Other Dream






「あーうん。俺もう死ぬかも。いや、死ぬ」

血色の良い肌と唇を持っているくせに彼は静かにそう言った。
いつもと変わらない声色の調子で、彼はそう宣告した。

またご冗談を、と笑い飛ばしてやりたかったのだが、お世話をずっと続けてきた私には分かる。もう彼は起き上がることも出来ないということを。
そして女中や彼と親しい人は知っている。彼はもう、水しか口にしていないということを。

「ほんとうに、死ぬの?」
「そうだね、死ぬよ」
「死なないで下さいよ。半兵衛殿ならまだ大丈夫でしょう?」
「ううん、死ぬ。さすがの俺も天命には逆らえないかな」

ニコリ、と彼が微笑む。
その頬に手を伸ばすと、伝わってくる体温。まだ、あたたかい。
彼は「茜さんの手だ」と更に破顔した。つかの間の安息。彼は、まだ生きている。


しばらくして、彼がまたこう言った。
今度は少し遠い目をしていた。もしかしたら、もう私が見えていなかったのかもしれない。

「死んだら、俺のことは埋めて。大きな真珠貝で穴を掘って、墓のそばで待っていて。また会いに、今度は俺から向かうから。君が、時間を越えて俺のそばに来てくれたあの日みたいにさ。――ああ、でも茜さんは耐えられるかな。日が出て沈んで、また出て沈んで…ねぇ君、百年待っていられる?」

彼はもう死んでいた。
私の返事を聞く前に、彼はもう息を止めていた。
もしかしたら、私の返事をもう知っていたからなのかもしれない。

私は言われたとおりに大きな真珠貝で穴を掘り、彼を大きな穴の中に入れて、墓の前に座り込んだ。
置いた墓石に苔が生えるほど長い間、朝と夜を繰り返し続けた。
最初はこの不毛な時を、ひたすら無の気持ちで送っていたのだが、次第に「私はあの知らぬ顔に騙されたのではないか」と思い始めるようになった。が、それでもここを離れようという気にはならなかった。

大粒の雨が、天から零れ落ちていく。
私の肩を濡らしていく。
傘を取りに行く気にはならなかった。それは短い時のことだったから。
そう、まさに刹那と表現するに足るほどの、時間。
雨を濡らす雲は退き、私を照らす――光。

「百年、経ったんだ」

手を伸ばす。
暖かな光は、彼の手の温度に似ていた。





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夏目漱石「夢十夜」の第一夜より。
いつかやりたいと密やかに思っていました。
一番似合う人は誰かな、と思い半兵衛を。地味に半兵衛初書きです。




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