12





「――から、……が……なことを……――」
「――……じゃない……、そんな……なかった――」

誰かが小声で喋っている。ぼそぼそとした雑音が耳に入って不快だ。おまけに水が流れる音もするし、妙にうるさい。
身体は自由にならないのに音が覚醒を促してくる。もっと寝ていたいのに――。
さざ波のように鼓膜を震わせる音の数々をしばらく聞いていたが、鈍い重みのする頭痛がだんだんと減るにつれて、眠る前のことを思い出してきた。

――そうだ。
俺は、射手の指輪のことを調べていて、その途中に、幹のねじれた大木の魔物に捕らえられたんだ。
ナズハに眠りの術をかけてもらったあと――ここはどこだ?

「……う」

寝返りを打つと、傍らで人が屈みこんでくる気配がした。

「アルド?目、覚めた?」
「……?」

必死に目を見開いて声の主を見上げる。なのに、うまく見えない。
まさか視覚に何か障害が……?
一瞬焦ったが、単に周りが薄暗くてよく見えなかっただけらしかった。
そして、俺を覗き込んでいる人物のせいでもある。肌が浅黒いから暗がりですぐに顔を判別できなかったのだ。

「……ラーシュ……?」

予想だにしなかった男の名を呼べば、彼は間近で青金の目を細めた。
いつもの白いローブは脱いでおり、袖のない服から二の腕をさらしている。

「ナズハちゃんの術の効果は切れたかな。アルド、具合はどう?」
「あー……だりぃ、頭いてえ……」
「はは、思ったより平気そうだね。もう大丈夫だから安心して」
「てかなんでお前が――」

ラーシュの家のベッドに寝かされてるのかと思ってのろのろと上半身を起こす。ところが周りを見回して目を瞠った。
夜の森の中だ。かといって、俺がねじれ樹に捕まったあの森でもない。
色とりどりに発光する綺麗な植物が地面に群生している。しかも、俺が寝てるのは水の上だ。

どういう仕組みなのか、水が、円形のベッドのような形で固まっている。大きいゼリーの上に乗ってるみたいだ。
中には青白い花が咲いていて水泡が次々浮かんでくる。
おそるおそる掌で撫でると、触れたところから波紋が広がった。なのに濡れるどころか沈んだり崩れたりすらしない。
水は冷たすぎず温すぎず、適度な弾力があって、普通のベッドよりはるかに寝心地がいい。

ここ、広い森の中に見えるけど部屋だ。自然の石を組み上げた壁に囲まれている。
壁面の一部に繊細な彫刻の隙間から流れる小さな滝があり、ちょっとした泉ができている。水音の正体はこれか。
また、隅には樹木の枝を複雑に組み合わせた棚とハンガーまである。そこにラーシュのいつものローブと杖、そして俺の服の一部と装備が置かれていた。

朽ちた神殿のさらに奥にある神聖な場所――そんな印象を受けるこの光景は、昨日見たばかりの場所に似てる。

「起きたのね」

ラーシュの隣に並んだ人を見てまたびっくりした。昨日の店で『マダム』と呼ばれていた花樹族のあの人だ。
マダムは躊躇うことなく水ベッドに腰かけ、妖艶な笑みで俺を覗き込んできた。
鮮やかな花を纏った彼女は相変わらず露出の激しいドレスで、こんなに近いと目のやり場に困った。

「えっと、あ、あの……?」
「さ、これを飲んで。あなたの体に入ったものを中和するお薬よ」

髪をセクシーにかき上げながら、マダムが俺の目の前に小さな木杯を差し出してきた。
細かい彫刻入りの木杯には藻みたいな濃い緑色の液体がなみなみと入っている。
状況が把握できないのと、大胆に開いたドレスから見える彼女の白い背中に釘付けになってうまく返事ができない。そんな俺をからかうように彼女が艶っぽく笑う。

「あら、飲ませてほしいの?」
「や、あの、ちが――」
「やだぁかっわいい〜!ねえラーシュ〜。やっぱりこの子、あの人に似てるわよぉ」

一転してマダムが明るく声を張り上げる。
ラーシュは不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、陽気にころころ笑うマダムから木杯を取り上げた。

「似てない。全っ然似てないから。ほらアルド、飲んで。変なものとか入ってないから」
「飲ん……?つーか……ここどこ?」
「昨夜来たお店。の、奥の部屋」
「そうよ。お得意様専用の『休憩室』ね」

ラーシュのあとに続けてマダムが含みのある言い方をする。ただの酒場じゃないとは思ったが、『そういう部屋』も完備されてるってわけか。
木杯をラーシュに押し付けられたから、わけもわからず口にした。
ねじれ樹の謎の分泌液に対する治療薬ってことなんだろうが、ドロドロの液体は苦酸っぱくてまずい。舌に貼りついて嫌な感じに痺れる。
クソマズ薬を飲み下すのに四苦八苦してたら、マダムがラーシュをつつきながら笑った。

「んもう、だから昨夜はここ使えば良かったのにぃ」
「おせっかい。そういう余計なお世話いらないから」
「なによぅ。逃げられたくせに」
「逃げられてませーん。帰したのー。俺は紳士だからね」
「あらぁ、ずいぶん生意気な口きくようになったじゃない」

ねえ?とマダムに横目で見られていたたまれなくなった。
聞こえないふりをしてみたものの、今のって、俺とラーシュに向けられた話だよな。
昨夜は店の中であんだけベタベタしてたのを見られてたわけだし、そういう仲だと思われたんだろうが――。
間違ってはない……けど、お膳立てされるほどの関係でもない。だからどう反応していいのか困る。すげえ恥ずかしいんだけど。

やけくそ気味に薬を一気に飲み干す。
クソまずいのを頑張って飲み込んだのに劇的な効果は感じられなかった。熾火のような熱と倦怠感は続いたままだ。
マダムが木杯を俺の手から取り上げる。続けてしなだれかかるように体を寄せられてドキッとした。

「薬はだいたい一、二時間もすれば効いてくるわ。その間、ここで休んでいていいわよ」
「あ、ありがとうございます……なんかすいません」
「やだいいのよぉ。気にしないで」

うわ……やば、なんだこれ、マダムからめちゃくちゃいい匂いがする。おまけに柔らかそうな胸の谷間がすぐそこにある。
ついそっちのほうに視線がいったとき、ラーシュの低い声が割って入った。

「お礼とか言わなくていいからね、アルド。そもそも元凶はこの人だから」
「……は?」

元凶ってなんのことだ?
話が見えなくて困惑気味にラーシュとマダムを交互に見やると、ラーシュはこめかみに指をあててうんざりした顔で言った。

「昨夜俺たち、この人の出したお酒飲んだでしょ。それのせいでアルドは魔物に襲われたんだよ」
「え……?」
「だからぁ、私だってこんな風になるなんて思わなかったのよぉ」
「は?なに?変な混ぜもんでもされてたのかよ!?」
「違うの!そんな怪しい物じゃないのよ!お得意様には普通にお出ししてるお酒なの!ほらぁ、軽い媚薬効果っていうかぁ……って言っても、二人の気分をちょっと盛り上げるだけ」

可愛らしく両手の指先を合わせてマダムが困り顔で笑う。
マジか……俺はそんなもんを飲んでたのか。いや、でもラーシュも飲んでたよな?
俺の言いたいことを察したらしく、ラーシュは肩をすくめた。

「通常二、三時間もすれば効果がなくなるんだってさ。『盛り上がってる』最中にね」
「だってぇ、ラーシュに限ってそのまま帰すなんてありえないじゃない?」
「はぁ……あのね、ティアリッサはそういうのが余計なの!だから俺、昨夜は会いたくなかったのに」
「ま、ひどいこと言う子ねぇ。またこの店でこき使ってやろうかしら」

ほっそりとした綺麗な足でマダムがラーシュを小突く。そんな動作もやたらとセクシーだ。
それにしてもこき使うってなんだろう。またってことは、もしかしてラーシュはこの店で働いてたことがあるのか?
「絶対お断り」と言いつつマダムの足をそっけなく手の甲で払ったラーシュは、俺に向き直った。

「とにかく、何もしなくても翌日にはお酒と一緒に醒めるんだよ。普通はね」
「俺の場合は、つまり普通じゃなかったってこと……なのか?」
「そういうこと」

俺とラーシュのやりとりの合間に、マダムが木杯をくるくると指先で弄びながら流し目をくれた。

「昨日のお酒はいくつかの花の蜜を混ぜ合わせてできてるの。そのうちのひとつが、特定の種族の生殖を促すフェロモンに似ていて――」
「アルドが捕まった木の魔物も、それに反応したんだろうってさ」

恨めしげなラーシュの言葉に嘆息が漏れた。マダムが俺の腕に手を置いて優しく撫でさすってくる。

「魔物とはいっても、××××はおとなしくて普段は普通の樹木と変わらないの。だけど生殖時だけは乱暴になるのよぉ」
「は、はあ」
「通常××××は繁殖期に魔獣に種を植えつけて、それをほかの土地に運ばせるの。そうやって繁殖するんだけどぉ……フェロモンに興奮して、匂いの元であるあなたを『苗床』にしようとしたんじゃないかしら」

マダムが例のねじれ樹の魔物の名前を呼んでるらしいが聞き取れない。
この難しい発音は古代語っぽい。それか花樹族独自の言葉なのか。そのあたりは俺ごときじゃ判断がつかないが。
ていうか『苗床』とか怖いこと言われてるんだけど。自分の腹の中から発芽する想像をしてゾッとした。

「えーと結局、お、俺が飲んだその魔物の分泌液は何なんですか?あの、まさか種だったとか……」
「種じゃないわ、樹液よ。『苗床』をおとなしくさせるために催淫効果があるの。強い中毒性があるからヒトが飲むのには向かないけど」

中毒性と聞いてぎょっとした。種を植えつけられるのも嫌だがそっちもめちゃくちゃ怖い。
そのためのさっきのクソマズ薬だと思えば、口の中に残った苦味を唾とともに残らず飲み込んだ。


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