稲姫 気付いたら美青年になっていた
朝、彼女は目を覚ました。
いつものように着替えをするために服を手にかけ脱いだ彼女は、何故か違和感を感じた。
「?」
妙にがっしりとした手足にまな板のような胸、いつもより高い目線。そして見なれぬ男物の着物。
嫌な予感がした彼女はそのまま水辺へと向かい自身の顔を見つめた。
そこには……
「これが……私?」
どこか自身に似た男の姿が映っていた。
一方そのころ、朝から洗濯物を干している●●は雲ひとつもなく綺麗に晴れた青空を見つめていた。
「ふー、洗濯終わり!
今日は稲さまと城下に出かける約束だし、稲さまの稽古でも見学しよっと」
稲姫がいつも弓の稽古をしている場所に●●が行くと、弓を的に当てた音が響いた。
「なんだか稲さま、今日は力強く射ってるなー」
稲姫が弓を射る姿が好きな●●は少し小走りで稲姫のもとへ向かう。
「稲さm……っ!」
そこで●●の視界に入ったのは、予想していた稲姫ではなく、見覚えのない男性だった。
(稲さま以外の人がここにいるの初めて見た……)
よほど集中しているのか、●●がいるのにも気づかず真剣に的を見つめ、弓を力強く射る姿に思わず●●は見惚れる。
「……格好良い」
無意識に出た言葉にハッとした●●は急いで口を塞ぐ。
「あ、」
「!」
しかもその言葉が聞こえたのか、男性は●●を見、一瞬目を見開いた後少し微笑んで歩みよってきていた。
「おはようございます。●●」
「え、」
突然男性に名を呼ばれ、●●は混乱した。
そんな●●に男性は不思議そうな顔をする。
「? どうしたのですか?」
「いや、あのっ
わ、私たちって、初対面……ですよね?」
「え!? あ……!」
●●のその言葉に一瞬驚いた男性はその後何かに気づいたように、自分の身体を見る。
「私ですよ。稲です」
「いな? 稲?
い……な、さま?」
自分は稲姫であるという言葉に混乱した●●は男性の姿を凝視した。
いわれてみれば、稲姫がいつも着ているものによく似た服装。
弓を射る姿は、力強くはあったが稲姫が射る姿と同じ。
そして、稲姫の面影がある顔。
「え、え? ええぇえぇぇえぇぇぇえっ!?」
●●の叫び声が辺りに響いた。
稲姫の話では、起床したときにはもう男性の姿になっていたらしい。
そのため、理由も戻り方も、そしていつ戻るのかすらわからない状況だ。
「ですが弓を以前よりも遠く、力強く射ることができるようになりましたよ」
「あ、そういえばいつもより離れた場所から射てたよね」
「はい。
今日は城下に出かける約束でしたね
早速向かいましょう」
「うん」
返事をした後、●●はふと考えた。
今、稲姫は男であり、自分は女……と、いうことは……、
(……お、逢瀬!?
いやいや、別に稲さまと私は恋仲なわけじゃないよね……
いや、でも、端から見ればそう見えたりしないかな?)
「●●。どうしたのですか?
先ほどから様子がおかしいですよ」
「!?」
稲姫は心配そうに●●の顔を除き込む。
元々顔立ちが整っていた稲姫は男になっても、やはり美麗だ。
そんな稲姫の顔が目の前にあれば、当然●●の顔も真っ赤になった。
「! 顔が赤いですよ
もしや、熱があるのでは……」
「ない! ない、ない、ないから!
そ、それより稲さま。
早く城下に行こうよ!」
今度は互いの額で熱を測りだしそうな稲姫に、●●は慌てて城下に連れ出した。
「……」
「●●、あちらの茶店で休みませんか?」
「う、うん」
数時間後、●●はある意味で城下町に来たことを後悔した。
男であること以外は稲姫はかわりないため、楽しいが、先ほどから女性からの視線が絶えないのだ。
どう考えてみても稲姫のこの容姿に原因があるだろう。
現に事情を知る前は●●も見惚れていたのだから。
黙々と団子を食べながらその視線に気をとられ、どうしようかと考えていた●●は気づかなかった。
そんな彼女を心配そうに見つめる視線に。
それから様々な店に寄りながらふと、●●はある簪に目を奪われる。
小さな黄色い花のついたシンプルなものだ。小振りではあるが、●●の好みのものだ。
しかし、今回ここに来るまでに立ち寄った店で使ったため、持ってきたお金はもう底をつきそうであった。
「可愛らしいですね」
「うん。でも今回は縁がなかったね」
「……そうですか」
少し稲姫は考えた後、すぐに店の中に入っていった。
稲姫も何か欲しいものがあったのだろう。そんなことを考えながら稲姫を待っていると、背中に何かがぶつかって●●は地面に転んだ。
「いったー……、」
何事かと、振り向くと嫌な表情をした男がこちらを睨んでいた。
「いてーなー
おい小娘。お前のせいで肩が折れてたらどうすんだよ!」
「は?」
意味がわからなくて、●●は唖然とした。
正直、相手がぶつかってきたのであって、●●は悪くない。むしろ人にぶつからぬようにして待っていたのにぶつかってくるのは、わざとである。
しかもこのゴツい男が●●みたいな一女子にぶつかったぐらいで肩が折れるわけがない。
「……申し訳ございません」
これ以上面倒なことになるのは避けようと、●●は謝ることにした。
しかし素直に謝った●●に調子に乗ったのか、男は●●の腕を掴んむ。
「謝ってすまない怪我してたら、どうすんだよ
……落とし前つけてもらわないとなー」
「痛っ」
にやにやしながら●●の身体を見る男に、●●は嫌悪した。
腕を放してもらおうとよじるが、やはり男と女。なかなかびくともせず、むしろ掴む力が上がった。
そんなやり取りを周りは見てみぬ振りをし、●●にあわれみの視線をおくる。
「……何をしているのですか? 放しなさい!」
「!」
しかし、そんな男の腕を、誰かが横から掴み、ぎりぎりと●●の腕からはなさせた。
「ってーな!」
「先ほどからの●●を見る不埒な視線、許しません!」
「稲さま!」
そう店から戻ってきた稲姫だった。●●はすぐに稲姫にかけよる。
稲姫は汚らわしいものでも見るかのように男を睨んでいた。
「ちっ 男がいやがったのか!」
「これ以上、手を出さぬのなら見逃しましょう
ですが、まだ手を出すと言うならば……この稲が相手です!」
稲姫のただならぬ雰囲気を感じたのか、はたまた先ほどの掴まれた腕が相当痛かったのか、男は舌打ちした後逃げていった。
「●●、大丈夫でしたか?」
「う、うん! 稲さまが助けてくれたから……
ありがとう」
「そうですか……無事でよかったです」
「っ」
今の稲姫はかなり格好よく、道行く女性の視線がほぼ稲姫に向かっている。
●●は何故か先ほどから妙に動悸が激しく、頬が熱く感じた。
「もう日がくれそうです
帰りましょうか」
「うん」
稲姫に促され、城に向かう。
城まであと数分という距離で稲姫足をとめ、必然的に●●も足をとめた。
「稲さま?」
「先ほどの騒動で忘れていました
●●ちょっと失礼します」
「え、」
どこか見覚えのある簪を出すと稲姫は●●の髪にさした。
「……やはり、●●に似合いますね」
「これ……もしかして、」
先ほど自身が見ていた簪ではないのだろうか。満足そうに微笑む稲姫を戸惑ったように●●は見る。
「はい。●●がその簪をつけているところを見たかったのです」
「ありがとう……」
恐らく欲しがっていたのを見て買ったのだろう。自身が気遣わぬようにそう言う稲姫に戸惑いつつも●●は嬉しそうに微笑んだ。
「やっと笑ってくれました」
「え?」
「●●、今日は考えごとばかりしていて、心配だったんです」
「稲さま、」
「やはり、●●は笑顔が一番です!」
「!」
続けざまにそう言った稲姫に●●の鼓動はどんどん煩くなった。
嫌な予感がした。
正直●●は鈍くない。
だから自身が今稲姫に抱いた気持ちに気づかないわけがないのだ。
(稲さまは、女性なのに……
今は男性だけれど、女性なのに……
まさか私、稲さまに……
恋してしまったわけ……?)
それから数日経ったが、稲姫の身体が戻る様子はまだない。
深瀬桜鬼様、素敵な作品を誠にありがとうございました!
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