『なに、また来たの、』

冷たい声。
名前はシン。スラム街の隅の方。廃れた孤児院に数人の仲間達と暮らしている、ヴォルフと言う通り名がまさにぴったりの汚いやつ――あの頃の私はそう認識していた。ひょんな事からガエリオとカルタが妙に気に入ってしまって、こうして三人で遊びに来るようになって暫くが経ったあの日の事を、今でも鮮明に思い出せる。最初は面白半分だったのに、私以外の二人はいつの間にかあの汚い孤児院にも溶け込んでしまった。こんなところ、大人達に見つかったら何て言われるか…。
想像しただけで身体中の傷が痛くなってきそうだった。深い皺を眉間に刻んで、私を上から見下している不機嫌な彼女に向き合う。
正直、私は初めの頃はシンが好きじゃなかった。それは彼女も同じだったらしく(と言うより彼女は私単体でなくガエリオとカルタも好いていないが)、それでも、私にだけは一段と声が冷たい気がした。今となっては真相は聞けないが、あの頃のシンは私に対して酷く冷たかった。まあ、別に、冷たくても私にとってはどうでもよかった。私も同じくらい彼女に冷たい態度をとっていた自覚がある。
私達は、あの頃から既に気付いていた。直感していた。お互いが、妙に似ている事に。何か近いものを持っていると言う事に。そう、いわゆる、同族嫌悪に近かった。だからだと思う。こんなにも、目の前の彼女が、嫌いだったのは。嫌われていたのは。

『ねえ、さっさと帰れって君からあの二人に言ってくれない?君もこんな所に長居したくないでしょ』

上からの物言い。私は思わず睨みつけた。すると、「何、やるの?」と言いたげな表情が返ってくる。まったく、つくづく似ている。頭を抱えたくなった。早く彼女の前から去りたいと。
大きく厚い本を抱え直し、何か言ってやろうと再び睨み上げたその時、うっすらと、彼女の首元に見えた紫色の痣。
思わず身体が硬直する。
シンは、気付いていないのか、相変わらず不機嫌なまま私を見据えていた。
『それ…』
声が漏れる。言うつもりなんて無かったのに、早く帰りたいのに、思わず「痣…」と言ってしまった。彼女は驚くでも何でもなく、小さく「ああ…」と呟くと、グイッと首元を見せる。胸元まで見えそうなくらい、大きく、グイッ、と引っ張る。
そして、至って平気そうな顔で。

『で?これがどうしたの。』

あまりの潔さに、睨んでいた瞳を大きく見開いてしまう。こんなの、何とでもない、と言いたげな、真っ直ぐな眼差し。私には無いその眼差し。
『痛くない…のか…?』
『べつに。慣れてる』
『…。』
絶句した。慣れてる、だなんて。
そんな簡単な一言で、片付けられるのか。
彼女は、相変わらず冷たい瞳と声を私に向けたまま続ける。
『今は別に良いの。いくらでも傷付いて良いの』

そう、きっと、あの一言で、私は落ちたんだ。

『いつかやり返してやるの。この傷の何倍もの苦しみを与えてやるの。』

そう言い切った彼女の眸は、
私の、何倍も、何十倍も、
鈍い光を宿していた。
私と同じ。でも、私と同じではない。
ああ、彼女は、きっと遣り遂げる。
そう、思わせるほどの、鈍い、鈍い――…


恋でもない。愛でもない。友情でも、仲間でもない。
ただ、彼女が欲しい、と、思った。
あの瞳が、欲しい、と。
さながら、深海魚が、酸素を求めているかのよう。



…――シン、
愛は、君の瞳を濁らせる。

君の眼差しは、ずっと変わらないものだと思っていたのに。ずっと私と同じ方向を見つめているのだろうと思っていたのに。
いつからか、その眸は、違う方向を見つめていた。


『…怒ってる?』
『どうして?』
『何となく』
『…まあ、強ち間違ってないかもな』
『…ごめんね。』
『どうして、』
『ごめんね』
『…』

『シン、』

『なぁに』

『お前が、ガエリオのものになる前に』


『刹那でいい、俺だけのものになってくれ。』



あの眼差し、

あの微笑み、

あの声、

あの体温、

あの指先、



ガエリオ、君が全て奪っていった。



『ねえ、マクギリス』


君の口癖だった。

甘えるような。

気を許したかのような。

時には諭すようなニュアンスで。



『…シン、お前は――…』


最後のそれは、今でも鮮明に。


『――ねえ、マクギリス。』


見透かされているようだった。



離れて欲しくない、と、



一瞬でも過ぎった私の心を。



『――バイバイだね。私達。』



あの日はムカつく程に晴れていた。

私の心と裏腹に、

憎らしいくらいに、



美しい、

ブルームンが。



2017.02.11

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