「なにに致しましょうか?」
ゆらゆらと灯を揺らすキャンドルも、ぽつりと輝くオレンジ色の照明も、スローテンポなBGMも。周りはひどく穏やかで、大人のムードなのに僕だけはひとり規格外だ。
「いつものやつ、頼むわ」
慣れた風にカウンターの奥へと声を掛ける横顔も色っぽい。 常連なのだろう。彼はバーテンダーに席を訊ねることはしなかった。
そわそわと落ち着きのない僕をバーへと連れ出したのは忍足侑士。
普段から大人っぽいとは思っていたけれど なんだか馴染み深い大人っぽさとはちょっと違う気がする。相乗効果だろうか?それとも単に、僕が知っている彼が上辺だったのか。
「不二はどないする?」
「えっと…」
考え事に耽っていたから唐突なフリに急いで答えを探す。
でも、生憎僕はオトナのお酒なんて知らない。 いつも会社の飲み会では生ビールか、家では缶チューハイやジュースみたいに甘い、これまた缶のカクテルだ。残念ながら、僕は星の数ほどあるカクテルの内ひとつもまともに覚えている名前がなかったのだ。
「強くないんやろ?キツいんはアカンなぁ」
後半は僕に言っているのかバーテンダーに言っているのか分からなかったけど、たぶん彼に任せてしまって良いのだろう。
「ほんなら、こっちの子に 甘めのカクテル頼むわ」
◇ ◇ ◇
ルジェのカシスとフランボワーズをクランベリージュースで割ったカクテル。 紅く色づいたカクテルを咽喉に流す不二はひどく扇情的だ。
「うん、すっごく美味しいよ」
「さよか」
濡れた唇がキレイに弧を描くのから目を逸らして、指先でロックアイスをくるりと回した。そうでもしないと気が狂ってしまいそうだった。
まったく、「こっちの子に、甘めのカクテル」だなんて とんだハッタリ。
本当のところは、このためだけに店と客以上に気心の知れたマスターと試行錯誤を重ねて選んだものだ。まるで姑のような跡部に不二の酒の好みをやたらとしつこく聞きこんで。 だから初めから不二に出すのは決まっていた。
子芝居踏んでカッコつけた俺をみて、マスターは分かるか分からないかぐらいに目を細めたけれど 不二の手前だ。知らんふりして頬杖をついた。
白くて細っこい指先が、マティーニグラスを最初に傾けた時の緊張はハンパじゃなかった。 通い慣れた店でなにが悲しくてこんなにも背筋を伸ばしているのか。と、内心自分でも呆れる。
「いつもの、って言ったとき別の棚からボトル持ってきてたけど、どうして?」
普段よりもぎこちない自分を不二に変に思われてはいないだろうか?そんな心配をしていたが、どうやらバレてはいないようだ。「そこの棚にも同じボトルあるのに」と、首を傾げる不二に一安心。
「ボトルごと先払いしとってん。ま、あれや。ボトルキープってやつや。」
「ふぅん…、ってことは常連さん?」
「せや、ひとりン時は大体ここやねん」
「そっか。へぇ、うん。」
「あ、あ、当たり前やん。不二とふたりきりやのに適当なバーなんてありえへんて!!!」聞かれてもいないし言う気もないので内心で勝手にそう付け加えて言う。当然、「え、なにそれ…ボトルキープとかカッコイイ…」と不二は不二でどもっていることなど気付く余裕などありはしなかった。
付き合い上、女の子とバーに行くことはあったけれどボトルキープするほどに気に入っているこの店に誰かを連れてきたのはこれが初めてだった。
悪酔いなんてマナー違反だけれど、閉店後でも通してくれるこのバーだから、ちょっとアルコール度数の高いこのウィスキーをキープしてもらっている。
「こんなところで野暮だけど、ボトルキープってなんでするの?」
「まぁ…あれや…量飲むんやったらショットで頼むんよりも断然お得やし…」
「ふぅん」
「せやけど、それ以上に“何度も通うて飲み切ります”いう証なんや。 とどのつまり、また確実に、しかも1度や2度やのぉて何度も来店してくれる客やって向こうもわかんねん。」
ほうっと納得したらしく頷く子が可愛い。 確かに少しばかり不躾な会話ではあったかもしれないが、それが嬉しかった。
バーに不慣れな不二に安心したのだ。
まったく誰の手も、というわけにはいかないまでもオトナの色に染まっていない初々しさが 胸を一層揺さぶってくる。かわえぇ。
まだ一杯目だけれど、もう攻めてもいいだろうか? いや、そんなのは愚問だ。 どうせもう止まれやしない―――…
「ほんまは不二も…キープしときたいんやけど…」
「えっ………」
ほろ酔いの頬がパッと一層燃える。
一瞬おやじ臭かったかと焦ったが、どうやら雰囲気に呑まれているのか悪くない反応をくれた。俯いてしまった不二の表情は見えないけれど、きっと顔を覆う髪を払えば、さぞかし可愛い顔をしているに違いない。
この反応やったら、打ち頃やんなぁ。
「忍足…それって…」
「俺、不二のことめちゃめちゃ好っきゃねん」
マスターもほかの客もいる。 だから真っ赤な耳に唇を寄せて囁いてやった。
「あのっ…僕も…」
思った通り、良さげな返答。でも、しどろもどろでちょっと可哀相になってきた。
「そない焦らんとき。続きは後でじっくり、や」
「なっ…」
わざと意味深に笑いかけたのは意地が悪かっただろうか? 救いの手を差し伸べるつもりで言ったはずが、ますます赤くなる不二の頭を苦笑いしながらそっと撫でてやって、マスターに声を掛ける。
「マスター、奥通してもろても構へんかな?」
「どうぞ、ごゆっくり」
「ほな、行こか。不二」
「え?…え、奥って…」
「俺に任せとけばええねん。」
不二の腰に手を回して促してしまえば、口ではどもるくせに従順に着いてくる。 ほんま、かわええやっちゃ。 もう完全に緩みきった頬は大層みっともないことだろうけど、もうこの際お構いなしだった。
そんな俺を見兼ねたマスターは―――…
(大人っぽい演出も台無しだな、激ダサだぜ)
(ええねん、ええねん。結果オーライや)
(スルことスルときはちゃんとそういう場所で頼むぜ?)
(わこうとるよ。それに―――…)
せっかくキープしたんや。 もっともっと長い目で、時間をかけて楽しまな勿体ないやん。
「なぁ不二。ボトルキープにはもうひとつあんねんて?」
「もうひとつ…?」
「他の客にはしないような、特別なサービスしてくれるんやて」
「サービス…」
「よろしゅう頼むで?ほんならまずは、」
俺と、付き合うてくれへん―――…?
ルジェカシス色に染まった不二は、そっと控えめなキスをしてくれた。
「喜んで…っ…」
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