All Innocent DayS | ナノ






これの続き























『私が死んだ後、私より素敵な人がいたら、その人と結婚してくださいね』。

 そう言われたのは、彼のいる病院の小さな一室でのことだった。
 もう随分元気になって、そろそろ退院できるのではないかと言われたばかりの出来事だったから私は言葉を失った。彼が何を言っているのか本気で意味が分からず、けれど何よりも理解できなかったのは、彼があまりにも穏やかに微笑んでいることだった。
 前向きに、生きることを考えてくれていると思っていた。





 その後会話らしい会話をすることもなく、一人自宅への道を歩いた。

 彼は一度体調を大きく崩したけれど、たくさんの先生の尽力あってすぐに回復することができた。しかし退院の許可はなかなか下りず、「毎日、散歩と昼寝くらいしかすることがないんです」とふざけた調子で苦笑していた。
 そこで私は、複数の図書館でカードを作成した。
 彼が読書家であることは学生時代からよく知っている。彼の好きそうな本を片っ端から借りて、鞄を大きく膨らませて病室に入ると彼は驚きながらも嬉しそうにしてくれた。
 幾度目かになると、彼も少しずつ希望を言ってくれるようになった。
 ナントカっていう本を読んでみたいんです。
 私はその“ナントカ”を間違えないようにしっかりメモをして、色んな図書館を渡り歩いた。
 早く元気になって退院してほしかったけれど、こんな生活もそれはそれで悪くないと思った。――本当にそう思っていたのだ。

 貸出可能数のぎりぎり分小説本の詰まった鞄は尋常じゃなく重い。それでも運ぶのは楽しかった。
 あの人が、好きだから。
 彼を愛しているから、喜ぶ顔が見たかった。笑ってくれるだけで重さなんて忘れて、今度はどれを借りてこようかと心を躍らせることができたのだ。
“私が死んだ後、私より素敵な人がいたら、その人と結婚してくださいね”。
 結局私は、彼の病気を知っていたはずなのに覚悟ができていなかったのだろうか。それとも彼が何かを予感したのだろうか。できれば後者であってほしくないと心の底から思った。





 頭が上手く働かず、気付けば雨が降っていた。
 どこかで雨宿りをするにも、黒い雲は厚くしばらく止みそうもない。
 自宅へ走るときっとそのうち泣いてしまう気がして、連絡もしないまま友人の家を訪ねることにした。扉を開けた幸村は唖然としていたが、すぐに私を招き入れ浴室と着替えを貸してくれた。自分でできるという主張はことごとく翻され、幸村が私の濡れた髪にドライヤーをあててくれる。
 あたたかい紅茶を飲んでようやく冷静さを取り戻す。
 幸村は、私の友人と呼べる数少ない人間の中でも飛び抜けて優しかった。

 気付けば私は幸村にすべてを話していた。
 彼が私に言った言葉、表情、仕草。どうしてそんなことを言うのか、頭が冷えた今でも答えを出すことができない。
 それなのに幸村は、ドライヤーを止めてくすりと笑ったのだ。

「へえ。柳生も随分な我侭を言うんだね」
「え?」
「だって自分はきっと仁王より長く生きられないのに、『自分が死んだ後』なんて、自分の生きているうちは愛し続けてくれって言ってるようなものじゃん」
「……あ、」
「それだけじゃないよ。奴は自分が死んだ後でも、自分より素敵な人じゃないと認めてくれないの」
「……」

 それって究極の自分勝手だと思わない? と、幸村がけらけら笑いながら言った。
 言葉の裏に隠された意味を、私はようやく知った。

「柳生はさ、仁王の性格分かってるよ。もし柳生の彼女が私だったらきっとそんなこと言ってない。言ったって私はきっと一人で乗り越えて、また周りを見るようになる。奴を置いてけぼりにする。でも仁王は違うでしょ。表ではへらへら笑って平気な振りして、ずっと背負い続けるタイプじゃん」
「……」
「仁王に幸せになってもらいたい、っていう奴の気持ちはきっと嘘じゃないよ。だから『私より素敵な人がいたら〜』なんて、表ではそういうことを言う。けど自分の我侭としては、やっぱり自分がいちばんでいたいんじゃないかな」
「……阿呆じゃ、アイツ」
「本当にね」

 マグカップを持つ手に力がこもるのを感じる。
 結局、涙を抑えきることはできなかった。
 私はきっと一生彼を愛し続ける。彼の、遺言になるかもしれないその言葉を果たすことはきっとできない。
 けれどきっと、真の意味はそうではないのだ。

「仁王が本当に素敵だと思える人がいて、その人と恋に落ちたら結婚すればいいと思う」
「……」
「でもそんな人がいなかったら、おばあさんになって天国に引っ越した後『お前より素敵な人なんていなかったよ』って文句を言ってやりなよ」
「……うん」



 涙の混ざった紅茶を、幸村は何も言わずに淹れなおしてくれた。
 どうしようもなく自分勝手で強引で世間知らず。
 そんな彼を――私は今日も、愛していた。










All Innocent DayS










******
きっと不正解。
けれど二人の答えは同じ。

2013.2.13.

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