3


少年が言ったとおり、夕暮れ間近になってバスが来た。
ワンマンバスは、俺のほかに老人二人と登山家風の男が一人乗っていた。
バスが発進した直後に電話が鳴って心臓が縮み上がった。着信は父さんからだった。
――あれ、そういえば圏外じゃなかったっけ?
スマホを改めて見たら、弱いながらも電波は入っていた。やっぱりあれは幽霊の仕業だったんだな。

「もしもし?」
『玲、お前どこにいるんだ。ゆあを一人にさせて何やってる』
「いや、実は道に迷って……今バスの中」
『はぁ?』

不審がる声が電話の向こうから聞こえてくる。
明日仕事がある母さんを、父さんが駅まで送っていった。両親不在の間、妹のお守りを頼まれていたのだが、わがままと文句ばかりの妹に腹が立って家を出てきたんだった。
降りるバス停を父さんに一応確認してから通話を切る。少年の言うとおり、四つ目のバス停で正解だった。
バスから降りると、草の青臭さがむわっと鼻についた。
バス停では祖母が待っていてくれた。帰り道がわからないだろうとの気遣いからだった。

「暑いなかしんどかっただろうねぇ。喉渇いて腹も空いたろ」
「いや、あの、親切な人に会って水もらったんで」
「そうかい、そうかい。良かったねぇ」

日に焼けてしわくちゃの顔でおばあさんが笑う。
会ったばかりの祖母は親戚というには遠すぎて、親しくすればいいのか丁寧にすればいいのか、言葉遣いに困る。
誰々さんちからもらったスイカと枝豆が家にあるよとか、都会の子は紫蘇ジュースは嫌いかとか、おばあさんがそんなことを楽しそうに話す。
適当に相槌を打ちながら、少年からもらったペットボトルを握り込んだ。

「あの、明日、納涼祭があるって聞いたんだけど」
「おおあるよ。川べりの広場にやぐらが組まれてな、毎年そこでやるんよ。このへんの子ぉらはみんな行くから屋台もたくさん出てるって、農協の克子ちゃんが言ってたなぁ。射的とか光るおもちゃだとか、金魚すくいもあるそうでな」

……なんとなく、この人は俺のことを小学生だと思ってるふしがある。
光るおもちゃとか昔は好きだったけど、今はそんなので喜んだりしない。

「明日は盆踊りと灯篭流しをやるから、見に行ったらいいんじゃないかい。都会だとあんまり見る機会もないだろ」
「うん、そうしようと思って」

だって約束をした。あの少年と。
灯篭流しなんて幽霊にはぴったりだ。そういう場所にはきっと多いんだろう。お仲間が。化けて出やすそうだ。

「あのさ、スナック知ってる?このへんに一件だけあるっていう」
「知ってるよぉ」

唐突な話題転換にも、おばあさんは考える間もなくすぐ頷いた。有名な場所らしい。

「昔そこの従業員の女の人が……えーと、地主の家の人と、その……子供ができたって話」
「あぁ、分家さんちのせがれかい?綺麗な子ぉだったねえ」

やっぱり有名らしい。そうだよな、この狭い集落じゃ地主の家とキャバ嬢があれこれって大スキャンダルっぽいし。
それにしても「だった」という過去形が気になる。思わず、少年が忘れていった新聞を握りこんだ。

「そういやこの時期だったねえ。何年か前、その分家さんのせがれが灯篭流しの日に川に落ちてね」
「えっ!?」
「暗かったから誰も気づいてやれなくて……あれはかわいそうだったねぇ」

そうか、やっぱりそうなのか――。
想像していたことが当たってしまって冷や汗をかいた。
少年は幽霊だったんだ。『明日』って言ったのも、きっとその灯篭流しに未練があるからだ。
だったらなおさら俺は行かないと。あの少年を供養してあげよう。もしかしたら夢の狭間でまた会えるかもしれないし。

「灯篭って俺でも作れる?」
「できるできる。おじいさんに言って材料をそろえてもらおうねぇ。都会の子は器用だろ、半日もあれば十分間に合うよ」

器用に都会も田舎もないと思うけど。なんか変な思い込みがあるみたいだなあ。

薄暗くなったあぜ道をおばあさんの歩調に合わせて歩く。ひぐらしと蛙の鳴き声がものすごく大きい。
途中で軽トラが通りかかった。隣の家のおっちゃんで、家まで乗せていってくれると言った。
ていうか運転席と助手席しかないけど?
そんな疑問は笑い飛ばされ、俺は荷台に乗せられた。交通法は!?とか思ったけど、この田舎道でそんなのを気にする人はいないみたいだった。
田舎のオープンカーは、ガタガタ揺れるし農機具が邪魔だしすげー速度で走るしで……実はけっこう楽しかった。





翌日の午前中、俺は祖父から灯篭の作り方を教わっていた。
シェードを垂らした縁側で、じいさんはそれはそれははりきって、イチから懇切丁寧に教えてくれた。
木の土台を組んで、釘で打ちつけて枠を作る。作りながら俺は、この小さい四角があのバス停みたいだなと思った。
昼すぎに妹がようやく起きてきて、目ざとく俺に絡んできた。Tシャツにショートパンツという寝起きそのままの姿だ。

「なに、お兄ちゃん何やってんの?」
「何でもねえよ」

今までは妹に向かってこんな台詞は許されなかった。でも今は俺とじいさんしかいないし、なにより昨日の少年との出会いで意識が変わった。物分かりのいい兄貴は廃業だ。
案の定、妹が俺の言い草にあからさまに不満げな表情をして、傍にぺたんと座り込んだ。

「ゆあが何って聞いてんの」
「うるせえな、あっち行けよ」
「なにそれ、うっざ。しね」

妹のことは放っておいて作業に集中した。しばらくむくれていた妹だったが、無視してたらどこかへ行った。

真ん中に蝋燭を立てる台を置いて薄紙のサイズを合わせる。絵心なんてないから、紙には『バス停の幽霊君へ』『下里の玲より』と筆ペンで字を書いた。
そしたらじいさんがそれじゃ寂しいと言って、絵を付け足してくれた。……トマトと茄子。何故か野菜。しかも超うめえ。
それらを書いた紙を木枠を囲むように外側にぐるりと貼り付けて、ようやく完成。
我ながらうまく出来たと思う。間に合わせのやっつけだけど、なかなか本格的。

「初めてにしちゃ上手いなあ。うん、よく出来てる。さすが都会の子はセンスがいい」
「ありがと、じいさん。おかげで祭りに間に合ったよ」
「なんのなんの。俺ぁ毎年作ってるから慣れてるが、若い人とやると楽しいもんだなぁ」

首にかけた手ぬぐいで汗を拭きながら、じいさんが照れたように笑う。
――ああそうか、じいさんも突然できた大きい孫にどう接していいかわからないんだ。
ばあさんも、子ども扱いであれこれ気を遣うのは、俺らが何が好きで嫌いなのか全然知らないからだ。そのことに気づいて、自分のよそよそしい態度を反省した。

なにより、妹が乱入したにもかかわらず、じいさんが最後まで俺に向き合ってくれたことが嬉しかった。
これが親だったら「一人で出来るでしょ?」と妹を優先するから。

「仏壇から蝋燭持ってきてやるから、ちっと待ってな」
「あーいいよ、それくらい自分で取りに行くから」

よいしょ、と重そうに腰を上げたじいさんを慌てて座らせる。
ところが灯篭作りが終わったその入れ替わりのように、今度はばあさんが顔を見せた。

「玲くん、ちょっとこれ、ほら」
「うん?」
「これから祭りに行くんだろ?おじいさんの若い頃のなんだけど、物はいいからどうかと思ってねえ」

そう言って見せられたのは浴衣だった。ダークグレーに白い縦縞模様の渋いやつ。
布地から高級なアロマみたいないい香りがする。田舎の箪笥は例外なく樟脳、とか思ってたのに意外だ。

「玲くんイケメンだからきっと似合うよぉ」
「何を言うか。今時の子だぞ、丈が足りんだろ」
「おじいさん、足短いもんねえ」

憎まれ口を叩きつつ楽しそうに話す二人に、俺もくすぐったい気持ちになった。

「じゃあ、せっかくだし着ようかな」
「えーっ!?なになに浴衣!?ゆあも着たーい!」

一体どこで聞いていたのか、妹が会話に飛び込んできた。
ばあさんは妹の分も用意してくれたそうで、「ゆあちゃんにはこれ、どうだい?」と広げて見せた。黒地に花柄だ。

「えー……クッソ地味じゃん。ババァかよ」
「お前いい加減にしろよ。それ以上わがまま言うな!」
「は?マジで今日なんなのお兄ちゃん。むかつく」
「いいんだよ玲くん。あのねぇゆあちゃん、これだけだと地味に見えるだろ。だけどこの赤い帯と合わせると綺麗なんだよ。浴衣を着るなら大人っぽくしなくちゃ」
「……ほんと?」
「あたしも昔は、この浴衣が年寄りみたいで大嫌いでねぇ。でも二件隣のねえちゃんが赤い帯を譲ってくれて大好きになったよ。可愛い髪飾りもあるでな、素敵な女の子になれるよ。ためしに合わせてごらん」

妹は俺に怒鳴られたことでむすっとしながらも、ばあさんの巧みな誘導で大人しく部屋から出て行った。
すごいな、ばあさん。いったんヘソを曲げたらなかなか機嫌が直らないあいつが、ご機嫌取りもなしにあっという間に治まった。
勢いを削がれて手持ち無沙汰に黙っていたら、急に部屋が暗く翳って雨が降ってきた。夕立って時間でもないのに、雨は勢いを増して地面を叩いた。

「あ、雨?もしかして祭り中止?」
「いぃやぁ気にすんな。お湿りだからすぐに止む。毎年のことでな、これのおかげで祭りの日はちょうどよく涼しくなるってわけだ」

毎年……ということは、川も増水するんじゃないか?そこに、あの少年は――。
嫌な映像を想像しかけてかぶりを振った。
たしかに雨は三十分も経たずにやんで、それから俺もじいさんに浴衣を着付けしてもらった。
浴衣はこなれた布ですごく着やすかった。ちょっと丈が短めだし暑いけど。

ばあさんに浴衣を着せてもらった妹はご機嫌で、髪までセットしたあとめちゃくちゃ自撮りしてSNSに投稿してた。
反応がいつもより多かったみたいでさらに上機嫌。
地元の付き合いで出かけてた父さんは、帰宅したら妹をベタ褒め。気を良くした妹は「ゆあも、お祭り行く」と言いだした。

「玲、連れてってあげなさい」
「は?イヤだし。行きたいなら一人で行けよ」
「なんでぇ?ゆあ一人じゃ変な人に声かけられちゃうもん。お兄ちゃんおねがーい!」

親の前だと猫かぶりを発揮する妹は、上目遣いで両手を合わせた。これ、自分の妹にやられると心底キモい。

「俺は駄目。無理」
「どうした玲?なんかおかしいぞ、お前。仕方ない、パパが連れていってやろうな。それでいいか、ゆあ」
「うー……お兄ちゃんがいいのにぃ」

しばらくブツブツ文句を言っていたが、ファザコンな妹は父親同伴で承諾した。途中まで一緒に行くというギリギリ許容範囲内の条件で。
まあよく考えたら祭り会場も知らないし。元・地元人の父さんに案内してもらうほうが無難といえば無難だ。
家から出る前に、祖父母から俺と妹に小遣いが握らされた。千円札が五枚ほど。
礼を言って受け取った。俺はぎこちなく、妹は大声で。

じいさんもばあさんも本当は、こういう行事に幼い孫を連れて行きたかったのかもしれない。あれほしいこれほしいとせがまれて、財布の紐を緩めたりして。
なにより俺自身がそういうことに憧れていた。今となっては遅いけれど、少しでも取り戻せればいいと思った。

「ああそうだ玲くん、ゆあちゃん。お盆さんの間は絶対にうしろを振り返っちゃいけないよ。付いてくるからね」
「う、うん」

ばあさんからなにげに怖い忠告をされつつ、俺たちは見送られて家を出た。


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