高嶺之花

自らの執務室で回転椅子に腰掛け珈琲を啜る。そんな薫子に不服さを隠しもしない部下が一人。
「私は反対ですぞ」

どうやらAとの縁談話はポートマフィア内を駆け巡っているらしい。皆さん本当に噂がお好きだこと
広津にだけは強く物を云えないのが薫子の常であるが、今回に限ってはそうもいかなかった。
「首領直々のお達しだもの。今更破談には出来ないわ」
「それにしても相手と釣り合っていません」
「あら、一応は幹部よ?
組織内では私よりも格上の筈だけれど」
「下賎な成り上がり者に貴女は任せられない」

苦虫を噛み潰したような広津に薫子はふ、と息を吐いた。彼の悪評は余程有名らしい。

「だからこそ、よ」
飲み干したカップを置いて薫子は立ち上がる。外套を手に取り外出の旨を伝える
「今日はこのまま戻らないわ
ここの所平穏だし、広津さんも偶には早く帰って休んで頂戴」
「薫子殿」
薫子の言葉を遮るように発した広津に思わず手を止める
「貴女の小鳥はどうなさるおつもりで?」
「……」

誰が聞いているか分からないこの場所で、それを口にしたのは賭けだっただろう。薫子は底冷えする瞳で広津を見据えるが真剣な瞳は揺るがない

「…貴方が反対する気持ちは分かる。これが中也だったなら喜んでくれたとも思う。…けれど、

金輪際、その話はしないで。
次、ソレに触れたら私は貴方を反逆者と見なして排除する」



車を走らせる薫子の内には様々な思いが渦巻いていた。此度の縁談、首領の真意やAの思惑…広津が口を挟んだのも頷ける。…私には何のメリットもなく、身の自由までも奪われる。私に忠義を誓い、献身してきた広津さんにとって此度の事は裏切りにも等しいものだったのかもしれない。


その時、薫子の思考を遮るように端末が着信を告げた
「…約束まで余裕な筈だけど、」
微かな疑問を浮かべながら端末をスピーカーに繋ぎ応答した
「何かあった?」

『薫子さん…っ、』
空を切る音と周囲の音から薫子は察知する
「追われてるのね?
…分かった。合流しましょう」

会話の最中に繋いだもう一台の端末で相手の位置情報を取得すると、薫子は車をUターンさせた。荒事は専門外にしても車の操縦技術は組織内の誰にも引けを取らない自信がある。組織・個人に関わらず尾行され、それを巻くのは日常茶飯事の事であるからだ。
…それにしても、
ここの所不穏な噂なんて入ってきていない様子だけれど…、一体どこの誰が銀を捕らえようとするのだろうか。
真逆、自分の部下と探偵社による色恋騒動だとは露ほどにも思わず薫子の疑問は深まっていったのである。


「撫子は儂が守る!!」
「奴は私が仕留める!!」

袋小路に追い込み更に追おうとした時、二人の男女を遮るように一台の黒塗りが割り込むように降ってきた。…比喩表現ではない、文字通り。信号機を止めた筈の交差点からアクセルと僅かな段差を巧みに利用してこの細道へ割り込んできたのである
やがて追いついた探偵社二人も目の前にある車が割り込んで来たのを目撃したのだろう、臨戦態勢でスモークのかかった運転席を観察する。…だが、私には見覚えがあった。この車は…

「緊急事態だと思って来てみれば…あなた方でしたか」

左側の運転席から出てきたのは直属の上司である薫子だった
「薫子さん!何故ここに」
声を上げた樋口を黙殺し、探偵社の面々を見渡すと薫子は端末を手にした
「…出てきて大丈夫よ」

呆れた様子を隠しもしない薫子に樋口は噛み付いた
「薫子さんはあの女をご存知なのですか!」
ピクリと柳眉を持ち上げ不快さを顕にする薫子に樋口は思わず押し黙る
やがて逃げ込んだ筈の路地から出てきたのは顔面を着け仕事着を上から被っただけの姿だが、樋口や国木田、敦も十二分に見覚えのある者である

「銀!…ん?何故此処に銀が?」
樋口の頭に大量の”??”が浮かんだ所で花袋が声を上げた
「撫子じゃ!」
「…ええ!!?」

「…はァ、
詳しい事をお聞きしても?」


場所を移したカフェテラスで銀は仕事着を脱ぎ、年相応の装いになると樋口の質問に答えるべく口を開いた
「…妹ぉ!!?」

まず芥川の妹である事を告白すれば予想通りの反応をする面々と話の展開を薫子は黙って見届けた。芥川を好いている樋口など、安堵からか涙目である。
「樋口、貴女本当に気が付かなかったの?兄さんから銀が女の子なのは聞いたでしょう?」
「そんなのっ気がつきまぜん…っ」

「今日は護衛として、この後薫子さんと横浜で買い物に」
「建前だけれどね。
私も銀も非番が重なる事は滅多にないから、偶に護衛と称して色々と付き添ってもらってるの」
「…それ、職権濫用なんじゃ」
敦が思わず突っ込むとクスりと笑う
「あら、私の頭の中には黄金にも等しいポートマフィアの情報が入っているのよ?」
悪戯っ子めいた無垢さ。そのギャップに充てられた敦は思わず赤面する
「一人にする方が却って不安です」
銀の冷静な一言に樋口は静かに同意した
それに薫子は不満げな表情を浮かべるが直ぐに本題へと促す

「…そんな事より。
そちらの方は?お見掛けした事はありませんが探偵社の方ですか?」
「”元”だな。田山花袋という。
おい、如何する花袋
お前、マフィアの類は嫌いだろう」
「……」
くっ、と唇を噛み締める花袋の様子に薫子は察した。先程、銀を”撫子”と呼んだのだから明白である。女性を花に例えるなんて洒落た事をするではないか

「貴女が黒社会の人間だったとしても、儂は貴女に尽くそう。
貴女を一目見た瞬間、儂は美しさの意味を知った」

傅き恋文を差し出す彼を薫子はいじらしく思う。それと同様に、銀の表情も複雑だった
しかし、黙って首を振る銀を見届けてから薫子はある事を決めた。

「…樋口、珈琲買ってきて」
「…私ですか」
「そうよ。」
渋々と店内へ消えていく樋口を見送ってから薫子は花袋さん、と名を呼んだ
潤んだ目をしながら顔を上げる彼に薫子は同じ目線までしゃがみ込む。

「…銀も、聞きなさい
もしも、貴方が銀を本当に愛していて。この先その思いが報われる時が来たら、銀がそれを望むのなら」
「…薫子さん、なにを」

言葉を切った薫子は懐から手帳取り出し、そこに何かを書き込んだ。数字なのだろう、流れるような筆跡で書き終えた其れをちぎると花袋に握らせた
「本当に銀が貴方と歩む事を望むなら此処に連絡なさい。」
それは正しく彼女の足抜けを手助けする為のものだった

「薫子さん!!」

声を荒らげた銀に薫子は優しく微笑む。珍しい彼女の表情に銀は嫌な予感がしている

「この間、ある女の子とお茶をしたの
とても可愛らしい子だった…でも、その子を見てたら思ったのよ、銀。
血なまぐさい世界で生きるよりも、朝に起きて夜に眠る…そんな慎ましく暖かい場所の方が幸福なんじゃないかって」
「しかし私は…っ」
「それに、この先の私は貴女を扶ける事が出来なくなるかもしれない。…自由な身の内はお節介くらい焼かせて頂戴?」
朗らかに微笑んだ薫子に銀は何も云えなくなる
「…貴女が自由だった事など無いではありませんか」
泣きそうな声色に薫子はふふ、そうかもしれない。とまた笑う
これが、銀が目にした薫子の最後に浮かべた笑顔だった
この後に起こる横浜二大組織の衝突…それから程なくして、太宰薫子は組織から姿を消したからだ。銀が感じている嫌な予感は的中する事になるのである


やがて向かってくる樋口の姿を認めて薫子は人差し指を口元に当て「これは内緒で」と云う。その姿にその場に居る誰もが口を開けず黙した。誰しも理解していた。これは立派な背任行為であると、

「お待たせしました」
「ありがとう」
樋口から受け取ったテイクアウト用のカップに薫子は口を付けた。だが、一口飲んでから朗らかだった表情は一変する
「…これなに?」

「一応広津さんに薫子さんの嗜好を聞いたら珈琲はもう止せと、」
「………」
雄弁な沈黙である
…思い返せば既に五杯以上飲んでる
しかし、だからといって

「…で?これはなに?」
「ソイラテです」
「……」

黙ったままの薫子に銀は密かに「(…気に入らなかったのか…)」と察したのだった




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