落書き文

月の夜、とある男の死

BM 2015.04.08 - 10:40

 ――それは赤い夜のことだった。
 疎らにかかった薄雲が、月を覆い隠している。雲が月光に染まり、空は一面の真紅。
 静かに小雨の降る中、彼は血を流して倒れていた。
 先程までの喧騒は跡形もない。勝敗は既に決した。敵は今頃どこかで賞金を得て祝杯を挙げ、彼はここで死ぬ。
 大した事情ではなかった。彼は日常通りに任務を受け遂行に向かい、そして失敗した。それだけのことだ。
「…は」
 自嘲めいた笑いが漏れる。
 いつかこうなるかもしれないと常々思ってはいたが、こんなに呆気ないものだとは。
 血と共に、生命が流れ出ていく感覚。
 傍らには、今までずっと愛用してきた銃が落ちている。
 いずれにせよ死ぬのだ。助けなど来る当てもない。弾は残っているはずだし、こうして待つより、いっそ自ら終わらせてはどうか……などと思ったものの、僅かに手が届かない。
 ――ああ、またこれか。
 脳裏によぎるのは、そんな諦め。
 死ぬことは別に怖くはない。今まで好き勝手に生きてきたのだから悔いる必要もないだろう。だが、心残りがあるとすれば。
 いつも望みの物にあと一歩届かない、この運の無さ。
 最期くらい届かせてくれればいいものを。納得した上で諦めてきたつもりだったが、あまりにも理不尽ではないか。
 ここまで来ると何かの呪いだろうかと疑うが、それすら最早どうでもよくなる。
 視界が暗い。手足の先から消えていくような、そんな感覚。
 もうお終いか。
 そう思って、漠然と空を見る。

 ――ふと。風が強く吹いた。

 雲が流れて、月が顔を出す。
 その刹那。
 霞んだ視界の端に、何か、有り得ないものが映り込んだ。
 吸い寄せられるように視線を向ける。
 見えたのは、静かに佇む人影。
 長い髪が風に揺れている。
 その髪、その瞳の、月光が結晶化したかのような真紅の色に、彼は釘付けになっていた。
「――…」
 薄れゆく景色の中心に、しかしその姿だけが、気味が悪いほどに鮮明で。
 きっと、あれはこの世のものではないのだろう。神か悪魔か知らないが、とにかくそういう類の何かだと、根拠もなく確信する。
 それが何故こんな場所にいるのか。死にゆく者を迎える使者か。
 ――いや、そんなことは関係ない。
 気が付けば。
 いつの間にか、動かぬはずの腕を夢中で伸ばし、彼は銃の引き金に指を掛けていた。


 今思えば、それは、おそらく。
 あの月色の瞳がとても綺麗で。
 単純に、欲しいと思っただけなのだ。


 ――その欲望に、どんな罰が下されるかなど、その時には知る由もなかったのだ。

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