送電
 指先からじわりと浸透していって、ゆるりと心臓を締めつけるようなそれは、深夜三時すぎに僕のもとに訪れる。かなしみに凝固したミルクティーが存在の惨めさを訴えかけていたけれど、僕はヘッドホンで気づかないふりをした。one,two,three,four,…よく知らない外国のアーティストが愛を繰り返している。或いは世界をぶち壊そうとしているのかもしれなかった。one,two,three,four,…軽快なビートが空気を震わせて僕をどこかに連れていく。それは明け方の交差点、それは緑のサバンナ、麒麟と象の住む太陽の庭、クラスで一番のあのこの部屋、泣き虫だった過去の僕。one,two,three,four,…ゆっくりと目を閉じる。急速に世界が狭まっていく気がした。同時に広がっていく気もした。宇宙というものを僕は見たことがないけれど、もしあるとしたらこんな感じなのかもしれないと思った。右耳と左耳の間でトランスが弾ける。時には駆け抜ける。たかだか15センチメートルの距離に、無限の空間が広がっているような気がする。いま、僕の脳みそはプラネタリウムだった。だから僕は飛行できる。このリクライニングソファの上で。
 one,two,three,four,…

「自分の皮膚の内側にこそ、外側が広がってるんじゃないか」

 唐突にあいつの言葉を思い出した。
 何もかも覚醒したような気になって、一瞬で瞠目する。ひゅうと僕のなかを光速が流れていって、チカチカと瞬きの金平糖が輝いた。そうして次の瞬間には、鼓動がベースよりもどくどく鳴っているのに気付いた。
 そうか。
 勝手に僕は合点し、壁時計に目をやる。宇宙旅行をしていた僕は自室に戻ってきていた。

「皮膚一枚の下にこそ、本当の空間、本当の立体があるんだ」

 あいつの言ってたことがどういうことか、分かった気がする。今のままの僕であいつに会いたい。あいつの皮膚の下がどうなっているのか、掌を合わせたらきっと感じられる。だから会いたい。今すぐ会いたい。
 僕はヘッドホンを着けたまま、薄い紫のパーカーを羽織った。クローゼットからスニーカーを取り出す。時刻は深夜三時半だけれども、そんなの全然気にならなかった。たぶんやつは起きてる、そして僕を待ってる。そんな気がした。
 いくらか乱暴に窓を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でる。高速道路のライトが遠目に見えた。
 もう一度だけ瞼を閉じて、飛行の準備をする。
 もしあいつに会えたら。掌の体温を確認して、内側と外側の話を反転させて、来る朝の前に送電塔のてっぺんに行こうよって誘ってみるんだ。

 そこまで考えて、僕は窓枠に足をかけた。
 one,two,three,four,…










 彼が自室から飛び降りたという話を聞いたのは先週水曜日の正午だった。その日朝まで眠るように溺れていた俺が目を覚ますと脳みそを引っ張られているかのような倦怠感に遭遇し、頭痛薬を飲むか否か迷った記憶がある。その後のことは非常に曖昧で白い霧に隠れたみたいに覚束ない。俺と彼はなんだか不思議な関係だったように思う。何時もつるんでいるわけではなかったが、学校帰りにコンビニで出くわすと、何をするでもなくそのまま街外れの送電塔まで歩くだけの仲だった。ひとつふたつと、わけもない持論を唱えた覚えがある。それは俺の真理であり彼の正義であったと思う。彼の住むマンションと俺の住む借り住宅があるだけの寂れた団地だ、空想の上を歩く二人を見た奴はいないだろう。仲がいいと思われていたわけじゃない。それでもどういう因果か、倒れた彼が身につけていたというヘッドホンが俺の手元にやってきた。いっそ怨念か呪念か、そういった類のものなのだと思った。
 でも、まあいい。
 それでもいいんだ。
 俺は静かにヘッドホンを装着し、送電塔の元へ向かう。山の中に発電所があるために、ここらの電線は空に浮かぶ五線譜のようだった。オタマジャクシのいない波間が、風で揺らめいている。
 ふと思い立って再生ボタンを押す。知らない外国人の声が流れてきた。彼は洋楽も聴いたのか。知らない情報だ。きっとまだまだ知らない彼があるんだろう。俺はそれを知ってみたいと思った。彼の内側のことを、俺は全然知らない。彼は最後どんなことを考えてどんなことを為そうとしたのか。それが知りたくて手をかける。送電塔のてっぺんへ。そこへ行けばきっと分かる気がした。
 one,two,three,four,…



 4の続きを始めよう。


prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -