01
「……」
「……すー……」
一瞬、夢でも見ているかと思った。
カーテンの隙間から差し込む日差しに目を覚ました俺がまず見たものは、くっつくように眠る大きな男だった。
長い前髪のそいつは、間違いない。阿佐美だ。
「し、詩織……詩織」
なんでベッドに入ってきてるんだ。
まさか寝惚けて間違えたのか。
色々疑問はあったが、抱きまくらかなにかのように抱き締められている今、身動き一つ取れないわけで。
気持ち良さそうに眠っているのを妨げるのも申し訳ないが、流石に大きな男に抱き締められるというのはなかなかの苦行だ。
そっとその薄い胸板を押し返すが、ビクリともしない。
それどころか、規則正しい寝息が聞こえてきた。
……こうなった仕方ない。
転校早々『男に抱き締められていたせいで遅れました』なんて遅刻の言い訳はしたくない。
意を決し、腰に回された阿佐美の腕を外せば、思ったよりもすんなり阿佐美の腕から抜け出すことができた。
ベッドから落ちそうになりながらも、なんとか堪えた俺はそのままベッドの阿佐美を振り返る。
「……」
それにしても、何故阿佐美は俺のベッドに潜り込んでいるのだろうか。
気になったが、阿佐美の寝顔を見ていたらどうでも良くなってきた。
暗くて間違えたのかもしれない。
……そう自己完結し、俺は着替えることにした。
転校してから二日目。
幸先はいいとは言えないが、それでも、ただぼんやり過ごすなんてことはしたくなかった。
身支度を済ませた俺は、正直やることがなくなってしまい暇を持て余した。
テレビニュースを見て次官を潰すのも勿体無い気がして、考え結果、俺は登校時間まで寮内を探検することにする。
志摩が一緒にいたら、とも思ったがあいにく俺はまだ志摩の連絡先も部屋も分からない。
迷子になったら元も子もないし、少しだけ見てすぐ戻ろう。
なんて思いながら、廊下に出る。
「……」
まだ活動し始めるには早い時間帯。案の定、学生寮内はしんと静まり返っていた。
なんだか、ここまで静かだといくら綺麗でも怖いな。こそこそと廊下を歩き出した時だった。
曲がり角のその奥、ぬっと現れた人影に「うわあっ!」と間抜けな悲鳴が口から出てしまう。
「え、なになに、びっくりしたー」
続けて聞こえてきた緊張感のないその声に、恐る恐る目を開けばそこにいた人物の姿に驚いた。
「……十勝……君?」
「あれ?佑樹じゃん、早起きだなーお前も。一緒一緒!」
「あ、う、うん……」
朝っぱらから変わらずフレンドリーな十勝の登場にまだ心臓は収まらなくて。
ドキドキと煩い心臓を抑えたまま、俺は正直生きた心地がしなかった。
「十勝君……もう制服着替えてる……」
「今日は朝から会議があるらしくてさぁ、このまま行かないといけないんだよ。本当、面倒だよなー」
そういえば、十勝は生徒会の、それも書記と言っていた。
会議では居てはならない存在だということだろうが、それでもまだ目の前の十勝を見てると真面目に生徒会活動してる十勝が想像つかない。
「あ、ならもしかして急いでるんじゃ……ごめん、呼び止めて」
「あ?いいのいいの!つーかあんま早く行ってもやることなくて暇だしさ。……何?佑樹は転校の緊張で早起きしちゃった系なわけ?」
「う……」
「ははっ!図星かー!ま、皆そう言ってるもんなぁ、特に寮だと色々変わってくるしな
「そうだね……枕とか……」
「枕かよ!佑樹ってじじいっぽいところあるな〜」
「えっ?!そ、そうかな……」
大らかに笑う十勝。
遠慮ない分、歯に衣着せぬその物言いが逆に気持ち良くて不思議と悪い気持はしなかった。
見た目に反して、志摩とはまた違うその親しみやすさを持つ十勝にいつの間にか自分の緊張が解れていくのが分かった。
「あ。そうだ、困ったことがあったら俺に言えよ!楽なのならなんとかしてやっから」
ふいに、そんなことを言い出す十勝。
昨日聞いたばかりのそのセリフには覚えがあった。
「……五味先輩がそう言えって?」
「せいかーい」
普通ならば隠すか誤魔化すかするはずなのだろうに、それをしようともしない十勝はいっそ清々しい。
派手な外見と軽い言動から少し敬遠していたが、明るくて屈託のないその性格は寧ろ俺にとって有り難いものだった。
「別に言わないよ」
「だよなーっ。だって佑樹そんなこと言うような奴に見えないって」
「そ、そう……かな……」
「そうそう!ま、そーいうの抜きでも全然話し掛けてくれていいからさ!」
「あ、勉強とかそういうの以外で」愉しそうに笑う十勝に、つられて俺は笑ってしまう。
勉強が苦手なのだろう。
俺も、あまり褒められた成績を取ったことがないので少し親近感が沸いた。
「うん……ありがとう、十勝君」
「いいよいいよこれくらい……っと、じゃあ俺そろそろ行くかな」
「あ、引き留めてごめんね」
「いいって、いいって。それじゃ、またな」
そう、俺に手を振りながら十勝は歩いていく。
……たまたま出会ったのが十勝でよかった。
少しだったが、十勝と他愛ない会話のお陰で肩の緊張が解れたような気がした。
少し早いがそろそろ、部屋に戻るか。
十勝の立ち去ったあと、静かな廊下を歩いて自室へと戻る。
時間までまだある。一度部屋に戻れば相変わらずの阿佐美のイビキが聞こえてくる。
「詩織、詩織……」
何度か声を掛けてみるが、ぐっすりと眠っているらしく俺の声に反応はない。
一緒に授業を受けたいというのもあったが、無理に起こすのも忍びない。
諦め、テレビをつければ丁度星座占いがやっているところだった。
占いを信じているわけではないが、ほんのちょっとした好奇心だった。
何気なく眺めていると俺の星座は最下位だった。
まあ……これで人生全てが決まるわけではない。
少し落ち込んだのも事実だが、俺はそれを見なかったことにし、テレビを消した。
そんなときだった。インターホンが響く。誰か来たようだ。
阿佐美の知り合いだろうか。
迷ったが、阿佐美は起きる気配もないしこのまま無視するわけにもいかない。
慌てて玄関口へと向かい、「はい」と扉を開けば、そこには予想外の人物が立っていた。
「……志摩?」
「おはよう、ゆっくり寝れた?」
クラスメートの、確か……志摩亮太。
既に制服に着替えていた志摩は、俺を見るなりにっこりと微笑んだ。
もしかしなくても、迎えに来てくれたのだろう。
約束もしなかったのにわざわざ来てくれるなんて……。
以前の学校ではこんなことなかったため、驚いた反面、嬉しかったのも事実だ。
「うん、ぐっすり寝れたよ」
目覚めはとてもいいものとは言えないが。
答えれば、志摩は「そっか、それならよかった」と嬉しそうに目を細める。
「もしかしたら起こしたかなとも思ったんだけど、齋藤ももう準備ができてるみたいだね」
「少し早く目が覚めちゃって……どうしようかと思ってたところだったんだ」
「丁度よかった。道がわかんないかもしれないと思って案内ついでに早く迎えに来てみたんだよ。……迷惑だった?」
尋ねられ、慌てて俺はくびをは横に振る。
確かに戸惑いもあるが、右も左も分からない今、志摩の好意は素直に有り難い。
「ううん、ありがとう。……助かるよ」
「そう言ってもらえてよかった。それじゃあ、早速だけどもう行ける?」
「あっ、待って……カバン取ってくるよ」
「了解。それじゃここで待ってるね」
カバンを取りに一度部屋に戻れば、丁度、阿佐美がベッドから起き上がっているところだった。
「……ゆうき君?」
掠れた、欠伸混じりの声。
扉の音に気付いた阿佐美は、こちらを振り返る。
「おはよう、詩織」
「……おはよう、ゆうき君。……早いね」
「うん、今日は転校して二日目だから……早い時間帯に目が覚めちゃって」
「……ああ、そうか、そうだよね」
言いながら、再びベッドの上に横になる阿佐美。
……やはり、このまま登校するつもりはないらしい。
せっかく起きたのに、と少し残念に思っていると「おーい、齋藤ー」と扉の外から志摩の呼ぶ声が聞こえてきた。
その声に反応するかのように、阿佐美が布団から顔を出した。
「何、あいつ……来てるの?」
「え、あぁ……うん、案内してくれるって」
「……」
あいつというのは言わずもがな志摩のことだろう。
それだけを言えば、阿佐美は無言でもぞもぞとベッドから起き上がる。
まさか、と、驚いている内にスウェットを脱ぎ、Tシャツに着替える阿佐美。
まさか、まさか。
と、一人立ち往生してると。
「……俺も、行くよ」
何がどうやる気になってくれたのかは知らないが、着替えた阿佐美はそう口にした。
正直、嬉しい。
一緒に登校したいという気持ちもあったから阿佐美の行動は素直に感動したが、阿佐美、学校へ行くのになんで思いっ切り私服なんだ。
思いながらも最後まで突っ込めないまま、俺はカバンを手に阿佐美と部屋を出た。
それから間もなくして、阿佐美と志摩の仲がよろしくないことを思い出すが何もかもが遅かった。
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