――それは赤い夜のことだった。
疎らにかかった薄雲が、月を覆い隠している。雲が月光に染まり、空は一面の真紅。
静かに小雨の降る中、彼は血を流して倒れていた。
先程までの喧騒は跡形もない。勝敗は既に決した。敵は今頃どこかで賞金を得て祝杯を挙げ、彼はここで死ぬ。
大した事情ではなかった。彼は日常通りに任務を受け遂行に向かい、そして失敗した。それだけのことだ。
「…は」
自嘲めいた笑いが漏れる。
いつかこうなるかもしれないと常々思ってはいたが、こんなに呆気ないものだとは。
血と共に、生命が流れ出ていく感覚。
傍らには、今までずっと愛用してきた銃が落ちている。
いずれにせよ死ぬのだ。助けなど来る当てもない。弾は残っているはずだし、こうして待つより、いっそ自ら終わらせてはどうか……などと思ったものの、僅かに手が届かない。
――ああ、またこれか。
脳裏によぎるのは、そんな諦め。
死ぬことは別に怖くはない。今まで好き勝手に生きてきたのだから悔いる必要もないだろう。だが、心残りがあるとすれば。
いつも望みの物にあと一歩届かない、この運の無さ。
最期くらい届かせてくれればいいものを。納得した上で諦めてきたつもりだったが、あまりにも理不尽ではないか。
ここまで来ると何かの呪いだろうかと疑うが、それすら最早どうでもよくなる。
視界が暗い。手足の先から消えていくような、そんな感覚。
もうお終いか。
そう思って、漠然と空を見る。
――ふと。風が強く吹いた。
雲が流れて、月が顔を出す。
その刹那。
霞んだ視界の端に、何か、有り得ないものが映り込んだ。
吸い寄せられるように視線を向ける。
見えたのは、静かに佇む人影。
長い髪が風に揺れている。
その髪、その瞳の、月光が結晶化したかのような真紅の色に、彼は釘付けになっていた。
「――…」
薄れゆく景色の中心に、しかしその姿だけが、気味が悪いほどに鮮明で。
きっと、あれはこの世のものではないのだろう。神か悪魔か知らないが、とにかくそういう類の何かだと、根拠もなく確信する。
それが何故こんな場所にいるのか。死にゆく者を迎える使者か。
――いや、そんなことは関係ない。
気が付けば。
いつの間にか、動かぬはずの腕を夢中で伸ばし、彼は銃の引き金に指を掛けていた。
今思えば、それは、おそらく。
あの月色の瞳がとても綺麗で。
単純に、欲しいと思っただけなのだ。
――その欲望に、どんな罰が下されるかなど、その時には知る由もなかったのだ。