サンダーフォレスト

「それじゃあ、行ってらっしゃい、蒼佳」

行ってきます、とはくりと口を動かし未だ音の出ない喉にぎゅうと眉を顰める。線の細い義母(かあ)さんの背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。

体に気をつけて、と震える声で言った義母さん。暫く、長くて10年は会えない。ボー、と船の汽笛が鳴り響く。ポン、とわたしの肩に手を置く千歳さんに小さく頷き、義母さんを解放する。

「必ず無事に、立派に育てて帰します。」
「ええ…よろしくお願いします、千歳さん」

甲板に上がり、港を見る。視界にチラチラと映る自身の茶色い髪が鬱陶しくて、義母の泣きそうな、それでいて誇らしげな顔。蔵と蔵の影からじっとこちらを覗く孤児院を共にした仲間たち。
息が苦しくなって、今すぐにでも義母の元へと駆けていきたくなって、しかしそんなことをすればわたしは元よりヴィチリダへと留学という形で渡っている日ノ国の同郷たちも恥さらしと、日ノ国には帰れなくなる。

決めたら戻れないと何度も忠告してくれたのは千歳さんだ。それを押し切りわたしは軍人となり日ノ国を守るため、外へと出る決意をした。

わたしはただ掠れた空気しか出てこない喉にイラつきながら出航する船の上から見えなくなるまで手を振るしかできない。
潮の香りが鼻をつく。泣いている暇などない、泣くのは立派になり、義母さんの、母さんの元へと帰る時だ。

袴を生暖かい風が通り抜ける。ひらりひらりと風に揺れる振袖も暫くお蔵入りになる事だろう。洋服が主流だという海の向こう。千歳さんが着ているものは洋服ではなく軍服というらしい。服の名前も沢山あるため、それも覚えなければならないのだろうか。そう考えると憂鬱だが、しかしやっていくと決めたのだ、覚えてやる。

「これに全部書いてあるからな。とりあえずこんくらい覚えとけ。」

ぽん、と軽く渡された大量の冊子にぐらりと体が傾く。色印刷の雑誌。創刊号やら月刊やら、種類はまちまちだ。とりあえずよく着るものを覚えておけばいいのではないだろうか。

「軍に入るんなら相手の服装も詳しく報告書に纏めなきゃいけねぇからな。そのくらい覚えておいて損はねえぞ。ま、最低ラインってとこか。」

帰ってもいいでしょうか。

ああ、やり遂げられる気がしない。とりあえず、腕が辛い。

えっちらおっちらと、ふらふらとよろめき時折ぶつかりながらもあてがわれた部屋にどうにかたどり着き、机の上にどうにか雑誌を置く。
ぷるぷると震える腕とじんじんと痺れる指先。

ええい早瀬峰蒼佳、この程度でへこたれてどうする、軍の訓練はもっと厳しいに違いないぞ、あれ、なんか、あれだぞ!!

…己の語彙力の無さはどうにかした方がいいととても思った。ゴキゴキと背骨を鳴らしながら仰け反り、ふうと息を吐く。

箪笥…クローゼットと言うのだったか、壁にはめ込まれた箪笥…違う、クローゼットを開くとそこには京でやたら流行っていた外からの流れもの、ワンピースという被れば服になるという高級品。
ひゅ、と喉を鳴らし、思わず尻餅をつく。その拍子に草履が飛んだ。
開いたクローゼットのしたの方にはなんとサンダル!草履ではなく赤色のサンダルが!実は部屋を間違えているのではないだろうか、不安になり、掛札をもう1度確認しに部屋の外へと出た。

「早瀬峰 蒼佳」

確かにわたしの名前であった。こんな高級品を渡しても千歳さんは大丈夫なのだろうか、それとも外ではこれが普通…?

…そう考えるようにしよう、わたしの身が持たない。いちいちビックリしていては心臓も持たないだろう。ヴィチリダに着く前に死んでしまう。

敷布団ではなくベッドだった。それを確認してからわたしの記憶はない。

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