愛と毒薬 | ナノ
※恋の劇薬仁王視点
※メンタル系閲覧注意
※痛い
※気持ち的にR-18
持っていた剃刀を柳生の頸動脈に当てた。
あと数センチ。俺がこれを突き立ててしまえば柳生はいとも簡単に亡き者となる。目を閉じて、深呼吸をして、ゆっくりと手を伸ばし――そして、俺はいつもそこで我に返る。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。柳生、ごめんなさい。好き、愛してる、愛している、のに。
俺は自分を呪い、恨み、右手に罪の証を刻むのだ。
殺そうとしてごめんなさい。
“殺してあげられなくて”、ごめんなさい。
柳生は己の中に悪魔を飼っている。普段穏やかで優しい柳生からは考えられないほど醜くて恐ろしい悪魔。
それが現れるのは決まって柳生がアルコールを摂取した時。柳生の姿をしたそれはその都度俺に暴力を振るい、首を絞め、欲にまみれた自身を無理矢理突っ込み乱暴に揺さぶる。痛い、もう嫌だと許しを乞うてもやめてくれるはずもなく、俺の泣き声を聞いては満足そうに嘲り笑い見下すだけ。そうなったら俺はもう気持ちとは裏腹に奴を締め付けて悶え達するしかない。
悪魔に侵食された柳生はもう誰にも止められない。
愛していますと優しく囁いてくれる柳生比呂士はそこには存在していない。
ようやく奴が落ち、俺が解放される頃、俺は毎晩枕元に隠した剃刀を手にしてはただじっと眺めた。
この鈍い色をした刃先が俺を救ってくれる。
分かってる、分かってはいるんだ、頭ではきちんと理解している。けれど隣で眠る奴を見ると俺は実行に移せなくなる。奴の寝顔が、柳生の、俺の好きな柳生比呂士の表情をしているから。
途端に罪悪感に襲われて、俺は自傷に走るのだ。
ごめんなさいごめんなさい、ねえ、俺はどうすればいいの、一体何が正しいの。
傷は癒えるどころか増える一方で。
人差し指で錠剤の入った包みに触れる。
柳生(この場合アルコールを摂取していない柳生)は、仁王君は心の風邪をひいてしまっただけですと言った。
薬が増えても、何度手首を切っても俺を責めたりしない。その度に手当てして優しく抱きしめてくれる。大丈夫、仁王君、私が傍にいますから。
俺は涙が止まらないまま、柳生に抱いてと頼む。俺の額に手を置いて、キスをして、ゆっくりと俺を押し倒す柳生は、本当に本当に大好きな人で。
柳生、ねえ柳生、俺は何を信じていいのか分からないんだ。いつも柳生は優しくて、けどお酒を飲むと俺に暴力を振るう。どちらが本当の柳生? どちらが柳生の本音?
本当はこの“ビョウキ”が薬を飲んでも治らないことくらい、俺はとっくの昔から知っているんだ。
だから柳生、ごめんなさい。
――俺のために。
今度こそはと切っ先を向けた瞬間、柳生が布団の中でごそりと動いた。
俺は、また、なんてことを、しようと。
におうくん、と柳生が俺の名を呼んだその瞬間、持っていた剃刀で思い切り手の甲を切りつけた。痛い、痛いけれどこれは罰なんだ、俺にはそれが必要で。
柳生の右手が近付いてくる。嫌だ嫌だ嫌だ、苦しいのは嫌だ、お願い首を絞めないで、ごめんなさいごめんなさい。俺は柳生が好きなのに、こんなにも愛しているのに、怖い。ねえ、こんな俺には罰が必要でしょう。打っても良い、蹴っても良いよ、嘘、痛いのは嫌だ、ごめんなさいごめんなさい。もう嫌だ。
「っ、ごめ、なさいっ、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「仁王君、仁王君しっかりして!」
は、と目を開けてはじめて抱きしめられていることに気が付いた。その手つきはとても優しくて、あたたかい。
「……やぎゅう……?」
「仁王君……大丈夫、大丈夫ですから」
眉を下げて痛そうに笑う柳生が俺の髪を撫ぜた。
ああ、柳生だ。俺の好きな柳生。ごめんね柳生、俺のせいでパジャマが汚れてしまうのに、それでもなお俺を抱きしめていてくれるんだね。
ごめんなさい、ごめんなさい、あなたはこんなに優しいのに、俺は今、自分のためにあなたを殺そうとしたんだ。俺のために医学を志し、たまには気分転換をしようと休日に車を出してくれる、そんな優しいあなたを、剃刀でひと思いにやってしまおうとしていたんだ。どれだけ謝ったって許してもらえることじゃないけれど、それでも伝えたいんだ、ごめんなさい。
ねえ柳生、柳生、二人の体温が混じりあって、あたたまった部分から溶けて、そのままひとつになってしまえたらいいのにね。
柳生は額に一度だけ触れるだけのキスをくれて、救急箱を取りに行くべく立ち上がった。
こういう時、柳生は決まって俺を落ち着かせるために飲み物を用意してくれる。
案の定ワインでもどうですかと聞かれて、少し飲みたい気もしたけれど、俺はあえてわがままを言った。
「ホットチョコレートがええな」。
にっこり笑って頷いた柳生は静かにドアを閉めていった。
ねえ柳生、ごめんなさい。
ごめんなさいと言ったことに、ごめんなさい。
俺は何度もためらっているけれど、でも、いつか必ず柳生をこの手で殺さなきゃいけないといつだって思っているんだ。
殺そうと思ってごめんなさいなんて嘘を吐いて、ごめんなさい。
最期の柳生の優しさに甘えてみたくなって――ごめんなさい。
剃刀を握る力が強くなるのを感じる。
大丈夫、俺もすぐに行くから。
だから、テーブルのウイスキーに毒を盛ったことだけは、気付かないでいてください。
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その答えはどちらも“愛しているから”。
2011.2.13.