小説 | ナノ




徐庶 泥のような感情に浸かるほど僕は壊れていく

 胸が苦しい。

 冷たい廊下に膝をつき、おもむろに首元に手を伸ばす。そして、掻き毟るように引っ掻く。こうすればどうにかなるような気がしていた。
 ……その度に君は俺を止めた。


「徐庶様。傷になってしまっていますよ」


 血は出ていない程度の、首についた引っ掻き跡を見て君は苦笑する。

 そして、熱がこもった指先に君の冷えた指先が触れる。それがどれだけ俺の心をかき乱すのか、君は分かっていない。

 俺に笑いかけて、俺が落ち着くまで手を握っていてくれる。その行為が俺にとってどのように捉えられているのか、君は知らない。
 今ここで君を俺の部屋へと引きずり込みたい、と。そんなことを思っているだなんて…きっと君は考えもしないのだろう。


「…いつも、すまない。●●」


 掠れた声で、震える声で。

 息苦しい感情。心の中の汚い何かが零れ出て、肺を沈めてゆくように、少しずつ溺れるように。
 いつか口から溢れ出して、君を傷つけてしまうのではないかと、言葉を吐き出しかけた自分の唇を咄嗟に強く噛み締める。

 こんな感情、持ってはいけないんだ。こんな想い、伝えてはいけないんだ。

 首に出来た痛みよりも、胸が張り裂けそうなことに比べたらなんともなかった。
 今、噛み締めている唇の痛み。どれだけ血が滲もうとも、この胸の痛みには勝てるわけがなかった。

 呼吸が安定してきたのを確認すると、君は俺の指先から手を離し、俺の側から離れる。
 いつものことなのに、今日は無意識にその手首を捕まえていた。


「…徐庶様?」


 驚いた顔をした君だったが、すぐに優しく俺に微笑みかけてくれて、胸の苦しみが一瞬だけ緩んだ。
 廊下に膝をついたままの俺は、君を見上げるように見つめた。君はゆっくり膝を折り、目線を合わせた。

 落ち着かせるように俺の名前を呼んで、なだめるように優しく笑った。
 それがとても心地良くて、しばらく●●の手を握ったまま口を閉じていた。







「…●●?」


 次の日。霧状の雨が空気を漂い、視界を曇らす。
 薄着で外に出た●●が心配になって、俺は街に足を運んだ。

 そして、俺はとある男と楽しそうに話をしている場所を目にしてしまう。●●を探していたのだから、そういう場に鉢合わせてしまうことは覚悟していたはずなのに、目にしてしまうと震えが止まらなかった。

 昨日落ち着いたはずの気持ちが高ぶって、意味もなく自分の首を絞めて、呼吸を封じた。辛いのに、止める事も割り込む事も出来ない自分が愚かしい。
 双方、もしかしたらただの友人関係なだけなのかもしれないのに、そう思えるような余裕もない。お似合いだとつい最近茶化されていた二人なのだから仕方ないだろう。

 似たような光景に俺はただ絞めている手に、無意識に力を入れていた。

 ああ、駄目な男だ。
 醜い嫉妬。そして自分に対する憎悪。寛容な君とは真逆な俺。
 俺と●●は彼女でも、婚約者でもない。…況してや夫婦などではない。●●が誰とどこにいようと関係など無いのに。

 それでも俺は諦める事が出来ないでいる。


 自分に痛みや苦しみを与えていないと、どうも自分を抑圧出来ないようだ。
 やっと治まってきた感情に、大きくため息を吐いた。
 震える手を握りながら、呼吸を整える。

 少しして、誰にも見られないように離れ、誰もいない場所で膝を落とす。
 そうしないと泣いてしまうような気がしたから。

 自分のことが嫌いで堪らなくて、それでも手に入れたいと、自分の隣にいて欲しいと、淡い想いを抱いて。


「徐庶様」


 ああ、幻聴まで聞こえてきてしまう始末。ここには君なんていないのに、俺はどこまで君を求めてしまっているのだろう。


「徐庶様」
「…●●?」


 すぐ近くで俺の名を呼び肩を叩く。その声は間違えるはずがない、●●の声。反射的に振り向く。
 目の前には雨でずぶ濡れになった君の姿。
 いつの間にか雨は強くなっていた。気づかず俺はずっとここで嘆いていたのかと思うと少し恥ずかしい。


「どうして…?」


 こんなところにいるんだい?そう問おうと思った。けれど、君があまりにも泣きそうな顔で……いや、雨のせいで気づかなかっただけなのかもしれない。脱力するように崩れ落ち、膝を湿った地面に落とす。


「心配、したんですよ?」
「……」


 責めるように見つめられる。それなのに、申し訳ないとかそういうのはなくて。俺のために走り回ってくれたのだろうと思うと嬉しくて堪らなかった。


「帰ったら仕事をしているであろう貴方がいなくて。城中探してもいない。街に出てもいない。貴方がどこかで死んでしまっていたらどうしようなんて不吉なことまで考えてしまったんですよ……」
「す、すまない…まさか君がそこまで必死に探してくれると思わなくて…………っ!?」


 飛びつくように抱きしめられて、言葉を失う。


「もういなくなっちゃ…駄目ですよ?」


 肌に張り付いた衣服も気にせず俺も抱き返した。

 それなら、俺の隣にずっといてくれると言って欲しい。俺以外とは仲良くしないで欲しい。

 嗚呼、このまま誰の目にも触れない所に隠してしまいたい。俺だけのものにしてしまいたい。俺がいないと駄目な人間にしてしまいたい。

 溢れそうになる醜い独占欲。



 どうか、この醜い感情には気づかないでいて。




雛目子夏様、素敵な作品を誠にありがとうございました!


作品一覧へ




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -