第二話
見事、料理が並ぶ実験台の前。
三帖程の広さはあるものの、空からいきなり現れた四方を遮る鉄枠はどうみても檻で。
どうせこういうことだろうとわかっていたのに、なのに、目の前の下半身馬鹿のせいで見事捕まってしまったその事実が歯痒くて。
「ありゃりゃ〜……?」
「ありゃりゃ〜?じゃねーよ!どうすんだよッ!」
「ん〜?どうしよ〜?え?つーかこれ食えねーの?」
なんて、腕一本くらいの幅はある檻の隙間に手を差し込む木賀島。
実験台のケーキに伸ばすが、ぎりぎりのところで届かない。
「くっそ〜〜、あともうちょいなのに!」
「もし取れたとしても皿ごとは入らねえだろ」
じゃ、なくて!冷静に突っ込んでる場合ではない。
とにかく、なんとか檻が壊せないだろうかと力いっぱい左右に押し広げてみるが、びくともしない。
「どうすんだよこれ!出られねえぞ!」
「ん〜?なにか鍵かなんか仕掛けでもあるんじゃないのぉ〜?」
辺りを探してみるけど、鍵どころかこの檻には出入口になるような扉も鍵穴もない。
本格的に自分たちが逃げられないということを理解した俺は、同じように閉じ込められたのがこのちゃらんぽらんだという事実にまた絶望する。
「扉がねえのにどうやって出ろと……」
「そりゃ、やっぱ落ちてきたんだから上に上がるんじゃねえの〜?」
「ほら、こういうボタンとか触ってさ」と、檻の外、手を伸ばした木賀島にハッとしたときは時すでに遅し。
壁の窪み、赤青黄の3つのボタンが嵌め込まれたその装置に指を押した木賀島に俺は声にならない声を上げた。
「言った側から何やってんだよッ!」
「ん〜?どうせこのままじゃ出られないんだからさ、色々試してみるしかねーじゃ〜〜ん?」
「だからって、一言くらい言えよ……!」
「あ、ほら、なんか床が動き出したみたいだよ〜」
本当にこいつの性格はどうにかならないのか。
ムキになるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの考え無しっぷりに呆れていると、木賀島が指したその先。確かに、床の一部が浮き始めている。
わりかし広い檻の中。その中央に、それは現れた。
「これって……」
「あー、俺これ知ってる〜。ウォーターサーバーってやつでしょ〜?」
逆さ向いたボトルが突き刺さったその装置には、ボトルの中の液体を出すための口がついていて。
あからさまにこれを飲めといったようなその堂々たる姿に俺は何も言えなくなる。
喉が乾いていた。そりゃもう、色々あったのもあるし木賀島と二人になってからは怒鳴りっぱなしだったので、余計。
だけど、と目の前のサーバー機を見上げた俺は無言で目を逸らす。
透明のボトルの中、入っている液体は絵の具を溶かしたような透明の桃色の液体で。
普通に、飲む気しねえし……。
「あはっ、ラッキ〜〜。コップまで用意してあんじゃ〜ん」
「っておい!待て待て待て待てッ!」
「あっ。もーちょっと〜、コップ返してよ〜」
「いや何お前普通に飲もうとしてんの?!」
「え〜?だって喉乾いてるし〜……」
「だからってこんな得体の知れないもの、飲もうとすんなよ!毒だったらどうすんだよ!」
「んー?もしかしてぇ、宰、俺のこと心配してくれてるんだぁ〜〜?」
目を細め、にやりと笑う木賀島に俺は言葉に詰まる。
別に木賀島が心配というわけではない、目の前で誰かが死ぬのを見たくないだけだ。
……いや、これが心配しているというのか?認めたくない。断じて、違う。
「気持ちは嬉しいんだけどさぁ、もし、これが毒じゃなかったら?」
「は?」
「だからさ〜、『こんな場所で用意されてる飲み物は毒に決まってる!』なんて言っちゃってさ、その裏を掻いてフツーのジュースだったときとかね」
「そういうパターンもあるんじゃないのぉ〜?」逆にね、と唇を動かす木賀島。
2つに1つ。
毒か否かなんて、飲まなければわからない。
そんな危険なもの、手を出さないほうが無難だ、と言い返そうと思ったが、その理屈は他に安全だと保証されているものがある場合のみにしか適用されない。
まともに口に入れられるものがない今、試してみる他ないと木賀島は言っているのだろう。
「それでも、俺は飲まない」
「さぁっすが、慎重だねえおぼっちゃま。まあいいよ〜、代わりに俺が毒見になってあげるから」
「なに言って……ッ!」
いきなり伸びてきた手に、紙コップを取り返される。
慣れた手付きでその紙コップに毒々しい色のそれを注ぐ木賀島に「やめろ」と叫ぶが、無視。
「やめろっつってんだろッ!」
体当りしてでも紙コップを奪おうとするのに、片手で押し退けられ伸ばした手は届かない。
こういうとき、こいつとの身長差が憎たらしかった。
そして、そんな俺にも構わず、木賀島は紙コップに唇を寄せる。ごくり、と木賀島の喉仏が上下する。
俺の静止も聞かず、中を飲み干した木賀島は空になった紙コップから口を離し、そしてぷはっと息を吸った。
「すげ〜、甘い」
「……は?甘い?」
「なんつーか、なんだろ〜?ほら、あんじゃん、ガキの頃風邪薬とか貰うときに出されたシロップ。あれみたいに甘くて、どろどろして〜……すっげー美味しい」
そう頬を紅潮させた木賀島はちゃっかり二杯目を注ぎに行こうとしていて。
「っおい、もうやめろ!」
「何言ってんの、ちゃんと証明したじゃ〜ん。これは毒でもなんでもない、ただのシロップだってさぁ」
「でも、遅効性の毒かもしれねえだろ!」
「本当、変なところで真面目なんだからねえ。いいよ、もう、俺だけで独り占めしちゃうんたからー」
頬を膨らませ、ウォーターサーバーに抱き着く木賀島になんだかもう心配したこっちが馬鹿馬鹿しくなってきて。
「……勝手にしろッ!」
木賀島を放っておくことにし、俺一人で檻とその周辺、脱出の手がかりがないか探すことにした。
科学室内。
気になるところと言えば実験台に並べられた料理、それと壁に取り付けられた謎の信号機カラースイッチ(恐らく木賀島は赤を押してサーバー機を呼び出した模様)。
そして、木賀島が夢中になってるシロップサーバー機だろう。
その他に、檻から手の届く範囲でなにか手掛かりになるものはないだろうかと色々探ってみるが、辛うじて触れることが出来る本棚には解剖の本が並べられてるだけで特に中にメモやなにかが挟まってるなんてロマンチックな展開はない。
だとしたら、やっぱり……。
「……」
壁に目を向けた俺は、そこに存在する3つのスイッチに注目した。
「……これしかねーよな」
もしかしたら、このスイッチを押したら今度こそ爆発したりいきなり天井が落ちてきたりするかも知れない。
元よりそこまで心配性ではないが、やはりさっきの音楽室でのことがあるからこそ、余計慎重になってしまう。
だけど。
『どうせこのままじゃ出られないんだからさ、色々試してみるしかねーじゃん?』
先程の木賀島の言葉が頭の中で反芻する。
そうだ、このままなにもせずにいたところで助かるわけではないのだ。
それならば、と固唾を飲んだ俺は赤の隣、青いスイッチを押した。
瞬間、バチリという音ともに科学室の照明が薄暗い間接照明へと切り替わる。
そして、
「っ?!なんだ?!」
「宰、見て〜〜あれ。スクリーンだぁ」
ほら、と、紙コップを咥えたまま科学室の奥を指す木賀島。
慌てて振り返れば、そこには天井から大きなスクリーンが降りてきている最中で。
「なんだ、あれ……」
「なんか始まるみたいだよー」
まさか、殺人鬼が自ら現れるなんてないだろうな。
いつの日か見たスプリッタホラー映画での忌まわしい記憶もといトラウマを思い出し、戦慄するがそんな俺の期待はすぐに裏切られる。
いい意味で、だ。
『はじめてのわくわくお料理教室〜!』
スクリーンに映し出されたのは血塗れの死体でもなければ舌を出したいかれた殺人鬼でもなく、愛らしいフォントと子供の無邪気な声だった。
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