馬鹿ばっか


 11※

 食われる。重い。つか、苦しい。
 なんで俺、こいつにキスされてんだ。

「っ、ふ、ぅ……んん゛……ッ!」

 人の顔を掴んだまま、器用に片手で扉を閉める政岡に血の気が引いた。ドアノブに手を伸ばそうとすれば手首を掴まれ更に抱き寄せられる。
 がっしりと腰を掴む手は離れない。呼吸する暇もなく、抉じ開けられた口の中上顎を擦られ、そのまま舌の根ごと絡め取られる。息ができない、まじで死ぬ。殺される。こいつに。
 必死に政岡を突き飛ばそうとするが、この男全く気にしてねえ。どんだけ興奮してんだ、つか、なんで、どこで。
 わけわからなくて混乱する頭の中、溢れる唾液が顎から首筋へと落ちる。獣じみた荒い呼吸と濡れた音、くぐもった声が響く。舌の肉を噛まれ、吸われ、深く口付けされ続ければこちらまでどうにかなりそうだった。
 逃げたいのに、逃げられない。汗が滲む、視界が白ばむ、口の中が熱く疼いて、ずっとやつに舐められ続ける唇はふやけていく。手足はじんじんと痺れ出し、次第に意識すらも薄れていく。

「……ふー……ッ、ぅ……ッ」

 噛み付きたいのに、喉奥まで挿入された太い舌が邪魔で仕方ない。電気も付けてない玄関で野郎にキスされる。なんで、そんな世にも奇妙な状況に陥ってんのか自分でもわからない。ドンドンと政岡の胸を叩いていたが、じゅぽじゅぽと舌の先っぽを愛撫されればもうわけわかんねえ。政岡にしがみつくことでしか立つことすらできなかった。
 焼けるように熱い政岡の体に、手に、指に、こっちまでどうにかなりそうだった。

 どれほど経ったのかもわからない、暗い部屋の中、こちらを見下ろしていた政岡の目と視線が絡み合い、目が逸らせなかった。
 ゆっくりと唇が離れる。唾液で濡れた唇が赤く、腫れている。無我夢中で俺が無意識のうちにやつの唇を噛んでいたのかもしれない。口の中に残る血の味に、それを吐き出す気力すら残されていなかった。

「お、まえ……っ」
「……っ知ってて、俺を受け入れてくれてたのか」

 なんで、とか、どうしてとか。文句言ってやりたかったのに、そんなこちらの不満など知りもせずあいつは溶け切った顔で俺を見る。その目に、ぞくりと胸の内側が熱くなった。
「そんなわけ、ないだろ」辛うじて出した声は酷く枯れていた。口の中、まだ政岡の舌の感触が残っていて口が閉じれなかった。呂律も回っていないだろう。
 それでも、段々冷静になってくる。こいつにしでかされたお陰で。

「……教えてやるよ。俺と岩片もゲームしてたんだよ、逆にお前らを落とせたら俺の勝ちって。それができなかったら俺の負け。……お前は、それに引っかかっただけなんだよ」

 隠すつもりもなかった。いまのキスが引き金になったのは間違いない。こいつはなにかを勘違いしてる。
 それはあまりにも決定的で致命的、だったら、それを正す。じゃないと本当に、食い潰される。そう思ったから。

「俺は、一度でも本気になったことなんてねえよ」

 影を落とした政岡の表情がどんなものなのか、俺には見えなかった。自分が酷いことを言ってる自覚はあった。けれど、俺たちの場合は。

「……お前を勘違いさせたんなら悪かった。けど、お前だって同じだろ?ゲームで勝ちたくて俺に近付いてんのは知ってたし、お互い様だろ」
「……」
「……けど、もうやめようぜ。お前だって、しんどいだろ。別に好きでもねえやつに必死になんの」

 俺だって、こんな風にキスされて、押し倒されるのはもう懲り懲りだ。勘弁してくれ。これ以上は本当にどうにかなってしまう。叫び出したい本心を必死に殺した、なによりも、こいつが怖かった。

「そんなに勝ちたいってんなら……いいよ、もう疲れたしお前を勝たせてやるよ。それで終わりにしようぜ」

 それは、最終手段だった。
 こいつらの玩具にされるなんて冗談じゃねえと思ってたけど、思いの外俺のメンタルはそう丈夫ではないらしい。もう放っておいてほしかった。けれど、そうさせてくれないというなら終わらせるしかない。
 もう、ゲームなんてどうでもいい。勝敗なんて。
 ヤケクソだった、ああ、そうだ。もう、どうでもいい。知るか、クソ食らえだ。そんな気持ちで政岡に提案した、笑って、なるべく声が震えないように明るい口調で。
 なのに、あいつは笑わない。それどころか、肩を掴まれる。

「……ま、さおか?」
「終わりにさせたいんだろ?」
「そ、うだけど、なんで」

 なんで、脱いでるんだ。
 着ていたシャツを脱ぎ捨てる政岡に、血の気が引いた。
 笑顔なんてない、けれど、全身から滲み出るそれは限りなく怒りに近い。

「じゃあ、一緒に終わらせるか。……尾張」

 鼓膜に流れる地を這うようなその低い声に、キスで散々熱を持ち始めていた下腹部がじわりと痺れた。

「っ、待て、お前、人の話……んんぅ……っ!」

 聞いていたのか、と言い終わるよりも先に唇を塞がれる。柔らかく噛まれ、音を立て、吸われる。熱い唇に吐息ごと吸われ、もみくちゃになって抵抗しようとするが、やつのでかい手のひらに顎をがっちり掴まれればビクともしない。
 舌が触れる。クソ、逃げなければ。そう思うのに、やつの舌から逃れられない。硬く継ぐんだはずの唇ごと抉じ開けられ、太い舌が咥内へと入ってくる。

「ん、ぅ……ふ……ッ」

 上顎から内頬、歯列をなぞられる。太い舌から逃れようとするが、更に深く口づけされ、舌根ごと絡め取られる。付け根から先っぽ、粘膜同士を擦り合わせるように蠢くやつの舌から逃れることができなかった。
 クソ、クソ、なんで、こんなことになってんだ。
 息を乱される。舌の先っぽを強く座れるだけで頭の中が熱くなって、腰が痺れた。舌が絡み合う都度口の中では唾液が混ざり合い、じゅぽじゅぽと品のない音が響くのが余計堪らなかった。耳を塞ぎたいのに、それすら許されない。

「……っ、ふ、んんぅ……ッ!」

 口の中を隈なく舐め回される。喉の奥、敏感な上顎を這いずる舌に目の前がチカチカと点滅し、次第に呼吸が浅くなる。唇の端から垂れる唾液ごと音を立てて舐め取る政岡は、俺の抵抗が弱まったのを見て唇を離した。

「ま、さおか……ッ」
「……」
「っ、ぅ」

 顎を固定していた手に、顔の輪郭、頬を撫であげられる。硬く、熱い手のひらの感触に、こちらを真っ直ぐに見据えるやつに、覆い被さる影に、全身が強張る。
 厭でも、やつがなにを考えてるのかわかった。
 欲望隠そうともしないその粘り付くような視線に、呼吸に合わせて上下する上半身の筋肉、そして先程よりも明らかに濃くなった雄の匂い。
 ――こいつ、本気か。

「や、めろ……ッ、政岡……ッ!」
「それも、演技なのか?」
「ち、が……っ、ぁ……ッんん!」

 何度も角度を変えて唇を重ねられる。背中を掻き毟るように強く抱き寄せられれば、隙間なく密着した上半身越しにやつの心臓の音、熱までもがより鮮明に伝わってくる。熱い。溶けてしまいそうだ。何度も噛まれ、執拗に舐められ、頭の中までもその舌に掻き回されてるような錯覚に陥た。

「んぅ、ふ、んん……っは、ぁ、まさ、おか……っ」
「っ、……尾張……」

 上気した頬は赤い。興奮で潤んだ政岡の目が悲痛に歪む。それも一瞬、離れた唇はまたすぐに吸い付いてきて、跳ねる体ごと抱き込まれれば逃れることができない。
 最早どちらの唾液なのかすらわからない、後頭部を掴まれては深く口づけられ、舌の根ごと絡め取られ先端までねっとりと愛撫される。先っぽを甘く吸われるだけで頭の芯がびりびりと痺れ、あっという間に腰に熱が集まっていった。
 それに気付かれなくて身を捩るように腰を引いたとき、舌が引き抜かれる。ふやけた舌先と、あいつの舌に太い唾液の糸が流れるのが見えて、顔が熱くなった。

「あいつと、笑ってたのか?――全部、あいつのためだったのか?」
「そ、れは」

 とっさに、違う、とは言えなかった。
 口籠る俺に、政岡の目がすっと細められる。そして、そこに浮かぶのは自嘲的な笑み。

「……馬鹿みてえだな、俺」
「っ、ぁ、待て、政岡……っ」
「けど……お互い様か」

 そうだな、と吐き出す政岡の声が酷く悲しそうに響いた。それも一瞬のことで。腰に回されていた腕にぐっと抱き寄せられる。瞬間、下腹部までも密着し、先程まで感じていた違和感は更に大きくなって押し付けられた。
 ごり、と衣類の上からでも分かるほど勃起したそこに息を飲む。やめろ、と伸ばした手すらも取られ、さらに股間同士を擦り合わせるようにねっとりと抱かれ、体が震えた。 

「こんな状況でも全然萎えねえんだわ……なぁ、わかるか?相手がお前だからだ」

「尾張」と、政岡に耳朶を啄まれ、全身の血が沸くように熱くなった。逃げたいのに、腰を引こうとすればするほど更に密着する体に、耳朶、そして凹凸をねっとりと舐める舌に、息が止まりそうになる。

「っ、なに、考えてんだよ……こんな、真似……っ」
「言っただろ。……終わらせるって」

 吹きかかる吐息の熱さに、目眩を覚えた。耳から首筋へと落ちる舌に、どさくさに紛れてベルトを掴むその手に、「やめろ」と慌ててやつの胸を押し返す。

「正気か、お前っ」
「……ああ、そうだよ。お前は演技だったのかもしんねえけど、俺は……本気で……っ」
「な、に、言って……っ、やめ、んんっ!っ、は、ぁん、ぅ……まさ……おか……ッ」
「本気でお前のこと……っ!ああ、クソッ!」

 衣類越しに尻を鷲掴まれる。
 痛いほど食い込む指先に、苛ついたような声に、全身が硬直した。ぐ、と割れ目をなぞるように這わされる太い指先に、股間に押し付けられるそれに、息を飲む。
 顔を上げればすぐそばにはまっすぐにこちらを見下ろす政岡の目があって。混ざり合う吐息。劣情を隠そうともしない政岡に、ぞくりと背筋が震えた。

「好きだ、お前が、お前が俺のこと嫌いでも、俺はずっと……っ」

 好きだった。
 そう、濡れた唇は確かにそう動いた。

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