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もしかして寒河江くんのバイト先だというレストランに行くのかなぁとほんのり期待したけれど、入ったのは近場のファミレスだった。
混んでいたから狭い二人席に案内され、普通に注文して普通に食べて、とりとめなのない世間話をした。学校の噂話とか、よく見るテレビ番組のことなんかを。
寒河江くんはやけに機嫌良さそうに、まるで俺と友達みたいに振る舞うから完全に帰るタイミングを外した。だけどそうしているうちに俺も寒河江くんに対してわだかまりを感じなくなっていた。
ドリンクバーで何回目かのおかわりをした頃、寒河江くんが唐突におかしなことを言い出した。

「――オレ、思ったんですけど」
「なに?」
「センパイのことずっと超ヘタレだと思ってたんですけど、そんなでもないっぽいすよね」
「ねえそれ俺のことなにげにディスってない?」
「すいません、そういう意味じゃないです。……なんか、慣れないこととか初めてのことに臆病になっちゃうっつーか……それがどういうものか知れば、センパイ全然平気じゃないですか。今日だって、美容院入る前はあんなにビビッてたのに入ったら何てことなかったし」

寒河江くんに分析されて首をひねった。言われてみればそうなのかもしれない。
ただし今日の美容院に関しては、星野さんというスペシャルに素敵な美容師さんのおかげといっても過言ではないが。

「別に人と話すのが苦手ってわけでもなさそうだし。むしろ男相手だったら、初対面の人でもちょっと話しただけで相当仲良くなれますよね?」
「え、そ、そうかな?あんま意識したことないけど」
「つまりセンパイはさ、色々と経験不足なだけなんじゃないかって思うんですよ」

経験不足だと?たしかに不名誉ながらチェリーですけど。あ、そっちの意味じゃなくて?

「女子と話したり仲良くなるのも、ただ慣れてなくて分からないから怖いってなってるだけなんじゃないんですか?」
「な、慣れかぁ……」
「だから、そんな焦らなくていいんじゃないかと思います」

生きていれば女の子と接する機会はいくらでもあるからそのうち慣れますよ、と寒河江くんが笑う。
それはずいぶんと気の長い話だ。何年後になるやら。

「てことは、彼女作るのは諦めろってこと?」
「そういうわけじゃないですって。中途半端にするのやだし、協力はしますよ。ほら、髪も切ってようやく整ったとこだし」

そう言われて自分の髪を触った。整髪剤で固められ、カタログモデルみたいにきれいにセットされた俺の頭。
気にしていなかったところに手を入れて自分を変えていくこと。それは、すごく新鮮な気持ちだ。
こうなってみれば俺もそう簡単にやめたくなかった。寒河江くんから教わることがもっとあるはずだと、どこかで確信している。

「……うん、お願いします」

俺が引き続きのレクチャーを請うと、寒河江くんは笑いながら頷いた。
それからファッションのことを聞いたり他愛ない話をしていたら、飛ぶように時間が過ぎた。
ファミレスを出る頃には夕方近くになっていた。二人で電車に揺られたあと五番乗り場から同じバスに乗り込む。駅からの始発だったから、混んではいたけれど座席は確保できた。
行きと同じく隣に座ると、バスが出発してから間もなく、寒河江くんはもぞもぞと動いてボディバッグから何かを取り出した。

「あの……センパイ」
「ん?どうしたの寒河江くん」
「……これ、よかったら使ってください」

これ、と言って差し出してきたのはプラスチックのボトルだった。
水色と白の容器で、中に液体がなみなみ入ってる。印字された文字を読んでみたら男性用化粧水と書いてあった。

「これって……」
「前に間違って買っちゃったやつで一回も使ってないんで、もしセンパイが化粧水試してみたいならどうかなって思って」

普段使っているものとパッケージが似ていてうっかり間違ったのだとか、メントールがきいてる清涼感のあるものは苦手でだとか、寒河江くんが早口に説明する。
一瞬思考が追いつかなくてポカンとしたけれど、すぐにその心遣いに気づいて胸の中に温かいものが広がった。

「えっと、いいの?」
「はい。捨てようかどうしようか迷ってたんで、もらってくれると助かります。もし合わなかったら返してくれて全然いいし。ほんとは乳液も使ったほうがいいんだけど、そっちは余りがなかったんで……すいません」
「いやいや、え、マジで?つか、化粧水のことなんにも考えてなかったから嬉しい」

俺の家庭事情を話したという状況での話題だったから、化粧水のことは頭から丸々と抜けてた。
差し出されたボトルをありがたく受け取ると、寒河江くんがホッと息を吐いた。しかし俺は、同時に重大な欠点を思いついてしまった。

「な、なんかこのまま剥き出しで持ち歩くのも変な感じするよね!もう家に帰るだけだからいーんだけど」
「ああ、だったらバッグ貸しますよ」
「へっ?」

寒河江くんはすかさずボディバッグをはずし、中から財布とスマホと鍵を取り出して空になったそれを俺に手渡してきた。
あんまりにもさりげなく渡してくるからつい受け取ってしまった。彼の体温が移ったバッグがじんわりと俺の手を温める。

「な、なんか悪いなぁ」
「いいですよそれくらい。でも明日には返してください。……部活で」

付け加えられた言葉に胸を衝かれて、寒河江くんの顔を見やった。
真剣な表情だ。だから部室に来てくれと、その目が語っているように見えた。口実でも何でもいいから、確実に訪れる約束を結んでほしいと。

「……あの、さ。星野さんから聞いたんだけど」
「え?」
「寒河江くんって、部活、今までやろうと思ってなかったんだって?」

どうして今こんなことを聞くんだろう。自分でもよく分からないけれど聞いてみたくなった。寒河江くんが何を考えてるのかを知りたい。

「あー……まぁ、バイトあるから土日も出るような部活にはまず入りたくなかったし、時間を拘束されるのが単にイヤだったんで」
「そっか。うちの部は平日の放課後だけで活動もそんな厳しくないからね。バイトとか遊び優先でいいよ」
「……うん、つーか、オレいま結構楽しいですよ、書道部」

寒河江くんがはにかみ笑いをした。そうすると彼は一気に幼さの垣間見える和やかな雰囲気になった。

「そ、そう?由井くんにきついこと言われてたから大変なのかと思ってた。あっ、だけどすごい頑張ってたもんね!部長として非常に嬉しいですぞ!」

手放しで褒めたそのとき、カーブでバスが大きく揺れた。
油断していたせいでぐらついた体が寒河江くんにぶつかる。座ってるから大丈夫なのに、寒河江くんの手が、それ以上動かないようにと俺の腕を強く掴んだ。


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