っときなよぉ。勝手に食わせときゃいいって」
「そうですね。このまま話し合ったところで埓があきませんし、これで毒が入っていないと証明出来れば一石二鳥です」
毒は入っていないという周子たちの言葉に同意したものの、やはり、保証されてない今気が気ではなく。こうなった陽太を止めることも出来ず、全員が全員、陽太の動向を見守る。
冷めきったステーキを切り取り、フォークを立てる。僅かに陽太の動きが止まった。
それも一瞬、すぐに尖端の肉は陽太の口の中に消えた。
「おい、陽太……」
バクバクと脈打つ鼓動。
恐る恐るその後ろ姿に声を掛けた時。
「…………美味しい」
そう、咀嚼した陽太は呟く。
倒れる様子もなければ、顔色も、呂律にも問題はなくて。
いや、遅効性の場合とあるかもしれない。
さっきの木賀島のことがあるだけにその味を保証された今でも疑ってしまうのは、もう癖のようなものだろう。
「ほら、旭君。君もこれで分かったんじゃないのか」
「……確かに、味は悪くない。けど、」
そう、まだ腑に落ちない陽太がゴネた時。
ギュルルルル。そう、凄まじい腹の音が響く。
何事かと音のする方を振り返れば、ヨダレを垂らした進藤がいて。
「ほ、本当に大丈夫なんだよな?」
「ちょっ、進藤君、そんなに食べたいのなら食べたらいいんじゃないか」
「食べてえけど、食べてえけどさ…ッ」
「んー?篤紀食べないんなら俺貰おうかなぁ」
「はっ?!それは可笑しくねっ?」
言いながら、わいわいと実験台に歩み寄っていく二人。
陽太の行動が周りに覚悟を決めさせたのか、他の連中も実験台を囲う。
各々好き勝手箸だのフォークだのを手にした時だった。
「ちょっと待ってくれ」
また、あの委員長様が仕切り始めた。
「おい…今度はなんだよ」
「君たちが好き勝手食べようとするからだよ。取り敢えず全員まず席について」
「えっ!まだ食っちゃダメなのかよ!」
「すぐ終わるから。話だけも聞いてよ」
「構いませんよ。俺はそこまで空腹ではないので」
「俺は感じてんだけどねぇ」
「ほら、いいから座って。食事の用意するから」
そう言って、周子は実験台の側に並べられた椅子に俺たちを座らせる。
俺の隣に進藤と陽太。向かい側に木賀島篠山が座る。
空いた椅子は二つ。一つは周子のものだろう。
「ここを探索していたとき、この料理のことが引っ掛かってたんだ」
言いながら、周子は各々に料理を振り分ける。
「おお、この餃子美味そう!」
「このパン、少々硬くなってしまってますね…取り替えては貰えないんでしょうか」
「多分無理だろうね。……で、なんで全員バラバラの料理が用意されてるのかわかるかい?」
「しらねーよ。適当にじゃね?」
「俺的にはこれで大当たりなんだけどねぇー」
いいながら、目の前のケーキホールに舌なめずりする木賀島。
見てるこっちが胃もたれしそうな甘いそれに軽い吐き気を覚える。
「なんとなくでケーキホールなんて用意すると思う?」
そんな木賀島に、周子は尋ねる。
普通しないだろうな。木賀島のために用意されたのならともかく。
と、そこまで考えて、ハッとする。
「……なるほど、俺たちの口に合わせてるというわけですか」
そう、篠山はサラダにフォークを突き立てた。
その言葉に、俺は目の前の一部切り取られたステーキを見る。確かにそれは俺の好物だ。
「旭君、君はなにが好き?」
「は?俺?俺は別に……。でも、強いて言うなら」
それ、と陽太が指差したのはパスタだった。
言われた通り陽太に料理を振り分けた周子。
全員の手元に料理が渡ったとき、違和感はちゃんとした形として現れる。
「ねえ、そのうどんってさぁ、もしかして……余り?」
木賀島は、実験台の上、誰の手元にも行き渡らずに残ってるそれを指した。
「そうだね。でも、余ったのはそれだけじゃないんだ」
周子の言葉に、俺は空の椅子を見た。
他の奴らも気が付いたようだ、周子が言わんとすることに。
「なあ、もしかして枚田の分ってことか…?」
「僕もその可能性も考えてみたんだ。だけど、僕がここに来た時はこの料理はまだ湯気立っていた。僕達の行動を監視している人間がわざわざ枚田君の分を用意すると思うかい?」
「食事時まで彼のことを思い出させるという俺達に対する嫌がらせなのではないんですか?」
「そうだね、その可能性もあるかもしれない。だけど、彼は小麦アレルギーなんだ」
「流石委員長、詳しいねぇ」
周子はなにも答えない。
さっきは枚田のことをよく思い出せなかったが、そういや中学のとき、周子はよく枚田と一緒にいたことを思い出した。
だけど、そうなると必然的にある可能性が出てくるわけで。
「それって、俺達の他にまだここに誰かがいるってことか?」
「ああ、僕もそう考えてる」
頷き返す周子に、沈黙が走る。
自分たちの他に生存者がいる。その事実を喜ぶべきか、対応を決めかねているのだろう。
だけど、そんな中。
「じゃ、早くこれ食って探しに行こうぜ!皆で!」
勢い良く立ち上がったかと思えば、「なあ!」と嬉しそうに笑い掛けてくる進藤。
昔からだ、空気を読まず、それでも明るく考える進藤の性格は最初うざったらしくて仕方なかったが、こんな状況、励みになるのも事実で。
証拠に、先ほどまで緊迫していた科学室内に僅かに温度が蘇るようだった。
「本当、篤紀ってさぁポジティブだよねえ〜」
「だって、仲間は一人でも多い方がいいだろ?それにこんな状況だしな!」
「仲間探しもいいけどよ、出口探すのも忘れんなよ」
あまりにも仲間仲間と騒ぐ進藤に本来の目的を指摘すれば、案の定忘れていたようで。
「……おう、当たり前だろ!」
なんだその間は。
なんて思いながらも、流石にこれ以上の空腹に耐えられず目の前のそれにナイフを走らせようとしたときだ。
ガシャンと、科学室に金属音が響く。
全員の視線が、発音源である陽太に向けられた。
「仲間だとか、馬鹿馬鹿しい…ッ!他人を探してる場合じゃないだろッ!日和脳味噌馬鹿がッ!」
長い前髪のその下、薄暗い双眼は進藤を睨み付ける。
「ちょっと、旭君……」
「一分一秒でも長くこの薄汚い場所に宰様を置いているというだけでも気が気じゃないのに他人の面倒まで見れるかよっ!」
またか。落ち着いたと思った俺が浅はかだったのだろうか。
悪意を向けられた当の本人である進藤は困っている。
本当なら放っておこうかと思ったが、せっかく飯食ってる時に他人の喚き声は聞きたくない。
「おい陽太」
そう、名前を呼べば、ぴんと陽太の背筋が伸びる。
「はい、なんでしょうか宰様!」
「お前、外で飯食え」
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