馬鹿ばっか


 46



人質と聞くと、俺はまずニュース番組を思い出す。
立て籠もりの人質事件とか、身代金要求とか、どれもろくでもない連想しか思い浮かばないが、俺と岩片のはまさにそれだろう。

人質は俺で、犯人は岩片。
要求するのは、楽しいこと。





『お前、馬鹿だろ』


例えばそれは少し昔に遡る。
とはいっても酷く懐かしむようなほど昔でもないし、記憶にもまだ新しい。
初対面早々、今と変わらない妙ちくりんな格好をした岩片は俺を見るなりそんなことを言った。

馬鹿みたいに豪奢な理事長室の扉の前。
そのとき俺は退学を言い渡されたばかりだった。
けれど、別にそれに対してどういう感慨もなくて、そんな俺を出迎えたのがろくに話したこともないような岩片で。


『あんなやつらに退学させられて、自分の経歴汚させるのかよ。ドMかよ』


正直、驚いた。
全員が俺を黒だと言い張っている中、そんなことを言い出す奴がいて。
驚いたが、そんな奴がいたところで目障り以外の何者でもない。


『別に関係ねえだろ』

『関係なくねえよ、悪いけど』


俺の目の前に立ち塞がった瓶底野郎は言うや否や写真を取り出した。
目の前に突き付けられたそれは数人の生徒が写り込んでいて、俺にとって見覚えのあるもので。


『高津嶺基、夜来光、巴馬勝杵、街丘愉。今回の被害者名乗ってる連中、全員恐喝常習犯だろ』


まだ耳新しい名前の数々に、思わず顔の筋肉が強張った。
写真には一人の生徒を取り囲んでなにやら話しているやつらや、中には暴行途中とも見られる写真もあった。

確かに、恐喝だか後輩虐めが鬱陶しいやつらだった。
噂には聞いていたが、対して興味もなかった。
それは、実際にやつらをぶん殴ってしまった今も変わらない。


『へーよく撮れてんのな、俺の写真ねえの?』

『お前、悔しくねえの?他人に言いように人生掻き回されて』

『……別に?』


寧ろ、俺からしてみたらわざわざ俺に対してこんなことを言ってくるこいつの頭の方が気になった。
全く悔しくないと言えば嘘になるが、それは退学云々ではなくどうせ恐喝犯に仕立て上げられるのならあいつらの骨を全部折ってやってやっといた方が信ぴょう性が増すかもしれなかったのに、という後悔だ。
こんな学園に通っているこの瓶底眼鏡にとっては経歴云々が大切なのだろうが、俺にとっては全く問題ではない。
現に、俺の経歴はここに来る前からとっくに汚れているのだから。


『つーかさ、おたくなんなわけ?そんなに俺の気惹きたいの?わるいけど、俺可愛くて巨乳の子しか受け付けない主義だからさ』


面倒なのに絡まれた。
適当に撒こうか、なんて思っていつものように即席で作った笑顔であしらおうとすれば、その瓶底野郎、もとい岩片凪沙は俺の隣をすり抜け、理事長室の扉を開いた。


『尾張元の退学処分、ちょっと待っていただこうか!』


背後から聞こえてきたざわめきと岩片の声に『え?』と目を丸くしたときにはもう遅く、集まった教師たちを掻き分けるようにしてズカズカと理事長室の中まで足を踏み入れたやつは理事長と対面していた。


『おい、ちょ、おい!なにやってんだよ!おい、そこのもじゃもじゃ!』


まさかまじで乱入するとは思わなくて、あまりの動揺に全身から変な汗を滲ませながら後を追って追い出されたばかりの理事長室に戻れば、更に理事長室内はざわつくばかりで。
なにより、岩片は既に理事長に先ほどの写真を叩き付けてる最中で。


『おい、あいつ……!』

『なんであいつがあんなもの……』


ざわつく理事長室内。
集まっていた高津たちはいきなり現れた岩片に青褪める。
時既に遅し。
岩片が動き出した今、既に物事は軌道修正が計れないほど道を踏み外していた。


『今まで校内で発生した恐喝、暴行、カツアゲの本当の犯人はそこで被害者面したやつだ。既に本当の被害者たちからは調書も取っている。ここにクラス番号書いているから直接聞きたきゃ聞けばいい』

『なにを言ってんだよ、言いがかりは止めろ。口裏合わせてハメようったって……』


慌てて反論する高津たちに、岩片凪沙は『口裏ねえ』と笑う。
口角を釣り上げただけの、怪しい笑み。
その笑顔にぞくりと嫌なものを感じた時、岩片は制服の裾をたくし上げ、腹部を露出させた。


『あんたらは気をつけてたみてえだけどさ、腹のアザって結構残んだよね。ほら、見ろよ。あんたらが付けてくれた傷、こんなにしっかりと残ってんだよ』

『そんなアザ、俺ら知らないから、なあ?』

『自分でつくった怪我、俺らのせいにしてんじゃねえよクソもじゃ!』


『本当、つくづく予想通りな奴らだな』


喚く連中に溜息を吐いた岩片は『仕方ねえな』と制服に手を突っ込み、更に数枚の写真を取り出した。


『これは……』

『理事長、これ証拠ね。俺がこいつらにリンチされかけたって証拠』


岩片の言葉に、俺は目を見開いた。
そう言ってテーブルの上に拡げられた写真は囲まれている岩片や、腹を殴られふらつく岩片。まさに反抗現場がしっかりと記録されていて。
まさか、あの場にカメラを仕込んでいたとは思わなかったし、なによりあまりにも用意周到な岩片に驚いたのだ。
そんなやつに驚愕するのは俺だけではなく、先ほどまで余裕綽々だった連中も、新しく出てきた決定的な証拠に死人のような顔をしていて。

あまりにも、決定的すぎたのだ。
このために殴られたのではないだろうか。
そう、疑いたくなるくらい。


『これで十分だろ。尾張元は恐喝犯でもなければ金銭も奪っていない。全部こいつらの自作自演だ』

『ちょっと待て、でも彼らは実際に怪我をしているんだぞ。彼に殴られて』

『その証拠は?全員グルなんだからお互いを殴り合うことくらい簡単だろ』


当たり前のように平然と答える岩片に、やつらは『そんな馬鹿な』と青褪めた。
多分、目の前のやり取りを眺めていた俺の顔を変なことになっていたに違いない。


『尾張元はこいつらにボコられてた俺を助けようと仲裁に入った。せっかくの獲物を邪魔されて逃がして、それがムカツイてこんな真似したんだろ。全てこいつらの企みだな。尾張元は被害者であり、寧ろ褒められるべき人間だろ?なあ、理事長。まさかこいつを本気で退学にするんじゃないだろうな』


息もつく暇を与えず、矢継ぎ早に言葉を並べ責めたくる岩片に気圧されていた理事長はソファー椅子に背をもたれかけたまま岩片を見上げ、そして小さく息を吐いた。


『……凪沙、お前が言いたいことはよくわかったが、私の机は椅子ではないぞ』

『これ丁度いい高さなんだよな、ケツの位置に』

『行儀が悪いと言っているだろう、二人きりの時ならいいが、皆がいる前だ。せめてちゃんと立て。あとで茶菓子やるから』


きっと、その場にいた全員が交わされるなんとも力抜けるようなやり取りに度肝抜かされていただろう。
ポーカーフェイスと評判の俺でさえ、フレンドリーな二人の空気に顎が外れそうになったのだから。


『しかし凪沙、ご苦労。よく間に合ったね。今回はもう無理だと思ったぞ』

『あ、あの、理事長……?』

『なんだ』

『そ、そこの生徒は一体?』


あまりにもただの理事長と生徒というには仲がよすぎる二人に教師陣も混乱してるらしく、一人の男性教諭が恐る恐る尋ねると『ああ』と理事長はなんでもないように答えた。


『俺の甥。可愛いだろう?』


似てない、という無味乾燥な感想は置いておいて、どこをどうみたら可愛いのか俺には理解できそうにない。一生。

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