04
「また、お前かよ……ッ!」
呆然とする俺の上から退いた眼帯の男は、右京と呼ばれた白衣の男を睨み付ける。
そこに先ほどまでの弛い笑顔はなく、あるのはただ剥き出しになった敵意のみ。
対する右京は怯むどころか楽しそうに笑うばかりで。
「おお、覚えててくれて嬉しいなぁ!会いたかったぜ、クロウ」
出てきた聞き慣れないその名前に、俺は釣られるように眼帯の男に目を向けた。
だけど、クロウと呼ばれたその男も不思議そうな顔をしていて。
「……クロウ……?」
「ああ、そういや"まだ"だったんだっけなぁ?なら尚更、早く回収しねえとマズそうだな」
眼帯の男の名前といい、やはり、こいつらは眼帯――もといクロウの記憶喪失に関してなにかを知っている風だ。
だが、ただで教えてくれるようにはどうしても思えない。そうなれば、やることはただ一つだ。
慌てて立ち上がった俺は、動かないクロウの腕を掴んだ。
「っ、おい、何してるんだよ!早く……」
「逃さねえよ?」
逃げるぞ、と続けようとした瞬間だった。足元、脛付近を撃ち抜かれる。間一髪骨には当たらなかったようだが、表面、焦げたように穴が開いた制服の下、焼けた皮膚に痛みが走る。
「く……ッ!」
「ミチザネッ」
「うるせえな、ちょっと掠っただけだっての……って、おい……っ!」
その場に崩れそうになったのを必死に踏ん張ったとき、右京との間に立つクロウ。
まるで庇われるようなその体勢に「退けよ」と肩を掴むがクロウはビクともしない。
それどころか、
「あ?なに?観念してくれちゃったりすんの?」
「あんたが俺の何を知ってるのか知らねーけど、こいつに手を出すんじゃねえよ!ミチザネは関係ないだろ!」
「うん?関係ねえけど?」
「なら……」
「関係ないからさぁ、ほら、なにをしちゃってもいいだろ?」
三発目を構える右京。その銃口は今度こそ俺に向けられ、間髪入れずに引き金を引く男。
ああ、今度こそ無理だ。逃げられない。そう、目を瞑ったのとそれはほぼ同時に起きた。
言い表すなら、衝撃音。ドンと鈍い音がして、目の前のクロウの背中が僅かに跳ねた。周りにいた白衣連中が、拳銃を手にした右京が、各々目を見開いた。それは、俺も同じだった。
「……なんで……お前……ッ」
拳銃を手にした右京の腕を掴んだクロウは、確かにその銃口を自分に向けていた。
足元に転げるのは、恐らく今発砲されたはずの小さな鉛弾。
なのに、俺の代わりに弾を食らったはずのクロウはよろめくこともなくそこに立っていた。沈黙は束の間の事で、すぐに辺りには歓声が沸き起こる。
「流石、頑丈に出来てるじゃねえか。やっぱ、普通のじゃ無理っつーことな、ほら!記録しろ、記録!」
その中の一人、右京は楽しそうに笑いながら傘を差した秘書の女に声を掛ける。しかし、それもすぐには続かなかった。
「……って……」
「あ?」
「よくも、ミチザネの服に穴を空けやがって……ッ!」
それは、地を這うような低い声だった。クロウに掴まれたやつの手首が、めきりと音を立て変な方向に曲がるのを俺は見た。
雨で濡れた地面に滑り落ちる右京の拳銃。見る見るうちに変色する己の手首に気付いた右京は、事態を飲み込んだようだ。その笑みを引き攣らせた。
「って、ちょ、おいッ待った!やばいってそれは!ぁああッ!」
「怒られるのは俺なんだぞッ!せっかく許してもらえたのにっ!あんたらのせいで台無しだっ!」
「右京さ……っへぶっ!」
これはなんなのだろうか。戸惑いもなく右京の顔面に拳をのめり込ませるクロウに血相を変えたスーツたちが一斉に発砲する。
なのに、やはり弾はクロウの体を撃ち抜くことなくそのまま地面に落ちるばかりで。
近くに居た者から片っ端まで容赦なくぶん殴るクロウに、俺は今度こそ立ち上がれなくなる。
怖いとかそんなことではなく、ひたすら驚愕。足の痛みを感じる暇なんて、俺にはなかった。
どれくらい経ったのだろうか。
気が付いたら雨は止んでいて、辺りは暗くなっていた。泥濘んだ土の上、転がる無数の男たちは気絶しているようだ。そんなさながら死屍累々の状況の中、唯一、立っているそいつは足元で呻く男を蹴る。そして、くるりとこちらを振り返る。
「なあ、足大丈夫か?」
先ほどまでの異様なくらいの殺気は感じない。
初めて会った時と変わらない無邪気な目でこちらへと駆け寄ってくるクロウ。やはり、その体には傷はないようで。その分、余計破れた服が余計浮いて見える。
「俺よりも、お前の方がやばそうだったんだけど」
「俺のこと心配してくれるなんてホント、ミチザネって良いやつだよな」
「俺は大丈夫だよ、ほら」と体を動かしてみせるクロウ。
本当に怪我はないようで、本来なら有り得ないはずだとわかっていても、最初から胡散臭い男だと思っていたからか特に違和感を感じなかった。
こいつが何者なのか、まず人間ではないことは間違いないだろう。先程、いとも簡単に人の体を破壊したクロウには流石に慄いたが、向けられたアホ面になんだか気が抜けてしまう。今はただ、自分たちが無事で済んだということへの安堵でいっぱいいっぱいだった。
「……ミチザネ?」
一向に動こうとしない俺に益々不安そうな顔をするやつに、ハッとする。
そうだ、今は干渉に浸っている場合ではない。
「いや、なんでもねえわ」
起き上がろうと四肢に力を入れてみるが、どうやら腰が抜けてしまっているようだ。
立ち上がろうと試行錯誤している内に、公園の外に数台の車が停められる。
どう見ても公園の遊具を目的にやってきた子連れ家族ではないことは一目瞭然で。
降りてくるスーツと白衣の男たちに、クロウが舌打ちした。
「……面倒臭いなぁ、もう」
「えっ?って、うおわッ」
そう呟いたかと思えば、いきなり伸びてきた手に腕を引っ張られ、次の瞬間体が軽くなる。何事かと顔を上げればすぐそこにはクロウの顔があった。
「おいっ、なにしてんだよ!」
「え?だってミチザネ歩けないんだろ?」
「歩けないってほどじゃねーけど、だからって、これは……」
それはお姫様抱っこというにはあまりにも雑な抱え方だったが、それでも同じくらいの体型の、しかも男にこう軽々と抱えられるというのには精神的にくるものがあって。
「少しの間でいいから、ほら行くよっ!」
そんな俺の気を知ってか知らずか、そのまま大通りへ向かって走り出そうとするクロウの耳を引っ張り慌てて止める。
「わ、わかった!わかったから!そっちには行くな!」
いきなりの静止命令に『どうしろと』と困惑するクロウに、俺はいつも使っている比較的人気のない帰り道を教えた。この体勢は不本意極まりないが、思っていたよりも足の痛みが酷いので仕方なく甘えることにする。
こんな姿、静間には絶対見せられないな。思いながら、開き直った俺は束の間の姫気分を味わうことにした。が結論だけ言えば酔った。
『庵原』と掘られたネームプレートが掲げられた見慣れた門を潜り、家の玄関までやってくる。
「ミチザネ、ここって……」
「いいから上がれよ」
「でも、もしここまで追い掛けられたら」
「その時はその時だろ。つーか、朝堂々冷蔵庫漁ってたやつが今更何言ってんだよ」
「それもそうだよな!んじゃ、お邪魔します!」
今までのしおらしさはどこに行ったのか、俺の許可を得てあっさりと掌返すクロウに突っ込みそうになったが、誘ったのは俺だ。
玄関の前で下ろして貰い、解錠した扉からクロウを上げた。幸い、長政はまだ帰ってきていないようだ。お互い泥だらけのびしょ濡れなだけに、煩く言うやつがいないことにほっとする。
「そういや、今朝お前どうやって上がったわけ?」
履き潰した靴を脱ぎ、ついでに靴下も脱いだ。ところどころ赤黒く汚れた靴下についた染みは普通に考えてあれだろう、雨で流されていたのか全く気にしていなかったが、流血もしていたらしい。通りで痛いわけだ。
そんな俺をはらはらと見守っていたクロウは俺の問い掛けに「窓から」とだけ答える。
「窓?」
「2階の窓が開いてたから屋根から攀じ登って、そんで机の上に服あったから借りたんだよ」
もしかして長政の部屋か。
だから長政の体操着着ていたのか、と納得してしまったが、そもそもどうやって2階の窓までやって来たのかという疑問が沸いて出てきた。これはもう、触れないほうが良いだろう。考えたくねえ。
「それにしても人には戸締まり戸締まりうるせーくせに、あいつ……」
「なあ、ミチザネ、もう歩いて大丈夫なのか?」
「いてぇよ、わりと。……おい、なにやってんだよ」
無人のリビング。壁を伝うようにしてやってきた俺が照明をつけたとき、ぱたぱたとやってきたクロウはいきなり人んちの棚を漁り始める。
まさかまた腹減ったとか言い出さないだろうな、と神経尖らせていてると。
「なんかねーかなって思って、包帯とかさ、そういうの」
もしかして、俺のためにか。
少しだけ驚いたが、不思議と悪い気はしなかった。
それでも少々非常識なところはあるが、根っからの悪いやつではないのだろう。
さっきの姿を見てもそんなことを思ってしまう俺の危機感がなさ過ぎるのか、それとも無理やり思い込もうとしているのか。
自分でもわからないが、こいつの脳天気な人柄のお陰もあってから恐怖はなかった。
「……そこの棚の上から二番目」
「……あっ、あった。ミチザネ、足貸して!」
「俺の足は取り外せねえから屈んでくれ」
「おう!任せとけ!」
全く気が気ではないが、任せる他ない。
言われるがまま、濡れた上着を脱いだ俺はソファーに座った。
「って、いだだだだっ!」
「え?」
「え?……じゃねえよ!いてーよ!血管切れるわ!」
「でも、止血するにはきつく縛らないとって……」
「縛り過ぎだ!」
「うーん、じゃ、これくらい?」
「いでぇッ!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
「これでどうだっ!」
「さっきより強くなってんじゃねーかよ、わざとか!」
「なら……」
そんなこんなで数分後。
包帯の使い方から理解していないクロウに包帯は縛るものではなく巻くものだということを教えたりなんやかんやして、ようやく出来上がった。
「で、できた……」
「おお、こうなるのか……」
結局自分で巻くはめになるとは。もしかしたらとは思っていたがな。
「つかお前、本当になんも知らねーのな」
玄関でも靴のまま上がろうとするし、単語や大まかな知識はあるのだろうが行動そのものが少々常識外れというか物を覚えたばかりの子供のようで。
痛みもあってか少し刺々しい言い方になってしまう俺に、クロウは「う」と押し黙る。
散々怒られ、本人も自覚し始めてはいるらしい。
心なしかその体が小さく見えた。
聞くなら、今か。
外野もない、テレビもついていない静かな部屋の中、二人きり向かい合うようにソファーに座るクロウを見た。
「……さっきの白衣のやつ、お前のことクロウって呼んでたけど……知り合いなのか?」
「……わかんねえ」
「でも、目が覚めて、研究所から出ていく前に会ったんだ」最初の頃と同じ、それでも最初の頃よりかは困惑の色を感じさせる返答だった。
記憶喪失であることに本人も不便を感じている、というよりもやはり先程の白衣たちの奇襲のせいだろう。自分自身の存在に、クロウ自身も疑問を持ち始めているのだろう。
だけど、
「……あんたは」
なんで研究所にいたんだ?
クロウと一緒にいて、ずっと気になっていたことがある。
白衣たちに追い掛けられたことを不思議に思っている様子は伺えるのに、そもそも自分がなんで研究所にいたかということにはクロウは少しも気に掛けていないのだ。
研究所と聞いたら、まず俺はなにかを研究する場所というイメージを持つ。
薬品、人体実験、兵器、はたまたロボット。
全て小さい頃から見ていた特撮やらアニメの影響だが、恐らく、俺の予想があたっているのなら、クロウは……。
「……ミチザネ?」
不意に、名前を呼ばれてハッとする。
今更になって、自分が恐ろしいことに関わってしまったのではないのだろうか。そう思うようになっていた。
只者ではない白衣の男たちに、撃たれても傷一つ負わない男。
向けられた銃口を思い出しては生きた心地はしなかったが、今更心配しても遅いというのはわかっていた。ならば、考えても無駄だ。
今は今、出来ることをするだけだ。さっき、クロウにもそういったばかりじゃないか。
迷いを紛らわせるため、俺はソファーの手摺を掴んで腰を持ち上げた。
「っと……」
包帯のお陰もあり、先程よりも幾分痛みが和らいだ。だけど、やはり違和感は拭えなくて。
よろよろと棚へ向かった俺は、そこにあった二つのフランスパンを取り出し、再びソファーへと戻る。
「ほら、やるよ」
そして、呆けた顔して腰を掛けているクロウの前に置く。
「いいのか?」
「……助けてもらったからな、一応」
おまけにお姫様抱っこで町内徘徊のオプション付きだ。
こんな体験を出来るやつなんて早々居ない。
「あ、ありがとう!俺、すっげー腹減ってたんだ!」
「だろうな。さっきからすげえ腹の音うるせーもん」
「こんなにたくさん……!」
「いや、そっちは俺のだから……っておい、二つも食うな!俺のっつったろうが!!」
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