貴方が隣にいる未来を私は選ぶ
※「天秤にかけるまでもない、と彼女は言う」の後。
あの日以来、パタリと姿を見せないナルトのことが気になって仕方がない九尾。
あの時、自分の中に尾獣が封印されていると知っても尚、ナルトは自分への態度を変えなかった。
そのことが本当は嬉しくて、次はいつ来るのだろうか、とナルトの訪れを内心楽しみにしていた九尾だったが、一向に姿を見せないナルトに次第に心に暗雲が立ち込める。
あの場ではああ言っていたが、本当は里から迫害される原因となった自分を恨んでいるのではないか?
両親が死んだ原因である自分のことを本当は憎んでるのではないか?
嫌な考えばかりが九尾の頭に浮かぶ。
そんな中、数ヶ月ぶりにナルトが九尾の元を訪れた。
「金色さん」
久しぶりの彼女の声に九尾の耳がピクリと反応する。
「えっと、久しぶり……金色さん」
ナルトは九尾の元まで近寄ると、いつもは嬉しそうなのに今日はどこか気まずそうに彼を見上げた。
地面に伏せていた顔をゆっくりと上げた九尾だが、その目はどんよりと濁っていた。
「…………今更、何をしに来た」
「え、」
「今まで何をしていたのだ。別に無理して此処へなど来なくていい。本当は貴様も儂をーー」
「ご、ごめんなさい! あれだけ大見得切ったのにまだなの!」
「…………まだ、?」
何の話だと眉を寄せる九尾。
「う、うん。あの後、色々と封印について調べてみたんだけど、封印を解かずに外に出る方法が全然見つからなくて……」
そう話すナルトをよく観察してみると、いつも艶のある髪が光沢を失いボサボサになっており、目の下にはくっきりと隈があった。
そこでようやく自分が思い違いをしていたことに気付く。
「……今までずっと調べておったのか?」
「うん……だってこんなところに金色さんを一人閉じ込めておくなんて私には耐えられない……!」
「そう、か」
あの時の言葉が嘘ではないのだとジワリと心が温かくなる。
「ごめん、ね……きんいろ…さ…ん」
力尽きたようにフラリと前のめりに倒れこむナルト。
慌てて尻尾で受け止めた九尾は、彼女を優しく包み込むと自分の隣へとそっと寝かせる。
「疑ってすまぬ……ーーナルト」
そう言って初めて彼女の名を呼んだ。
スースーと眠りに落ちたナルトを見下ろす九尾の目は、今までで一番優しいものだった。
温かい何かに包まれながら、ゆっくりとナルトの意識が浮上する。
目を擦りながら身体を起こしたナルトは、自分がモフモフとした金色の毛に包まれていることに気付き、ポカンとそれを見つめた。
まだ夢の中だと勘違いしたナルトはもう一度そのまま眠りにつこうとするが、
「なんじゃ……もう一眠りするのか?」
聞こえて来た声に完全に意識が覚醒する。
「き、金色さん!?」
ナルトは飛び上がって声のする方を見上げると、そこには九尾がいて、予想外の出来事にわたわたと慌てる。
こんなにも近い距離にいたことなんてなくて、ナルトの顔がポンと一瞬で真っ赤になった。
ドキドキと心臓の音が煩くて、彼に聞こえてしまうのではないかと緊張する。
「よく眠れたか?」
無言でコクコクと頷くだけで精一杯なナルトは、九尾の声がやけに優しいことに気付いて驚く。
「そうか……睡眠はちゃんと取った方がいい。人間は十分な睡眠を取らないと身体に障るのだろう?」
「け、けど……」
少しでも早く九尾を解放したいナルトはもごもごと口ごもる。
「焦るでない。半世紀以上も封印されていたのだ。今更それが延びようが構わぬ。それにお主の中でのんびりしてるのも案外悪くはないしのう」
「金、色さん……」
「ーー九喇嘛じゃ」
「え?」
「いつまでもそう呼ぶでない。儂にはちゃんと九喇嘛という名がある」
「それって……!」
「いい加減、いつまで経ってもそんな呼ばれ方では不愉快じゃからな」
そう言ってそっぽを向いた九尾改め九喇嘛をよそに、ナルトは大きな目をキラキラと嬉しそうに輝かせると、思いっきり九喇嘛に抱きついた。
「九喇嘛!」
「なっ、抱きつくでない!」
「えへへ九喇嘛ー!」
やっと本当の名前を呼ぶことが出来て、それが九喇嘛の信頼の証だと受け取ったナルトは嬉しくて、何度も彼の名を呼んだのだった。
尾獣にとって真名とは大きな意味を持つ。
尾獣が人柱力に真名を告げた瞬間、人間と尾獣、二つの魂が溶け合い、一つに混ざり合うのだ。
九喇嘛とナルトの魂は深い所で結ばれ、互いの意識を共有出来るようになった。
だが、そこで九喇嘛が目にしたものは、目を背けたくなるほどのあまりにも残酷な現実だった。
まだ幼い彼女は、誰かに愛されることも、美味しいごはんにありつくことも、温かい布団に包(くる)まって安らかに眠ることも、なかった。
毒の入ったごはんを口にし、苦しそうにのたうち回る幼子。
毎日代わる代わる違う人間に殴られ、時に忍具によってその白い柔肌が傷つけられる。
綺麗だったはずの肌は見るも無残な青黒い紫色に染まっていた。
暴力はエスカレートするばかりで、終いには忍術や幻術まで使い始める始末。
水遁を使い水の中で溺死寸前まで溺れさせ、雷遁や火遁を使い皮膚を焼け焦がし、風遁を使って体が切り裂かれる。
果ては幻術を使い、逃れられない悪夢を見せ、それらは死ぬ一歩手前まで行われた。
まるで簡単には死なせてやるものか、という憎悪がそこから垣間見えた。
彼女はいつも自分の前では笑顔でいるから知らなかったのだ。
見せられた悪夢のような現実に、何故気付かなかったのだと自分を責め、誰一人彼女の味方をしない人間を今まで以上に憎んだ。
感情に引き摺られて、九喇嘛の身体から沸々と赤いチャクラが溢れ出る。
自分の大事な幼子をこんな目に合わせる全てを呪った。
「九喇嘛!」
いつものようにニコニコと九喇嘛の目の前に現れたナルト。
まさかナルト自身の置かれている状況を九喇嘛が知ってしまったなんて思いもしていなかった。
一方、全てを知ってしまった九喇嘛はある決意を胸に秘めていた。
「ナルト、今日から儂の全てをお主に叩き込む」
「九喇嘛……?」
「強くなるのじゃナルト。誰にもその身を侵せないほど、ーー強く」
「……どうしたの急に」
ナルトは視線を下に向け、ポツリと呟いた。
「それは……その……」
何と言ったらいいのか、本当のことが言えず、返答に困る九喇嘛。
正直に言った方がいいのかどうか迷っていると、
「……もしかして、知っちゃったの?」
「っ、」
「私がみんなから嫌われてるって」
「それはっ、」
「そっ、か……知られちゃったんだ……で、でもね別に隠してた訳じゃないんだよ? わざわざ言うほどの事でもないし、全然大したことじゃないから。本当だよ。もう慣れちゃったから。だからねーー『やめろッ!』
いつものように笑っているその姿が歪なものに見えて仕方がない。
ああ、この子の笑顔はこの子なりの防衛術だったのだと今更気付く。
「く、九喇嘛!?」
「やめてくれナルト……お願いじゃ」
一度気付いてしまったら、ナルトの笑顔が壊れたものにしか見えず、痛々しい姿に思わずナルトを抱きしめた。
「……どうしたの?九喇嘛」
何故抱きしめられているのか分からず、ナルトはただされるがままだった。
自分を抱きしめる九喇嘛の身体が何故震えているのかさえ分からなかった。
「すまぬっ……本当にすまぬナルト」
操られていたとはいえ、自分が犯した罪に九喇嘛は初めて耐えきれなくなる。
「泣いて、るの?」
「っ、」
「泣かないで九喇嘛……お願い」
嗚咽を漏らす九喇嘛に困惑して、ぎゅっとナルトはその身体を抱きしめ返す。
大好きな九喇嘛が悲しんでる。
その事が何より辛くて胸が痛くなった。
「……儂のせいじゃ。お主がそんな目に合ってるのは儂のせいなのじゃ」
「何、言ってるの……」
「お主の中に儂が封印されているせいで、同一視した奴らがお主を虐げるのじゃ。儂なんかと出会わなければお主はーー」
「違うもん!」
「っ、」
「九喇嘛は悪くない……!」
「なにを……」
「例え世界中の人が九喇嘛のことを悪く言っても、本当に九喇嘛が悪いことをしたんだとしても、そんなの関係ない。私が私の意思で九喇嘛のそばに居たいの」
「っ、馬鹿を言うな! そのせいでお主は辛い目にあってるのだぞ!? 本当ならお主は誰よりも祝福されて生まれてくるはずだった!」
「そうなのかもしれない」
「ならっ、」
「それでも私は、九喇嘛を選ぶよ」
「は、」
「みんなに愛される未来よりも、九喇嘛と一緒に共に歩める未来を、ーー私は選ぶ」
「なぜじゃ……どうして、わざわざ虐げられる道を選ぶ!?」
「だって……九喇嘛と一緒にいたいから」
「っ、」
「それじゃ、ダメ?」
「お主はっ、バカじゃ。大バカものじゃ……っ」
彼女への愛おしさがぶわりと溢れ出す。
この子を決して離すまいと抱きしめる腕に力を込めた。
こうして九喇嘛はありとあらゆる知識をナルトに叩き込み、彼女を一人前の忍びへと育て上げた。
もう二度と、誰からも傷つけられないように。
尾獣の中で最強と謳われた九喇嘛から英才教育を受けたナルト。
ただ蹲り、暴力に怯えるだけだった小さな少女は、鋭い剣(つるぎ)のごとく、何者も寄せ付けない強く美しい忍びへと成長した。