馬鹿ばっか


 28

「っ、なんだよ……これ……」


政岡の顔色が変わる。呆れたような、悲しむような、怒ったような、様々な感情が入り混じったその声に、ああ、と思った。見られた。こんな、昨夜色んなことがありましたと言わんばかりの体を見られてしまった。
誤魔化しなんてもう通用しない。

――最悪だ。よりによって、なんで、こいつに。


「……お前……それでいいのかよ、あいつの、言いなりになって……こんな……ッ」


政岡の中での俺はどんだけ哀れなやつになっているのだろうか。
政岡の口にする言いなりという単語には違和感があった。
確かに俺は言いなりだった。けれど、昨日に限ってはそうじゃない。だからこそそうなったのだと言えば、政岡はどんな顔をするのだろうか。
……思ったが、バカバカしくなってやめた。


「お前に関係ないだろ……離せよ」

「尾張、俺は……」

「おい、離せって……ッ!」


部外者にとやかく言われることは勿論、こんな姿を他人に見られて哀れまれるのはもっと嫌だった。
腕を掴んでくる政岡を振り払おうとするが、離れるどころか強く引っ張らた。背中に当たる固い壁の感触。目の前には、死にそうな顔をした政岡。


「っ、おい……っ」


退けよ、と厚い胸を押し返そうとするが、離れない。壁を突く政岡の腕に邪魔され、その場を動くこともできなくて。
顔を、見られたくない。そう思うのに、あいつの目は、こちらを真っ直ぐ見て離さない。
そして。


「お前……っ、あいつのことが好きなのか……?」


「ッ、は……?」


素っ頓狂な質問してくる政岡に、つい俺はアホみたいな声を出してしまう。どうして、好きとか、嫌いとか、そんな話になるんだ。呆れ果てる俺に、構わず政岡は「好きなのかどうかって聞いてるんだよ」と尋ねてくる。
岩片、のことを言ってるのだろう。
そんなこと、ろくに考えたことなかった……わけではない。昨日、岩片に強要されたとき、俺は既に答えを出していた。


「な、に言ってんだよ……そんなの……」

「……」

「……そんなの……」


汗が流れる。冷房だって利いてるはずなのに、政岡に見られてると嫌な汗が滲むのだ。
そんなの、決まってる。俺は、岩片のことをそういう対象として見れない、はずだ。けれど、そんなことをこいつに言えば、その先の展開は見えている。それは俺が最も避けたい道だった。
ならば、ここでの答えは一つしかない。


「……ッ、す……きだ……」


岩片は、いない。本人はいないはずなのに、その言葉を口にするってだけで心臓はぎゅっと痛くなる。全身の血液が湧いたみたいに熱くなる。政岡に見られてるから、余計かもしれない。

……どうしたんだ、俺。なんで、こんなに心臓痛いんだよ、ただ好きって言っただけなのに。
必死に鼓動を抑えながら、俺は政岡に睨み返した。


「悪いかよ、好きだよ……ほら、これで文句ねーだろ。……だから、もう、いい加減に……」


離せ、と言い掛けた矢先のことだった。
ピピッと無機質な音が聞こえてくる。それは政岡からでもなく、もっと離れたところからだ。


「……あ?」


違和感に気付き、音のした方を振り返ったときだ。
そこには、いつの間にもう一人の部外者の姿があった。
息が、思考が停止する。


「っ、まじか……尾張、とうとう会長さんと……うわーやっぱり最終的に生徒会長様に落ちるのが安牌ってわけだな!俺的には全然ありだよ!よくやった尾張!」

「ご、五条……お前、それ……」


今までどこに行ってたんだとか、言いたいことは色々あったがそれよりもだ。やつがこちらに向ける、その手に握られたそれは携帯端末で。そのレンズはしっかりと俺達を捉えていた。
もしかして、今の音は。血の気が引く。


「まさか尾張の方から会長さんに告白するなんて大スクープの場に居合わせられるなんて、久し振りに外の空気吸いに散歩しにきた甲斐あったよ。流石俺、すげーツイてる!」

「っ、告白って、誰が……誰に……」

「だから、尾張が会長さんに……」


最悪だ、と考えるよりも俺は、目の前の政岡を突き飛ばし、五条から携帯端末を奪おうとする、が。
政岡に止められる。なんで、と失望するよりも先に、五条は高らかに笑う。


「ぅおっと……お前のグーパン効くからまじで怖えんだよな……。悪いけどこればかりは渡せねえな。生徒会の皆様にも使えるようなこんな大スクープ、そうやすやすと手放すわけにいかないだろ」

「テメェ……」

「悪いな尾張、まあ邪魔者は立ち去るからあとはごゆっくり!俺はたっぷり稼がせてもらうとするぜ!」


勝手なこと抜かして脱兎の如く逃げ出す五条。
絶対逃がすものか。そう追いかけようとするが、政岡がそれを許さない。さっきから、この調子だ。何も言わない分気味が悪くて、それ以上に、イライラした。
このままでは俺だけではない、政岡だって被害に遭うかもしれないってのに、なんでだ。


「っ、おい、政岡、離せ、あいつが逃げるだろ!」

「……」

「政岡!」

「……俺は、構わない」


ようやく喋ったかと思いきや、そんなことを口にする政岡に耳を疑った。「勝手にやらせておけ」と言わんばかりのその態度。そこで、理解する。こいつが何を考えてるのかを。


「っ、お前……まさか……」


このまま、俺が政岡に告白したつもりにする気か。
確かに、そうすれば勝ちは政岡で決まりだ。本人からしてみれば棚からぼた餅だろう。ゲームは一人勝ち。周りからはちやほやしてさぞかし気持ちいいだろうが俺からしてみればどうだ。……こんなこと、はいそうですかよかったねと許せるわけがない。許す要素もない。
頭に血が昇る。気がつけば、政岡の胸ぐらを掴んでいた。


「っ、いい加減にしろ」

「……尾張は、あいつのせいでおかしくなってんだよ。……普通じゃねえよ、お前ら」

「それはお前もだ!」


話し合いでは埒が明かない。そう判断し、思いっきり拳を握りしめ、その頬目掛けてぶん殴る。政岡は避けようともしなかった。けれど、怯みもしなかった。まるで、最初から殴られることを分かっていたかのように。ただ、俺を見て、それでも手を離してくれなかった。


「っ、……ああ、そうだよ……俺もどうかしてるよ……」


やつの左頬が赤くなる。その痛みからか、そう口にする政岡の声は震えていた。自虐的な言葉。泣きそうな顔。なんだこいつ、と思いかけた矢先、抱き締められる。ぎょっとして慌てて突き返そうとするが、腕を抑え込まれ、がっしりと抱き締められた。自分よりもでかい男に抱き締められても恐怖しかない。はずなのに。


「おい……ッ」

「お前が好きだ、尾張……ッわけわかんないぐらいお前のことばっか考えてる……お前が辛い顔してると、こっちもどうしようもなくなるんだ」


「好きなんだ、尾張」肩口に顔を埋める政岡。やつの口から吐き出されるその言葉に、息が浅くなる。圧迫感、とはまた違う。心臓ごと締め付けられるような感覚。振りほどけばいい。政岡は、俺を痛めつけることはしない。なんなら、また殴ってやればいい。前みたいに急所を狙えば逃げられるはずだ。ぐるぐると思考が巡る。
けれど、いい年した男の弱気な姿を見てると、駄目だった。引き剥がすことなんてできなかった。


「っ、お前、おかしいよ、まじで……こんな状況で……」

「ああ、そうだ……そんなこと俺が一番知ってんだよ」


なら、どうして、なんて聞くことはしなかった。
自覚しておきながら、それでも道を踏み外す。何が正しいのか分からなくなる。そんなやつには見覚えがあったからだ。間違いなく、政岡は自暴自棄になってる。
……昔の俺と、重なるのだ。

けれど、だからこそ、手綱を取る人間が必要だった。上から押さえつけ、それで、誘導してくれる人間が。
俺の場合は岩片がいた。
けれど、こいつ、政岡にはそんな人間はいない。


「お前とあいつが一緒になってお前が辛い顔するくらいなら、俺は……――何がなんでも引き裂いてやる」


理性役として働く部分の欠如。
それが、俺と政岡の決定的な違いだった。

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