天衣無縫

そこはとても思い出の詰まった場所だった
見慣れた、と云うには幾分か懐かしさを感じるドアを開けると、アナグマの巣へ潜入したかのような錯覚を覚える
地下にある為に窓のないその店は太宰薫子にとって愛しさと哀しみが交錯し一言では云い表せない複雑な感情が出入りする場所だった
そして、その店には一人の先客がいた

「ど、…して?」

薫子の言葉に反応して振り向いたのは会いたいとずっとずっと焦がれ続けていた人である

「久しぶりだな薫子」
「…っ、ええ、そうですね」
涙が膜を張る瞳にはあの頃のままの作之助が映っている。作之助は薫子に座るよう勧めた。薫子は何も云わずに何時もの定位置へと腰掛けた

「…此処に、ずっと居たのですか」
「まあ、そうだな
案外退屈しないものだ」
「お一人で?」
本当に?と疑わしく真意を探る薫子に作之助はよく分からない笑みを浮かべた
「この店でお前達を待つと思えば苦にならない。元はと云えば俺が早く来すぎた」
今度は薫子が笑った
泣き笑いのように、全くその通りですよと云う

それから他愛もない話をし続けた
薫子はこの4年で積み上げた功績と仕事の内容を話してはアレが大変でコレには参ったと口にし、作之助は時折自らの経験談を交えて薫子に同意したり、こうすれば良かったのだと答えを示した
仕事の話が終われば兄と再会した事に話題は移った。相変わらずな部分と、この4年で変化した所。兄の話に作之助さんは何処か嬉しそうにそうか、とだけ云った

「薫子の話が聞きたい」
「私ですか?
話したではありませんか。この4年、私は職務に復帰してから仕事しかしてませんでしたもの」

「それは本当か?」

真摯に薫子を射抜く瞳に暫し胸が詰まる
「俺は、今際の際に太宰へ頼み事をした」
「…兄さんから人伝に聞きましたよ
私を死なせないと最期に約束をしたと、」
薫子の言葉に作之助は短くそうだ。と答えた
「…薫子と最後に会った時、俺は願った
俺達とこの場所で過ごした時のように、今度は陽の下で、薫子には笑っていて欲しいと」

「…狡い人ね」
「お前を幸せにしてやれるのは俺ではない。…それだけは知っていた。」


先程とは打って変わって降り立った沈黙に薫子は頓て降参したように息を吐いた
「…孤児を、育てていました」
「そうか、」
「異能を有するが故に、父親から教育を施されず、幽閉されていたその子供を私は、ひっそりと引き取って共に暮らし始めたのです。…それから直ぐに、ある殿方と出会いました。その方はポートマフィアと敵対する武装探偵社の者でした」
遠くを見つめる薫子の中では在りし日の事が鮮明に蘇っているに違いない

「仕事を通して関わる内に、私は彼を信頼していきました。時に愚かしく映るほど真っ直ぐで、力強く一歩を踏み締め道を作る。他者を扶ける事を選び続ける人、」
「俺とは正反対だ」
「…あら、どうして?そんな事ありませんよ。」
薫子の心底不思議そうな問いに俺は、真っ直ぐで道を耕すような、そんな高尚な人間ではなかった。組織に属しても出世の見込みも意欲もない凡庸な人間であるし、誰かを変える力等持ち合わせていない。そんな趣旨の事を云った。
何故、薫子は探偵社の男と己を正反対ではないと云うのだろう
目を瞬かせた薫子に作之助も同じ様な反応をする。釈然とせず真意を問えば薫子は「作之助さんらしいわ」と可笑しそうに笑って誤魔化した

「狡くなったな」
「私が追いかけてきた三人共。それはもう狡い方々でしたもの」
「…そうか。なら仕方が無いか」
「ええ。仕方ありません」
開き直り云い切った薫子は悪戯を成功させた童のように作之助を見遣った。その視線に応える作之助と見つめ合い同時に破顔する
作之助は薄く微笑んだだけだが、この男を良く知る者にしてみればとても珍しい事である。薫子も静かに笑った

「善いのか」
「何がです?」
「孤児も、その男も薫子を待っているのではないのか」
「…、そう、ですね」

作之助の静かな問いに薫子は言葉を詰まらせた
薫子は願った
国木田と生きていく未来を
晶が自由で居られる場所を

「しかしもう手遅れではありませんか」
諦めたように笑う薫子に作之助は否と首を振った
「お前が自分で選べ、薫子」

目を見開く薫子を作之助は逸らす事無く見つめ続けた。真意を図るように薫子は作之助に目だけで問い掛ける
「太宰と安吾が来るまで此処で俺と待つか。──それとも、」
薫子は言葉を失った。作之助は真剣だった。冗談の類でないのは直ぐに分かる

「私が戻ったら、…作之助さんはまた一人きりになるのではないですか」
「俺の事は気にするな
薫子。お前はもう自由に、何処へでも行けるんだ」

作之助の言葉を受けて薫子は暫し沈黙した。頓て決意したように顔を上げると思い出したように、薫子は努めて明るい声色で言葉を紡ぐ

「そういえば、作之助さん
…あれから、髪を随分と伸ばしたのです」
作之助は少し驚きを露わにして、そして微笑む。薫子の決意を察した作之助は、あの頃云えなかった本心を晒してみせた
「似合っている。
本当は短くても、太宰と間違いようがない。薫子は何時見ても、どんな表情を浮かべていても…美しかった」

薫子はまた笑った
涙を流しながら、それでも嬉しそうに
そして云うのだ

「矢っ張り。
…作之助さんはとっても狡い人だわ」




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