七人の囚人と学園処刑場


 第三話

『ねーねーお姉さーん』
『どうしたの?僕君』
『あのね、今日実は妹の誕生日なんだ!だからなにか作ってあげたいと思うんだけど……』
『まあ、僕君えらいわね!いいわよ、お姉さんが妹さんが喜ぶためのとびっきりスペシャルなお料理を紹介しちゃうわっ!』

「……んだよ、これ……」
「なにって、あれじゃん〜?お姉さんのお料理教室?」
「んなの分かってんだよ!なんでこんなものが……!」

 意味はわからなかったものの、モザイク必須な映像が流れるんではないかと構えていた俺は映し出された幼児向けアニメに安堵する。
 だけど、その分肩透かしも半端ない。

「じゃあ、次は黄か……」

 そう、最後の壁のスイッチを押したときだった。

『というわけで、じゃじゃーん!今日の料理のテーマは、人の上手な食べ方です!』

 ああなるほどな、そりゃ妹も喜……はい?
 ゴゴゴ、と、先程同様動く床。その下から大きめのなにかが上がってくる。

『まず、用意するのは刃物!関節を切り離すための大きめのものと細部の肉を抉るための小さめのもの、両方あるといいかもね!』

 明るい女の声と裏腹に酷いその内容に耳を疑ったが、シアターにはデフォルメされた人間の解剖図がばばーんと映し出されているので残念ながら聞き間違いでも台詞ミスでもなんでもないのだろう。
 それだけでも、笑えないのに。

「……っ、これって……」

 床から現れたそれは、実験台だった。
 そして、その上には二人分のフォークとナイフ、ご丁寧に調味料まで用意されていて。
 食事用にしては大きすぎるわ尖りすぎているわ悪意の塊のようなナイフを見た瞬間、俺は頭が痛くなる。
 ナイフというだけでも嫌なのに、なんで二人分用意されているんだ。
 頭の中ではその意図はわかっているが、理解したくなかった。

「なるほどねぇ〜?」

 不意に、ころりと床に紙コップが落ちる。
 薄暗い部屋の中、ゆらりと実験台に歩み寄る木賀島に息を飲んだ。

「おい、お前……」
「ん〜?どうしたの?そんなに震えちゃって」
「別に、震えてなんか……」
「もしかして、俺が宰を食べちゃうと思ったぁ?」
「……!」

 高揚感のない間延びした声が、今はただ不気味で。
 そんな中、実験台の上を物色していた木賀島のしなやかな手が、ナイフに伸びた。

「せいか〜〜い」

 流れる明るいアニメーションをバックに、銀の刃物を構えた木賀島は楽しそうに笑う。
 その目が蕩けているのを見て、やつが正気ではないということはすぐにわかった。
 わかったところで、この状況が明らかに俺の命を脅かすものというのは変わらないが。

「おい、お前、何考えてんだよ……!」
「何って?俺は、宰のことしか考えてないよぉ〜?体が引き締まってておいしそ〜〜とか」

「締りも良さそうだ、とかね」と、笑う木賀島に背筋が凍り付く。
 は?つか、締り……?

「ッぶねえ!」

 いきなり斬り付けられそうになり、間一髪後退して刃先から逃れることはできたが、その代わり、足が縺れる。

「ッ!」

 尻餅をついた俺は、慌てて立ち上がろうとするが一歩遅かった。

「つ〜かまえた」

 首筋に当てられたナイフの刃。
 ひやりとしたその鋭い感情に、汗が滲む。

「っ、てめえ、あんだけ偉そうなこと言ってて……やっぱり妙な薬だったんじゃねえかよ……!」
「はぁ〜〜?何言ってんのぉ?俺はフツーだよ〜?」
「どこがだッ」

 このまま、喰われてたまるものか。
 そう意地糞になってナイフを掴む木賀島の腕を思いっきり掴む。
 そのまま自分からナイフを離そうとするが、その手もあっけなく振り払われた。

「ぐ……ッ!」

 代わりに、思い切り地面に突き飛ばされる。
 力が強い。元よりこいつが喧嘩慣れしてるのは知っていたけど、俺だってそう全くの素人というわけでもない。
 だけど、こいつの力は全く比にならないもので。恐らく、あの妙なサーバー機のせいだろう。
 起き上がろうとした矢先、馬乗りになってくる木賀島に首を押さえ付けられる。

「てめぇ……ッ」
「あぁ……やっぱり宰の首って細いねぇ〜〜。ちょっとでも力を込めたらポキッてイッちゃそ〜」
「ッ、かは……ッ!」

 掌全体で押し潰された喉。狭まった器官は呼吸が難しくて、あまりの息苦しさに頭に血が昇る。
 藻掻くように木賀島の腕を掴むが、指先に力が入らなくて。

「それじゃ、いただきま〜す」

 薄暗い科学室の中。
 片手でナイフを握り直した木賀島は、俺の制服にその刃を走らせた。

「はぁ……?」

 思わず、そんなアホみたいな声が出てしまった。
 大きく裂かれた制服。慌ててその切り目を抑えるが、辛うじて肌には刃は当たってない。
 だけど、

「ッ、おい、やめろ……っつってんだろッ!」

 上半身、制服の切り目に伸ばされた木賀島の手にその裂け目を思いっきり引っ張られ、繊維を裂くような嫌な音が響く。
 そのまま乱暴に脱がされそうになって、必死になって絡み付いてくるその手を振り払おうともみくちゃになるけど、体勢が体勢だからか、思うように動けなくて。

「ッ」

 首を掴む手に力を込められると、全身の筋肉がびくりと反応し、硬直した。
 その隙を狙って、上半身、胸元を開けさせられる。

「やっぱ、想像通り」

 馬乗りになった木賀島の光のない目が、俺を見下ろす。

「宰って肌キレーだねぇ」

 なんつー想像してたんだよ、という俺の声は最早言葉にならなくて。
 ナイフを指に挟んだまま、輪郭を確かめるように伸ばされた指先に胸板をなぞられる。瞬間、ぞくりと総毛よだつ。

 昔から人に触れられることが嫌いだった。
 割れ物のように、或いは腫れ物のように扱われてきたからこそ、他人との触れ合い慣れていなかったからというのもあるだろう。
 接触した時感じる、相手の体温が気持ち悪くて仕方なかった。
 だから、物心ついたときから他人との必要以上の接触を避けてきた。
 避けてきたのに、こいつは、木賀島は。

「……っ、はな……せ……!」

 晒された胸に刃を突き立てられれば、間違いなく俺は絶命するだろう。
 それなのに、ナイフを手にした木賀島にはそれを俺に突き立てる様子はない。
 それどころか。

「……ッ」
「うーん、やっぱり、ここも小さいんだぁ〜」

「かわい」と鼻で笑う木賀島は、胸元、晒された乳首を摘む。
 思いっきり引っ張られ、鋭い痛みと驚きで上半身はびくりと飛び跳ねる。

「なっ、に、言って……!」

 まさか、ナイフを使わずに手で引き千切るつもりなのか。
 無残な自分の姿を想像して血の気が引く。
 必死になって木賀島から逃れようとばたつくが、押さえ込んでくる木賀島の指先に力が加わり、全身が硬直した。

「……ッ、ふざけんなよ……ッ!」

 殺されてたまるものか。自分にそう言い聞かせるように、口の中呟く。
 せめて、あのナイフが取れたなら。
 離れた実験台の上。ぼんやりとしながら俺は目を動かす。
 あそこまで行くには、どちらにせよ上から覆い被さってくるこの男をどうにかしなければならない。
 わかってるのに。頭では嫌というほど理解できてるのに。

「あれあれぇ?どうしたのぉ〜?本当に抵抗する気ある〜〜?」

 圧迫され続けた器官に、脳へ向かうはずの酸素が薄れ、次第に目の前が白ばんでいく。思うように、頭も働かない。

「……っ、殺せよ……!」
「はぁ?」
「殺すんなら、さっさとそのナイフで刺せばいいだろ……ッ」

 中途半端に生かされて嬲られるくらいなら、潔く死んだ方がましだ。
 掠れた声。肺に溜まった空気を押し出すように吐き捨てたとき、きょとんと目を丸くした木賀島だったがすぐに破顔した。
 そして爆笑。

「っははははは!……ひぃ、腹いて〜〜……!」
「っ、なんだよ、なに笑って……」
「本当、宰っておもしれ〜。っふふ!まあいいよ、なら、お望み通り」

「骨の髄まで食べさせてもらうよ」そう言い終わるなり、木賀島に唇を塞がれた。
 え、と思った時には容赦なく捩じ込まれた舌に歯を割られていて。
 肉厚の舌の感触に、麻痺しかけていた思考は停止する。
 キスされている。というのはわかった。不覚とはいえ、さっきもされていたし。
 だけど、なんで、今。

「ふっ、んぐ……ッ」

 首を締め付ける掌が僅かに緩くなり、薄く開いた唇から酸素を吹き込まれる。
 しかしそれは俺にとって求めてもいない方法で。

「んっ、んんッ」

 挿し込まれた木賀島の舌に、奥に引っ込んでいた自分の舌を絡み取られる。
 お互いの唾液が口内で絡み合って、口の中に広がるフルーツのような甘酸っぱいシロップの味に吐き気が込み上げてきて、必死に逃げようと手足を動かしたが、すぐに上半身を押さえ込まれた。

「……ふっ、ぅゔ……!」

 カランと音を立て、木賀島の手から離れたナイフは落ちる。
 それなのに、全く気にした様子もなく、それどころか落ちたことにすら気付いていない様子で夢中になって唇を貪ってくる木賀島に、流石の俺も異変に気付いた。
 こいつ、俺を殺す気はないのか。
 そう確信したや否や安心するはずもなく、そうなってくると今度心配するべきなのは別のものになるわけで。

『いただきまーす』
 その木賀島の言葉の真意を知り、俺はなんだかもうナイフを突き付けられた時以上の恐怖を覚えずにはいられなかった。

「ん、っん゙んッ!」

 どんどんと精一杯の力で木賀島の胸板を殴るが、びくともしない。おかしい。やっぱりあの妙な液体を飲んだせいなのか。
 そう思った途端、触れてくる指が、唇が、全てが嫌らしいものに思えてきて。

「ふ……ッ」

 無理矢理舌で抉じ開けられ、開かされた唇から唾液が流し込まれる。
 嫌なのに、俺の意志とは裏腹に甘みを帯びたそれは喉奥から器官へと流れ込んでいて。
 あの妙な液体が、自分の中にも流し込まれている。そう意識した途端、全身の血液が沸騰するみたいに熱くなった。

「……っ、ぅ……ん……ッ」

 体が熱くなる。
 熱を帯び始めた脳髄が蕩けるように何も考えられなくて、ただ、木賀島の指が唇が、触れてくるそれらの感触だけが酷くハッキリと体に残っていて。
 五感が敏感になっている。コミカルなキャラクターの声が、肉の焼ける音が、鼻腔を擽る料理の芳香が。
 全てが頭の中を支配して、何も考えることが出来なかった。
 おかしい。木賀島は勿論のこと、俺もだ。

「っ、は、んぅ……ッ」

 執拗に胸を弄られ、気持ち悪いはずだっただけの木賀島の指に、強弱をつけて揉まれれば頭の中が真っ白になる。
 おかしい。こんなの。おかしい。
 頭の片隅に追い遣られた理性は叫ぶ。
 だけど、脳の大半を得体の知れないなにかに支配された今、抵抗しようにも指先一つ自由に動かすこともできなくて。
 それどころか。

「んむ……ぅ……っ」

 口を抉じ開け、上顎をなぞり、咥内を掻き乱す木賀島の舌の柔らかい感触に、次第に胸が熱くなってきて。
 頭の中に浮かぶ牛タンの映像が重なり、唾液が溢れる。
 この柔らかい舌に歯を立てれば、さぞかし蕩けそうな肉の味がするのだろう。

「……っ、ん、ぅ、う……ッ」

 おずおずと口を開き、弄る舌を受け入れる。
 その舌に歯を立てようとするが、乳首を弄ぶその手に邪魔され、甘噛み以上の力は出ない。
 酷く喉が乾く。体が熱い。腹が減った。
 自分が何をしているのかさえも忘れそうになるくらい、木賀島の舌に夢中になっていると、不意に木賀島の手が下腹部に伸ばされる。
 ベルトを探るその手のことなんて露も気にせず、今度は自ら木賀島の舌に吸い付いたそのときだ。

『右代君!木賀島君!どこにいるんだ!』

 扉の向こう。
 聞こえてきた同級生の声に、欲望に乗っ取られ掛けていた思考が覚醒する。

『右代君!いるなら返事をしてくれ!』

 いつもさっさと死ねみたいな顔して人を見るくせに、どうしてご丁寧に俺たちを探すんだ、あの真面目野郎は。
 助かったという安堵よりも、上から覆い被さって唇を塞がれてる自分の姿を思い出し、血の気が引いた。

「っ、んん……っ」

 来るな。そう叫びたいのに、塞がれた唇のお陰でくぐもった呻き声にしかならなくて。防音が施されていないのだろう。
 外から聞こえてくる周子たちの足音が近付いてくるのが聞こえ、心臓が、破裂しそうになる。
 そんなもの聞こえてないかのように、ベルトを緩めてくる木賀島は躊躇いもなく下を脱がしてきて。

「っ、ふ、っんん……ッ!」

 肌に張り付いた下着越し、ケツの穴を探るように這わされる指の感触にぞくぞくと背筋が震える。
 理性と本能のジレンマに挟まれ、あっちこっち意識が飛び目が回るように混乱しそうになって、それでも周子たちが来てくれたことが大きかった。
 なけなしの力で、木賀島の舌に思いっ切り歯を立てたときだ。
 科学室の扉が開いたのはほぼ同時だった。

 薄暗い科学室に差し込む明かり。
 開いた扉の向こうには、周子が立っていて。

「……右代君?」

 床の上、押し倒されている俺を見て、周子は目を見開く。

「え……ッ、あ……ごめん……」

 どう見ても誤解している周子に、慌てて俺は足を伸ばし、落ちたナイフを蹴った。
 その金属音に反応し、床の銀色のそれに気付いた周子はただ事ではないと理解したらしい。

『おーい、周子ー!そっちに右代たちいたのかー?』

 不意に、そう遠くはない場所から進藤の声が聞こえてくる。
 ハッとした周子。

「進藤!こっちに来るなッ!」
『へっ?!』

『って、呼び捨て?!』と戸惑う進藤以上に周子はテンパってるらしい。
 それでも、空気を読んでくれた周子に驚きを隠せない。


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