夏侯淵 噛みつかれても愛しいだけなのに
まどろみをさ迷っていると、植物のとげが刺さったような痛みが走る。
急な出来事に驚いて、寝具からはみ出していた指先に視線をやる。すると、震える白い毛玉
が愛らしい目を一所懸命に吊り上げて威嚇していた、噛み付かれた指からは僅かに血が滴っ
ている。
ふと室の外が騒がしくなり耳を済ませると、それは聞きなれた足音。今日の昼頃帰れると知
らせがあったはずだが、手腕を駆使して早く帰ってきてくださったのだろう。頬が綻ぶ。
「あー、こんなところにいたのかお前」
「夏侯淵様、おかえりなさいませ」
「おう、帰ったぜ。そんでまあお前はなに俺の嫁さんに噛み付いてくれてんだ、うん?」
みゃう、と小さく鳴き声を上げた子猫は夏侯淵様の両手に包んで引き離される。
「帰ってくるときに見つけたんだがよ、どーにも懐かなくてな」
「人に捨てられたんでしょうか」
そのまま寝台のはしへ座る夏侯淵様の傍に寄り、肩にもたれて子猫を見る。
寝ている間に噛み付かれる程動物に嫌われる覚えがないのだが、そういう経緯なら仕方ない
と思う。
「◯◯、手」
「大丈夫です、少し血が滲んだ程度ですから」
「血が出てたら少しもなんもねえの」
まだ毛を逆立てて警戒している猫を片手であやす夏侯淵様の肉厚な人差し指、肘から手の甲
までをつうと滑り私の手を取る。
そのささやかな触れ合いに肌がざわめくが、そ知らぬ顔の夏侯淵様はまだふくりと粒を成す
傷口に舌を侍らせる。
「舐めれば治るって言うだろ」
「夏侯淵様、そのようにされるほどの怪我ではありません」
人柄を表す厚い唇に挟まれた指、いつかの夜と同じ仕草で血を舐め終えてもまさぐる口腔内
の生き物に翻弄されて頭の中が擽られる。
久しぶりに見る飢えた瞳、このままでは流される。まだ日も高いのにと言い訳しようと開い
た私の口は夏侯淵様の小さい悲鳴で遮られた。
「いで」
「え?」
「このやろう……」
すっかり奪われていた視線を下げると、白い毛玉があやしていた手に噛み付いている。
夏侯淵様の視線が自分に来たことを確認するように一瞥くれた丸い目は、次に私を捉え、跳
ねる。
とんとん、と膝を飛び越えて私の太ももに納まった毛玉はそのまま尾を体に巻きつけ眠りに
落ちる。
「こら、俺の場所を取るんじゃねえ」
「夏侯淵様、相手は子猫ですよ」
「最初が肝心なんだって、こういうのは」
首根っこをつかまれた子猫は、言動のわりに優しい仕草で寝台の隅へ放られる。
目つきを鋭くしたその姿に、ああまたどちらかが噛み付かれるのだろうかと喉が震えた。
噛みつかれても愛しいだけなのに
(欲する目に射抜かれては、もう)
130913
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