天国か地獄


 01

 志摩とともに空き教室を出たのはいいが、いまさらだけどこの服装、すごい浮いてないだろうか。
 というか胸元開きすぎなんじゃないのか、校則ではボタン開けていいのは上から二つまでと定められていたはずだけど。

「……志摩」

 校舎内、無人の廊下。
 不安になって、前を歩く志摩の制服を引っ張る。
 こちらを振り返った志摩は呆れたように浅い溜息を吐いた。

「あのさ、俺の名前呼んでくれるのは良いんだけどすぐにバレちゃうからなるべく喋らないでね」
「わか……っ」

 言いかけて、慌てて口を閉じた俺は頷き返す。
 そうか、そうだよな。変装までするということはバレないようにしなければならないんだ。
 そう思えば思うほど謎のプレッシャーに押し潰されそうになって。

「うん、それでいいよ」

「俺も齋藤の名前は呼ばないから」と笑う志摩はどこかまだ余裕がある。
 というか、もしかして楽しんではないだろうか。
 そう、どことなくワクワクした志摩を勘繰っていると、

「あ、ちょっと待ってて」

 何かを思い出したように立ち止まった志摩。
 そのまま携帯を取り出し、少し離れたところで電話を掛け始めた。
 声までは聞こえなかったが、何かを話している時の志摩は笑顔で。
 誰と話しているのだろうか。なんて、少しだけ気になって聞き耳立てようとしたら通話を終えたようだ。
 携帯を仕舞った志摩はすぐに戻ってきた。

「それじゃ、行こうか。伊藤」
「うん……えっ?」
「名前呼ばないってのも不便でしょ?だから、これから齋藤は伊藤だからね、間違えないで」

 いきなり誰と間違えてんのかと思えば、なるほど、齋藤だから伊藤か。

「志摩って……」
「なに?」

 ネーミングセンスないというか、なんというか。

「いや、なんでもない」

 なんてこと、本人に言ったら何言われるかわからないので俺は自分の中に留めておくことにする。

「今から俺は方人さんの部屋に行く」

 裏口から校舎を後にした俺達は、人気のない校舎裏を歩いていた。
 そんな中、突然の志摩の言葉に思わず俺ば「えっ?」と足を止める。釣られるように、立ち止まった志摩は俺を振り返った。

「だからその間、伊藤はさっき方人さんたちがいた部屋を探って欲しいんだ」

 伊藤って誰だと一瞬こんがらがってしまったが、そうか、俺、伊藤という事になるんだった。
 ……じゃなくて。

「それって、でも……」

 先程、戻ってこない志摩を追ってあの部屋に入った時のことを思い出す。
 人気はない荒れた部屋の中、いたのは芳川会長だけだったはずだ。そのことは一目瞭然だったから、俺も会長の言葉を信じたんだ。
 だけど、志摩には思うところがあるようだ。

「阿賀松の方は教師たちの目があるから下手に動けないだろうし、会長もあの通り。面倒な安久たちも伊藤のことは目を瞑ってくれるはずだから一先ず安心してもいいだろうね」

「要するに、一番気を付けたいのは方人さんだけ。それは俺が引き受けるよ」あくまで他人事のように続ける志摩。
 つまり、一度志摩と離れなければならないという事だ。
 いくら変装しているとはいえ、単独行動が不安ではないというわけではなかったが、それ以上に、縁の元へ向かうという志摩のことが気掛かりで。
 どうしても、志摩に縁から庇ってもらった時のことを思い出してしまうのだ。痛々しい生傷を負った志摩を。

「……何か言いたそうだね」

 押し黙る俺に、志摩も勘付いているのだろう。
 そのくせ、わざわざ尋ねてくる志摩の性格もそろそろわかってきた。
 それでも。

「……志摩、大丈夫なのか?」

「俺?」と驚いたような顔をする志摩だったが、すぐに「ああ、この前のことね」と笑った。

「心配してくれるのは嬉しいけどさ、流石に相手は怪我人だからね。……出来るよ」

 なにが、とは言わない辺り、わざわざ深く聞く気にもなれなかった。
 それでもなにも言わない俺に、志摩は苦笑を浮かべた。

「それとも、俺じゃ不安?」
「……いや、大丈夫」

 信じるよ、なんて言ったら多分失笑されるだろうから出掛けた言葉はまるごと飲み込むことにする。

「……でも、ほんと、気を付けてね」
「はは、あんたに心配されるようになったら終わりだよね」
「な……っ」

 本気で心配している俺の気も知らずに茶化してくる志摩についムッとなれば、伸びてきた指に眉間を摘まれる。
 驚いて、目の前の志摩を見上げれば、こちらをじっと見据えていた志摩と視線がぶつかった。

「俺は大丈夫だよ」

 また、あの目だ。
 細められたその目の奥、深い瞳から志摩の気持ちは汲み取れない。
 だけど、この目を見ると不安になってくる。
 理由なんてわからない。直感的なものに過ぎないが、何か、志摩が故意に何かを隠そうとしているような気がしてならなくて。

「……」
「ほら、眉間に皺が寄った。もっと力抜きなよ」

 それも束の間。
 すぐにいつもの胡散臭い笑顔に戻った志摩はそう言いながら俺の額を指で弾いた。
 これがすごく痛くて、「ヴッ」と唸る俺に声を上げて笑う志摩になんだかもう振り回されている自分に気付いて情けなってくる。

「それより、こっちの方が心配なんだけどね。俺的には」

 一頻り笑い、目尻の涙を指で拭った志摩はそう言って制服のポケットから何かを取り出した。

「はい、これ」

 そう、差し出されたそれは見覚えのあるピンクの携帯端末で。

「……いいのか?」

 つい、そのまま受け取ってしまう俺だがよく考えると志摩はあれだけ気分を悪くしていたはずだ。
 それにも関わらず、俺に安久の携帯を返してくる志摩に戸惑わずにはいられなかった。
 それも、志摩の「いいよ」という許しによって吹き飛んだのだけれど。

「俺の番号入れてるから、何かあったらすぐに連絡して。絶対だよ」
「うん、わかった」
「栫井を見付けたらすぐに俺に連絡して。俺が迎えに行くまでその場を動かないこと。いなかった場合も下手に動かないでよね」
「わ、わかったよ……」
「本当に?」
「……本当に!」

 小さい子にお使いを頼むようなくらい念に念を押してくる志摩になんだか居た堪れなくなってくる。
 そんなに頼りないのだろうか、俺は。……まあ、頼りないのだろう。今までのことを考えると、確かに志摩の忠告とは反した事ばかりしてきたわけだからな。
 それを思うと、「ならいいけど」と渋々といった様子で頷く志摩に益々頭が上がらなくなってしまって。

「それじゃ、また後で」

 俯いたまま縮こまる俺の頭をパシパシと軽く叩き、軽く手を上げた志摩はそのまま学生寮の方へと向かった。その後ろ姿を一瞥した俺ば、安久の携帯を握り締め校舎へと向かった。

 home 
bookmark
←back