馬鹿ばっか


 8

風紀委員がいなくなり、だだっ広い風紀室には俺と担任の宮藤雅己の二人きり。
押さえつけるものがなくなり、足腰に力が入らなくなった俺はそのまま机からずり落ちる。
腕を縛られているお陰で体勢を建て直すことが出来ず派手に尻餅をついて呻けば、頭上から「はぁ」と小さな溜め息が聞こえてきた。
その声に反応して顔を上げるのと、傍に屈み込んだ宮藤に体を起こしてもらうのはほぼ同時だった。


「こりゃまたきつーく縛られてんな、こりゃ」

「……雅己ちゃん」

「宮藤先生だろ」


そんなお決まりの会話を交わしながら床の上に座る俺。
その背後に回った宮藤は器用に両腕を拘束する縄をほどいた。


「ほら、動けるか?」

「ん、あぁ。……ありがと」

「お礼とか言うなよ。罪悪感感じるだろ」


笑う宮藤。
自由になった腕はキツく縛られていたお陰で血流が悪くなってたようで痺れる。それを動かして血を通わせる俺は宮藤に目を向け「無視したもんな」と呟いた。


「悪かったって、泣くなよ」

「泣いてねえから」


本当はかなりショックでちょっと泣きそうになっていたが、言わない。
宮藤からぷいと顔を逸らした俺は慌てて乱れた衣服を整える。
その様子を眺めていた宮藤だったがふと疑問を抱いたようだ。
宮藤はベルトを締め直す俺を不思議そうに見た。


「それにしてもなんでこんなところにいんだよ。またなにか問題起こしたのか?」

「またってなんだよ」


「それは俺の方が聞きたいんだけど」本音だった。
何故自分がセクハラ紛いのことをされなければならないのかだとか岩片の野郎はなにやってるんだとかとにかく言いたいことはたくさんある。
しかし、宮藤に当たったところでどうしようもない。

宮藤に自分の醜態を見られたことを思いだし居たたまれなくなる俺に対し、宮藤は笑う。
それを一瞥した俺はそのまま立ち上がろうとして、寒椿深雪に掻き回されたお陰で疼くように痛む肛門に眉を潜めた。


「取り敢えず保健室行っとくか。痛むだろ?」


そんな俺に気付いたのか、宮藤はそう提案してくる。
どこがとは言わない宮藤だが、恐らくわかっているのだろう。
その親切心が余計俺をみじめにしてくるのだが、正直ありがたい。
俺は小さく頷き返した。


「保健室ってどう行けばいいわけ?」

「仕方ねえな、一緒についていってやるからしっかり覚えろよ」

「別に一人で大丈夫だって」

「途中で風紀の連中と遭遇したらまた抜け出したとか騒がれるぞ」


「それに、一人じゃ辛いだろ」その言葉に、下腹部の心配されてると思ったらなんとなく顔が熱くなった。
もしかしたら先ほどまで無茶な体勢を取らされていたせいで全身が痛んでいるといいたいのかもしれないが、やはり、情けない。
醜態を晒した上こうやって気を遣われることがこの上なく辛く、俺はそのまま宮藤を見上げた。


「んじゃおんぶして」

「お前みたいなでかいやつ背負えるわけないだろ」


そう気を紛らすように茶化せば、宮藤は「肩なら貸してやるよ」と笑った。
優しすぎるというのも困るな。
思いながら俺は「ありがと」とだけ呟き、こちらに手を差し出してくる宮藤の手を取る。





本当は保健室なんて行くほどの痛みではなかったが、どちらにせよ五条祭の探索には行き詰まってしまった。
また一から情報収集しなければいけないのには変わりない。
だから、俺はそのまま保健室に向かった。
岩片はなにしてるのだろうか。
なんて思いながら宮藤に案内されるがまま保健室へとやってきた俺は目の前の扉を見上げる。
そこには可愛らしい動物のキャラクターのボードが掲げられており、『ほけんしつ』と園児のようなフォントの文字が踊っていた。
……なんかここだけ異質だな。
他の特別教室とは打って変わって可愛らしいというか対象年齢が一気に下がったそのカラフルポップな保健室に内心冷や汗を滲ませる俺に構わず、宮藤は白いその扉に手を掛けそのまま開いた。

そして、


「ようこそ、捕験室へ」


扉のすぐ目の前にはスタンバっていたらしい茶髪の男が満面の笑みで立っていた。
「失礼しました」そして間髪いれずに扉を閉める宮藤。
しかしすぐにその扉は先ほどの教員らしき男によって開かれる。


「いやですね、宮藤先生。ちょっとした冗談じゃないですか。保健室だけに捕験、なんちゃって。んふふふふふ」


「ほら、怪我人なんでしょう?僕が大切に手当てさせていただきますよ、早く入ってきなさい」どうやらこの男が養護教諭のようだ。
にやにやと含み笑いを浮かべ、ねっとりをこちらを眺めてくるその養護教諭になんだかもうこうデジャヴが。
なんか今日はやけに苦手なタイプと遭遇するななんて思いながら後ずさったとき、そんな俺に気付いたらしい宮藤はそのまま俺を庇うように養護教諭の前に立つ。


「未来屋(みらいや)先生、俺の大事な生徒なんですから傷増やさないで下さいよ」

「おおっと、まるで僕が下手くその役立たずみたいな言い方は止めてくださいよ。ほら、生徒が怖がってるじゃないですか、んふふふふふ」

「貴方のその笑い方が原因だと思いますよ」

「ふふふ、冷たいこと言わないで下さいよ。これは遺伝なんですからどうしようもないんです。ねえ、君」

「ええ?……はあ、まあ」


いきなり話を振られ、内心狼狽えているとふと未来屋と呼ばれた養護教諭は浮かべていた笑みを消し、じっとこちらを見据える。


「……ああ、その顔、どこかで見たことがあると思えば確か転校生の岩片凪沙君でしたっけ」

「いや、俺は尾張はじ」

「ああ、そうでしたね。確か今年は二人だったんでしたっけ。あなた方の噂はよーく聞いてますよ、あの名門学園の生徒だったとか」


岩片に間違えられた上に自己紹介を遮られた。
薄々気がついていたのだがどうやらこの男、人の話を聞かないタイプのようだ。苦手だ。


「そう言えば自己紹介が遅れましたね。僕は未来屋百合也(ゆりや)と言います。こう見えてこの学園の養護教諭をしてるんですよ」


「末永く仲良くしましょう」養護教諭と仲良くなるような学園生活ってなんか嫌だ。
とは思いつつ、まじで仲良くしないといけない場面が増えそうで嫌なんだが。
にこにこしながら骨っぽいその手を差し出してくる未来屋に内心冷や汗を滲ませつつ俺は「ええと、……よろしく」と笑みを引きつらせながら手を握り返す。
そして未来屋に一分近く手を握られ宮藤に無理矢理引き離された。やっぱり未来屋苦手だ。能義とか五条とか寒椿とかと同じ臭いがする。苦手だ。

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