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俺に見せられないプライベートな内容の便箋が他にもあったりして――そう思って一応聞いてみた。

「えっと、手紙ってこれで全部?」
「ああ」

そうなんだ……ますますわからん。
喜之の著作をボロクソに貶したり、実家に戻ってこい等々書かれているなら不機嫌になるのも動揺するのもわかる。
家業を継いで結婚しろとでも書かれてたりしたら俺のほうも冷静でいられなかったと思う。
だけどそんなことはどう読んでも書かれていない。

「吉野雪城が喜之ってこと知らないで送ってきたとか?」
「いや、それはないと思う。二人とも普段こんなことする人じゃないし、なにより連名で送ってきてるから」

確実に息子に宛てた手紙ってことか。
雑誌記事になるくらいだ、これだけ話題になれば『吉野雪城』の名が親御さんの耳に入ることもあっただろう。
いくらペンネームだろうとネットでちょっと調べれば顔写真も経歴も載っている。
縁切りした際、喜之はスマホを新規契約した。だから電話番号はおろか引っ越し先の今の住所すら連絡先を何一つ実家に教えてないそうだ。
よってご両親は出版社に手紙を送るという手段を使ったんだと思われる。

息子の成功を喜んでくれてるんだからいいじゃん。と、単純な俺は思うわけだが、彼のほうはそんな風に浮かれたりできないようだ。
ビール缶を再び口につけて傾けたあと喜之は、ものすごく言いにくそうに何度か唸った。

「――俺は今まで、親を見返したくて小説を書いてたんだよ」
「み、見返す?」

予想外すぎる言葉に驚いておうむ返ししたら、彼が頷いた。

「俺の夢を認めてほしかったんだ。ずっと……」

子供の頃からの夢を「そんなお遊びで食っていけるか」と否定され、家を出て、それがこうして賞を取り、形になって両親の手にも届いた。
喜ぶべきことじゃないか。なのに喜之はそうじゃないという。

「悔しくて、絶対あの人らを見返してやるって思って書いてきた。なのに実際、こんな風に認められたら、なんというか……急に気が抜けて……」
「目標を失った、みたいな?」

俺の言葉に肯定も否定もせず、喜之は大きくうなだれた。そしてしばらく黙ってから低くつぶやいた。

「いや、今はもうそれだけが目的じゃないから。けど、意欲のひとつを欠いたのはたしかだよ」
「えっと、じゃあこれからどうすんの?手紙見る限りいい感じじゃん。これをきっかけに親と和解とか」
「……わからない」

仲違いをして数年、家族とはいえその間ずっと没交渉だった相手だ。手紙一通でわだかまりが全部なくなる、とはいかないらしい。
それは、大学生のときの一件が絶縁のきっかけではあるけれど、長年腹に据えかねてた家族間の確執があるからだという。

やりたいことは全て否定されて、勉強、勉強の毎日。
学年で上位になっても全国模試でいい点を取っても褒められず、やりたいことや好きなことはくだらないと貶され、将来の仕事すら決定済み。
親の言うことを聞く以外他に楽しみがなく、ずいぶんと窮屈な思いをしていたそうだ。
だんだんと喜之の語り口が重くなっていったので、さりげなく話題をそらした。

「つ、つまりそういう窮屈さが嫌で、せめて好きな小説は自由に書きたかったってこと?そういや喜之、なんで小説家になりたかったの?」
「作家を目指すようになったきっかけは……まあ、他愛ないことだよ」

笑わないで聞いてほしいんだけど、と前置きして喜之が語ったのは、こうだ。

親の言いなりで将来のために勉強することは、子供の頃は疑問にも思わなかったしそれほど嫌ではなかったんだという。
全教科オールマイティで学校でも塾でも優等生だった喜之。だが、あるとき学校の授業で出た課題で大きくつまづいた。
それは国語で、『一枚の絵から自由に物語を作ってみよう』というものだったそうだ。

全校生徒の中で読書数一位、読書感想文のコンクールで賞を取ったこともあった喜之。
当然この課題も楽勝に思えた、が――。

「一行も書けなかったんだよ、俺」
「ま、マジか……」

まったくもって今の喜之からは想像もできない。
物語を『読む』ことと『作る』ことは全然違うものだと、喜之はそこで初めて知って衝撃を受けたわけだ。
ほぼ白紙の状態から進まず提出できなかったせいで両親からはこっぴどく怒られ、そのとき喜之は、親に対して言いようのない反発心を覚えた。
それに、『できなかった』という事実が悔しかったこともあり、それから物語を作ることにハマったんだという。
机に向かって書き物をしている姿は熱心に勉強してるように見えたそうで親に何も言われなかったから、というのもある。

願望を書き綴ることもあれば、日頃溜まった鬱憤を架空の人物に重ねて晴らしてみたり、宇宙規模の壮大な設定を書き起こしたりと、ありとあらゆる書き方を試した。
同時に様々なジャンルの本や資料をこれまで以上に読み漁ったそうだ。
もとからそれほど社交的な性格でもなかった彼は、そうしているうちに完全なインドア少年になった。
やがて思春期の到来とともに親の押し付けに強い反抗心を抱くようになり、抑圧されるほどに作家という職業に夢と憧れを募らせ、そうして俺の知る今の喜之になっていったそうだ。

それでも親に対し、大学まで行かせてくれたことには感謝の気持ちもあるんだと、喜之は言った。
中退してしまったものの、この年になってはじめてそう考えるようになったと。

「――この手紙を読んだあと」

べこ、という金属音につられて彼を見た。喜之の手の中でビール缶が潰れている。

「気が抜けて、それから急にあのときの――子供の頃の、原稿用紙に一行も書けなかったときのことを思い出して手が止まった。あのときみたいに一文字も言葉が浮かばなくなくなってね」
「えっと、あの、帰ってきたときお前がボーっとしてたのってもしかしてそのせい?」
「……ああ。守に期待されてた唯一の取り柄が出来なくなったのかと思ったら、怖くなって、頭が真っ白に……」
「喜之……」
「執筆に問題はないなんて見栄っ張りの嘘をついたところに、お前に料理のことまで否定されたから自分が薄っぺらい無価値な人間に思えて――焦って、つい八つ当たりした」

悪かった、と喜之がこっちに顔を向けてもう一度謝ってきた。

真剣な瞳に射抜かれると、状況も忘れて見惚れてしまった。
いやバカか俺は。うっかりときめいてる場合か。


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