馬鹿ばっか


 28

 五十嵐と別れた俺は一度政岡の様子を見るため部屋へと戻ることにしたのだが、戻る途中五十嵐の言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。
 政岡と、ちゃんと話さないといけない。逃げていたのは自分だ。わかっていたが、いざとなるとなんだか尻込みしてしまうのだ。
 靄がかった気分のまま部屋まで戻ってきた俺はそのままドアノブを掴む。そして扉を開けようとした瞬間だった。
 いきなり目の前の扉が開き、思わず「うおっ」っと飛び退いた。そして、開いた扉の向こうには血相を変えた政岡がいて、やつは俺の姿を見るなりほっとしたような顔をする。

「お、わり……っ!」
「どうした?何かあったのか?」
「起きたらお前がいなかったから……何かあったのかって心配してたんだ」
「悪い、お前が気持ち良さそうに寝てる間、飯食いに行ってたんだよ」
「……そうか、ならよかった」

 そう、胸を撫で下ろす政岡。確かに一人の時を狙って襲われたこともあっただけに心配性だなと一蹴できなかった。

「そうだ……政岡、話がある」
「は……話?」
「ああ、今後のことについてだ」

 せっかくだ。こうして政岡も起きたところだ。今まではまともに話なんてできる状況ではなかったが、今はまだまともに話せる……はずだ。
 そう踏んだ俺は、この気が変わる前に政岡に持ちかけることにしたのだが……。


 ――学生寮、自室。

 椅子に腰を掛けた俺の前、何故か床の上に正座した政岡はでかい図体を縮み込ませていた。しかもよく見るとその肩すら震えている。なんで怯えられてるのか。俺か、俺が悪いのか。

「お、尾張……話って……」
「あー、そうだな。ゲームのことだよ」

 びく、と政岡の肩が反応する。
 最初はお互いヤケクソになって結んだ協力関係だ、どうしても その時のことを思い出してしまい微妙な気分になるがだからといって怖気づいては話はできないままだ。恥を忍んで、俺は続ける。

「その、ゲームに勝つためにはお前が好きだって証明しなきゃなんねえんだろ?」
「あ、ああ……そうだな」
「五十嵐が言うには総会を開いて全校生徒の前で発表しろっていうんだよ。それが一番手っ取り早いって」

 五十嵐の名前を出したとき、やつの眉根が寄せられる。けれど、それも一瞬。俺の言葉を聞いた政岡はそのまま押し黙るのだ。
「政岡?」と声をかければ、やつはゆっくりと俺を見た。

「……お前は、本当に俺でいいのか?」
「は?」
「だから、その……相手だ」

 政岡からそんなことを言われるなんて予想すらしてなかっただけに、狼狽える。あれほど自分にしろ、自分にしろと暴れていた男が放つ言葉とは思えない。

「お前……今になって何言ってんだよ」
「違う、俺は、お前が他のやつらを選ぶのだけは許せねえけど……っ、その……………………お前が俺でいいってんなら総会、すぐにでも開かせる」
「すぐ……」

 実感が、まるで沸かないのだ。明日、例えば全校生徒の前でこいつが好きだと宣言する。そんな自分が想像できない。演技でもなんでもやってやる、そう思っていたのに。冷静になればなるほど蟠りは大きくなるのだ。

「……なあ、政岡」
「どうした?」
「お前って、まだ俺のこと好きなの?」

 それは、純粋な疑問だった。自惚れだと思われても仕方ない。そうさせたのは、真っ直ぐなまでにぶつかってきたこいつのせいだからだ。
 ぎょっとした政岡だったが、そのままきゅ、と唇を硬く結び、それから真っ直ぐに俺を見つめ返す。

「……ああ」

 肺に溜まった空気を絞り出すような、切羽詰まった声。その目で見つめられるだけで落ち着かなくなる。これが、『本気の好き』だっていうなら、俺はなんだ。俺はこいつと同じようにこいつのことを好きだと言えるのか。

「……尾張?」
「はは、こりゃ……比べ物になんねーわ」

 いくら口で大層な口説き文句を並べようが、一目瞭然だ。少なくとも俺は、こいつを真似しろと言われても無理だろう。口先だけで誤魔化せるのか。

「……何かあったのか?」
「何かっつーか、そうだな……」

 言葉が見つからない。じ、と目の前の政岡を見つめ返してみる。「お、尾張?」と僅かに声を上擦らせる政岡。

「ど、どうした……?」
「俺は、ちゃんとお前のことを好きになってるか?」
「…………え?」
「五十嵐に言われたんだ。……口先だけで誤魔化せるほど、今回は甘くないって。お前を勝たせようとしても、俺が疑われたらどうしようもねえだろ」
「五十嵐、あいつに会ったのか?」
「ああ。飯食っただけだよ。そのときに、いろいろ聞いた」
「…………」

 政岡はなんだか妙な顔をしていた。怒ったような、それでいて困惑したような顔だ。

「政岡」
「いや、悪い。……そうだな。俺の方でも、考えてみるよ。あいつらにごちゃごちゃ言わせないための方法を」

 そういう政岡の声は明らかに先程よりもトーンが落ちている。声だけではない、その回りの空気からしてもわかるくらいやつは落ち込んでいた。
 そんなつもりはなかったのだが、こいつからしてみれば確かに俺は『お前のことを本気で好きにはなれない』と言ったようなものだ。でもだからといって軽はずみに撤回もできない。そのまま部屋から出ていこうとする政岡に「どこに行くんだ?」と声をかければ、足を止める。

「部屋に戻る。彩乃のやつ、もう部屋出ていったってことだろ?」
「ああ、そうか……そうだな」

「じゃあな」と政岡は俺を振り返ることなく部屋を出た。その背中が寂しそうに見えたが、かける言葉も見当たらなかったのだ。
 ……悪いこと、しただろうか。けど、事実だ。それに俺たちは今更おべっかを言い合うような関係でもない。
 けど、あんな落ち込んだあいつを見てもやはり胸のもやもやは形を大きくさせるばかりだった。あいつの態度ではない、俺自身に対してだ。自分が何を考えているのか、己のことなのに何一つわからないのだ。
 ……とにかく、政岡の作戦を待つか。俺にできることといえば、それくらいだろう。

 もやもやする。
 あいつがあんな顔するから、あんなしおらしくなるから、調子が狂う。やることなんて一つしかねえってのに今更何を迷ってるのだ。
 部屋にいても煮詰まってしまいそうで、気分転換に外にでも行こうかとしたとき。
 ドンドンドンと扉を叩く音が部屋に響く。
 嫌な予感がして、咄嗟に俺は身構えた。……無視しようかとも思ったが鳴り止むどころか、その喧しさは悪化するばかりで。
 ……出るしかないみたいだな。腹を括り、もしもの時を考えて身構えながらも俺は「はいはい」と扉を開けた。
 そして、

「ご機嫌いかがですか、尾張さ……」

 扉を閉める。すかさずキーチェーンもかけようとしたが、しまった。扉の隙間に革靴の爪先がねじ込まれていた。

「酷いじゃありませんか、尾張さん。私と貴方の仲だというのに」

 そして、僅かな隙間に指を潜り込ませた来たやつ、能義有人は笑みを深めたまま力づくで扉を開きやがった。なんつー馬鹿力だ。

「能義、お前、入院してたんじゃ……」
「ええ、お陰様でね。ほら、見てくださいこの痛ましい傷を。あのゴリラのせいで私の自慢の肌に傷が残ってしまいましたよ。このせいで私は三日三晩枕を濡らす羽目に……」

 しくしくとわざとらしく泣き真似する能義。しかも能義が示す傷は小指の第一関節程もない小さな掠り傷程度のものだ。……というか治り早くないか?わりと政岡にボコボコ殴られてた気がするんだが目の前にいる男はほぼ無傷に近い。どうなってるんだこの学園の男たちのタフネスは。

「そ、それで……なんの用だよ。悪いが、政岡ならいないぞ」
「あの男になんてわざわざこの私が足を運んでまで会いに行くはずないでしょう。私が会いに来たのは勿論貴方ですよ、尾張さん」
「俺……?」

 嫌な予感再び。今のうちに逃げるための経路を確保する。能義は「ええ」とその笑顔を深くするのだ。

「先日は手荒い真似をしてしまい申し訳ございませんでした。これはお詫びです」

 そう、能義は後ろ手に隠し持っていたらしい花束を俺に差し出してきた。わあ、色とりどりの可愛らしい花だ。なんて、純粋に喜べるほど俺は澄んだ心の持ち主ではない。

「なんのつもりだよ」
「言ったでしょう、お詫びだと」
「…………お詫びねえ?」
「おや、花はお嫌いですか?」

 花じゃなくて、お前に問題があるんだよ。と言いかけてやめた。挑発に乗れば乗るほどこの男の思う壺だ。俺は渋々花束を受け取った。……すげえ甘い匂い。

「お詫びなら、俺よりも政岡にするべきじゃないか?」
「何故ですか?私が仲直りしたいのはあの男ではなく貴方ただ一人ですよ」
「仲直りって」
「貴方は政岡や五条に良からぬことを聞かされて私のことを大いに誤解してる可能性がある、と思いまして。これは早急に梃子入れが必要だと病院から抜け出した次第です」

 抜け出したのかよ。
 いやもうこれに関しては驚きとかはない。こいつが大人しくナースたちの世話になっている姿がまるで想像つかないからな。

「誤解っていうか大体事実なんだろ?」
「まあ、九割五分は」

 実質黒じゃねーか。

「じゃあ、残りの五分はなんだよ」
「貴方への愛です」

 俺は扉を閉めた。

「だから何故閉めるんですか、私が虚弱体質の見た目通りか弱い人間だったら今ので指何本か持っていかれましたよ!」
「お前が適当なことしか言わないからだろ!あと能義はか弱くないだろ!」
「納得いきませんね、なぜこうも私の言葉がまるで響かないのか……本来ならばここで心も扉も股も開くはずなのに……」

 そういうところだよ!と突っ込む気にもなれなかった。
 身も蓋もなけりゃ包み隠そうともしないこいつと話していると頭も痛くなってくる。

「とにかく、今回のことは許してやってもいいが……次妙な真似したら即通報してやるからな」
「おや、そんなこと言っていいんですか?」

 急に強気な笑みを見せてくる能義に内心ぎくりとしながらも「な、なんだよ……」と聞き返せば、能義はぐっと顔を近付けてくる。

「貴方には私が必要だと思うんですが」
「は?どういう意味だよ」
「脳筋会長よりも遥かに優秀、参謀から恋愛アドバイザーまで熟す万能の男、この能義有人が……だから何故扉を閉めようとするのですか!」
「悪いがそういうのは必要としてないんでな」

 というか何が恋愛アドバイザーだ。ドサクサに紛れて色々やってくれたくせに。余計なことまで思い出してしまい今更ムカムカしてきた。
 そうだ、いくら電波男とはいえやることなすことろくでもないやつだ。騙されるな。

「というか、いい加減諦めろよ。しぶといんだよ、お前」
「貴方の方こそ諦めてこの扉を開けてくださいよ。今後のことならば貴方の部屋でゆっくりしっぽり話し合いましょう」
「断る」
「なぜですか?会長とは一晩共にするくせに私は駄目なんですか?」
「な、なんで知って……」
「貴方の行動なんて筒抜けですよ。けどまあ、何もなかったようですけどね」

「驚きました、あの男が据え膳を前に何もしないなんて」と笑いながら人の首元をぺろんと捲ってくる能義にぎょっとするのも束の間。「おい!」と咄嗟に能義の腕を掴んだのが悪かった。俺がドアノブから手を話した瞬間、その隙を狙って能義は扉を開き、部屋の中へと入ってきた。

「……ようやく会えましたね、尾張さん」

 後ろ手に扉を閉める能義は笑う。やばい、と直感が叫ぶ。けど、目の前の男は一人。いくら最悪逃げようと思えば逃げれるのではないか。
 部屋の奥へと逃げようとした瞬間、伸びてきた手に背後から抱き締められる。

「うわ、おいっ」
「ああ……昼食は焼肉定食ですか?ソースの匂いがしますね」
「嗅ぐなっ、て、おい……っ」

 人の項に鼻先を埋めてくる能義に全身の毛がよだつ。逃げようと思うのに、伸ばした手すらも絡め取られてしまうのだ。そのまま項に唇を押し付けられ、キスを繰り返されればそれだけで嫌な記憶が呼び起こされるのだ。

「やめろ、この……っ!」
「私なりに考えてみたんですよ。貴方がどうすれば素直になってくださるのか」
「……っ、素直って……」
「ええ、例えば……」

 するりと伸びてきた指先に顎の下を撫でるように能義の方を向かされる。その近さに驚く暇もなかった。唇を撫でられ、息を呑んだ。

「……っ」
「ああ、その表情とてもいいですね。勃起しました」
「なに言っ……んんっ!」

 さらりととんでもないこと言い出す男に反論しようとした瞬間、唇を塞がれる。一度や二度ならず、この男、キスをしてきやがったのだ。

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