03
その日一日、クロウは約束通り静間の着せ替え人形になったようだ。
デジカメ片手に満足そうな静間に見送られて静間家を後した俺達。
既に辺りは真っ赤な夕日に包まれているではないか。
「なんか、すごい疲れた……」
そう呟くクロウの両手にはいっぱいの紙袋が握り締められていて。その中にはたくさんの服が入っていた。クロウを気に入った静間が「どうせ要らないやつだから」と着なくなった服をくれたのだ。
「よかったじゃねえの、たくさん貰えたし」
「でも、ミチザネの服よりピッチリしてる気が……」
「あいつの趣味だからな。我慢しろ」
俺には一生縁のないであろう首元がばーん!と開いた服やひらひらしてる服などが詰まった紙袋を一瞥し、笑う。
やっぱり髪が短くなったこいつはどこか他人のような気がしてならないが、その分右目の眼帯が強調されていて。
そういえば、こいつはどうして眼帯をしているのだろうか。前々から気になっていたが、こうしてやつの顔をはっきり見るようになってから余計、気にならずにはいられなかった。傷か、それとも別の何かか。本人の意思で?それとも記憶を喪失する前からつけていたのか?……わからない。
「じゃあ、飯食いに行くか」
纏わり付いてくる鬱陶しい感情を振り払い、俺は改めてクロウに向き直る。
そんな俺の誘いに、「飯?」とクロウは目を丸くした。
まるで飯のことなど忘れていたかのようなその反応に、こちらまで驚きそうになってしまう。
「……あ、もうこんな時間なのか」
「静間の相手してたら体内時計狂ったか?」
揶揄のつもりだったが、「そうだな」と苦笑するクロウは本当に忘れていたかのようで。
そんなやつに微かな違和感を覚えたが、それもすぐに忘れてしまうような些細なもので。
「でも、外で食べるのか?」
「そうだな」
「珍しいな。いつも怒るくせに」
そんな指摘に、俺の意識はいつもの自分に向けられる。
確かに無駄に大食いな上に脂っこいものを好むクロウが選ぶものはどれも学生からしてみれば二、三食すればあっと言う間に小遣いが飛んでいくような高価なものばかりで、なるべく買い食いを避けていたのたが、やはりクロウも引っかかったようだ。
まあ、そうだろうな。いつもに限らず現在進行形でどうしようか迷っているところだが、幸い今俺の懐は潤っていた。
「まあ、お前のお陰で臨時収入も入ったしな」
そう、金一封された封筒を上着からちらつかせれば、クロウの動きがぴたりと止まる。そして、みるみる内に目の色が変わっていくではないか。
「ま、まさか、ミチザネ……」
「ほら、そんなところで突っ立つなよ。いくぞ」
「待てよ、本当に俺を売ったのか!ミチザネ!」
「だからお前の飯代だって。ほら、行かないのか?」
「い、行くけど!行くけども!」
腑に落ちないけれど、飯の誘惑には負けたようだ。
「じゃ、早くいこーぜ」
まだ何か言いたそうなクロウを連れて、俺は夜の街へ向かった。
怪しい白衣達の奇襲に遭って数日、ここんところ何もなかったせいで俺の危機感諸々は麻痺していたのかもしれない。
「いっただきまーす!」
「……」
やばい、やっぱり早まっただろうか。
出来るだけ安い店を選んだつもりなのだが次から次へと運ばれてくる料理の数々に頭の中で値段を計算するという作業に追われていると、その傍からバクバク食っていくクロウ。
「……ってちょっと待て!それ俺が頼んだやつだろうが!ちゃっかり食ってんじゃねえ!」
「だってミチザネさっきから食ってねーしもういらないのかと……」
「お前が馬鹿みたいに頼んだ料理の値段計算してたんだよ!おいこら!吐き出せてめえ!」
「じゃあもう一個頼めばいいじゃん」
こ、この野郎……。苦学生のただでさえ薄ら寒い懐事情を軽視するような発言するとは……。
いつもならここで口抉じ開けて吐き出させてやろうかと思うのだが、今回は確かにクロウが稼いだ金だ。まあ、たまにはいいか。そう、一回り大人の俺が引いた矢先だ。
「あっ、お姉さーん。これとこれとこれも追加で」
「おい待て」
やっぱり俺はまだ大人になれそうにない。
「……お前、よくあれだけのもの入るな」
店を出て、早々臨時収入の三分の二を失いつつ俺は前を歩くクロウを見る。
どこに吸収されているのだろうか。全くもって不思議だ。こちらは見ているだけでも満腹になったというのに。
「なんかさ、食っても食っても腹が減るんだよなぁ。満たされた気がしねえっていうか」
「……」
それは、なにかおかしいのではないのだろうか。
そもそも俺はまだクロウが何者かしらない。それでもあれだけの量を口にして満たされないというのはやはり根本的な構造部分からして違うということだろうか。
だとしたら、俺のこのクロウへの気遣いは金をドブに捨てるようなものだったのではないのか。
「でも、美味かった。ごちそーさん、ミチザネ!」
不意に、くるりとこちらを振り返ったクロウは笑い掛けてくる。
俺はろくに食えなかったけどな、と皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったが、そのアホみたいな笑顔を見てたらなんだかもやもやしてきて。
「今度はお前が奢れよ」とだけ言い返してやる。
「おう!任せろ!」
冗談か本気かわからないが、元より宛にはしていない。
そろそろ時間も経ち、辺りは真っ暗な夜空が広がっている。それでも様々な店が並ぶ通りは明るい方だろう。
「……さっさと帰るか」
今夜は風が冷たい。
「ミチザネ、重い」
住宅街。
家までそう遠くもない内に、先程まではしゃいで飯の話ばっかしていたクロウはそんなことを言い出した。
確かに、静間の家から出てここまでずっと荷物はクロウに持たせていたがそれは明らかにクロウの方が俺よりも力があるからだ。そんなクロウが弱音などとは、甘えてんのか?と思いながらも振り返る。
「ミチザネ、待って」
「なんだよ、お前が自分で持つって言ったんだろ?」
「そうだけど、重いんだ。……なんか」
先程までに比べ、どこか表情が硬い。様子がおかしい。そう気が付いた時には、遅かった。
「仕方ねーな。……ほら一つ貸せよ」
持ってやるから、と、クロウに手を伸ばした時だった。
どさりと、クロウの手から袋が落ちる。
「は?」と地面の上に落ちたそれを視線で追った次の瞬間、棒立ちになっていたクロウの体がぐらりと揺れた。そして、ゴッと鈍い音を立て、うつ伏せに倒れるクロウに、今度こそ俺は固まった。
「……おい?」
巫山戯てるのだろうか、思いながら俺はクロウの前に座り込む。
そのままその肩を掴み、何度か揺すってみるがクロウはぴくりともしない。
それどころか呼吸すらも。
「おい、クロウ、クロウ!」
住宅街のド真ん中、うつ伏せに倒れたまま動かないクロウに血の気が引いた。
敵か?この前の妙な連中がまたやってきたのか?そう辺りを見渡すが何者の気配も感じない。
ここにいるのは俺とクロウだけで。だったら、どうして。何が起こったのか理解できなくて、とにかく、このままじゃマズイ。そう思って場所を異動させようとクロウの脇の下に手を突っ込み、抱き起こそうとするがこいつ、クソ重い。
「ぅ……ぐ……おお……っ!」
体力はともかく、一般男子校生並みの力はあると思っていた。
けれど、まるで百キロ近くある鉛を抱えているみたいにぴくりともしないのだ。
仄かに暖かいのが余計に不気味で、それでもこのままにしておくにはいかなくて、どうすりゃいいんだ、と一人途方に暮れていたときだった。
「お困りのようですね」
背後、聞こえてきた冷たい声に全身冷水をぶっ掛けられたみたいに緊張した。
慌てて振り返れば、そこにはキッチリとスーツを着込んだ男が立っていて。
さっきまで、誰もいなかったはずだ。なのに、男はなんの気配も感じさせず現れた。
「……っ別に、あんたには関係ないだろ」
「そうでしょうか?」
涼しい顔をしてクロウの傍へ座り込む男は、言うなりクロウの項に手を伸ばす。瞬間、先日のスーツの連中が脳裏を掠めた。
「っ、おい!何をするつもりだ!」
考えるよりも先に体が動いた。咄嗟に男の肩を掴んだ時、
「……体温正常問題なし」
「は?」
「関節にも異常はないですし、見たところスタミナ切れといったところでしょうか。最後の充電は461時間12分前……本来ならばあと38時間48分保つはずですが……やはり稼働時の負担によって消費量が増えるということですね」
クロウから手を離した男は何やらぶつぶつと呟きながら後ろ髪のその奥、項の辺りに触れる。
「ちょ……」
何やってんだ、と慌てて止めようとした時だった。カチリと、小さな音とともに何か黒い固形物がクロウの中から引き抜かれた。
「お……おい!おい!おいおい!」
もしかしたら人間ではない、そうある程度は覚悟していたのにいざその片鱗を見せ付けられれば躊躇うしかない。そんな中、男が何気なしにその黒い固形物をスーツに仕舞うのを見て慌てて止める。
「な……それ、クロウのだろ!戻せよ……っ!」
「戻したところでなんの使い物にもならない。これは私の方で充電する必要がある」
「充電……?」
「君、何も知らないんですか?……なるほど、クロウは自分のことを話していないのか」
一人また呟きながら、スーツの男は脇に抱えていた鞄から何かを取り出した。
それは今クロウの中から引き抜いたそれと同じ形をしていて。
「それって……」
「バッテリーです。この中に彼の機動力ともなる素が入っています」
「……あんた、何者なんだ」
カチリとバッテリーをクロウに嵌め込んだ男は、そのままゆっくりと立ち上がる。
並べば、その背の高さに圧倒されそうになって。
どこか見下すような冷めた目。
感じたことのない威圧感に、改めて目の前の男が住宅街で嫌に浮いていることを確認する。
「君に名乗ることでメリットが発生するのですか?」
こういう相手には、引けを取ってはならない。
一瞬でも隙を見せればそのまま呑み込まれてしまいましたそうになるのだ。
だから、
「……する」
真っ直ぐに男の目を睨み返す。
「少なくとも、こいつは俺を信頼している。……そんな俺が疑うなら、クロウもあんたを信じないはずだ」
確証はない。口から出任せもいいとこだ。
こいつが心から俺のことを信用しているのかどうかもわからないし、もしかしたらクロウと目の前のこいつが面識がある可能性もある。
だけど、可能性で話してはこの男に相手にされないというのは間違いない。
「……なるほど」
小さな沈黙が流れたあと、目を細めた男は息を吐くようにそう呟いた。
「……倭(やまと)、そう呼ばれてます。信じるか信じないかは好きにすればいい」
「倭……さん。あんた、何者だよ」
「……そうですね。言うなれば育て親、と言ったところでしょうか」
親。どこを見ているかもわからない冷めた目をした男は、確かにそう言った。
「育て親……?」
「その子は普通の人間とは違います。君も薄々気がついていたのではありませんか?」
「なら……お前もあの白衣の連中の仲間かよ……っ」
「白衣の連中?……ああ、もしかして、右京と会ったのですか」
右京。その名前には聞き覚えがあった。
ついこの間、クロウを襲ってきたあの白衣の連中、その筆頭らしき茶髪の白衣がそう呼ばれていたはずだ。やはり、と身構える。
「あんな私利私欲に走るような変態と同一視しないでいただきたいですね」
「あんたは……あいつらの仲間じゃないのか?」
「確かに右京と同じチームでしたが、だからといって協力しあっているつもりはありません。私の目的はただ一つ、この子の回収です」
チーム。回収。次々と飛び出す単語から、連中が組織であることを薄ぼんやりと理解することは出来た。それも、普通ではない。拳銃を突き付けられた時の硬い感触を思い出し、戦慄する。
「回収って……こいつをどうするつもりなんだよ」
「再び施設へ収容します。……と言いたいところですが、私は無理矢理連れて帰るつもりはありません」
「は?」
「ここ最近のこの子の様子を観察させていただきました。結果、無理矢理捕獲しようとした右京があの樣です」
まさか、見ていたというのか。
全く気付かなかった同時に、余計、このタイミングで現れた男の意図が読めなくて。
「庵原道真」
名前を呼ばれ驚いたが、俺たちを監視しているくらいだ。俺の素性を調べられているのも当たり前だろう。
「……なんすか」
「私はただ君に協力を願いたい」
協力。日常生活においてよく聞く単語であるが、目の前の男の口から出たその言葉はどこか硬質で。
「先に聞くけど、俺に拒否権は?」
「勿論ある。しかし、君にとっても悪くない話だと思いますけどね」
一呼吸置いて、倭はゆっくりと瞼を持ち上げる。そして、真っ直ぐに俺を見た。
「君から私と来るよう、クロウにお願い出来ませんか」
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