邂逅

「そろそろ切り上げましょう」

上司、坂口安吾の一言で薫子も手を止めた。
ポートマフィアにおいて、重要で機密性の高い情報が一挙にこの上司の下に集まるのだ。凡百(あらゆる)情報を選別し、特に重要なものは坂口安吾本人が、緊急性のないものやその他、特に魚釣り…密輸品の買い付け等の金勘定は薫子が整理して首領の元へと届ける。
齢十七になり、幹部となった兄の背を追うように薫子も裏社会へと足を踏み入れた。しかし、血と暴力の世界で育ったにも関わらず薫子は今まで、他人にただの一度も手を上げたことはない。それは薫子を養育してきた森鴎外と太宰治の方針によるものであったが、当の薫子本人は疑問に思うことなく配属となった坂口安吾の下で今日もパソコンや帳簿と向き合っている。

「薫子さん、いつもの場所で一杯やろうと思うのですが貴女もいかがですか?」
安吾の誘いに薫子は苦く笑った
「お誘い頂きありがとうございます。
ですが、私がいるとお邪魔ではありませんか?」
以前安吾に誘われるままにルパンというBarに着いて行った時のことである。兄である太宰治とその友人の織田作之助が既に店に着いていた。
遅れて入った安吾に兄は揚々と、やァ安吾。なんて声を掛けたのに私を視界に入れた途端空気は氷点下まで冷えってしまったのだ。何でここにいるんだいと云った兄を安吾さんも織田さんも宥めたが、その空気に耐えられず私は店を後にした。
その苦い経験から安吾さんに誘われても中々諸手を挙げて、とはいかないのである。
私の苦い表情に安吾さんも困ったように笑ったが、貴女の心配の種はもう問題ないと思いますよと云った

「何故そう云い切れるのですか?」
「僕と織田作さんで太宰くんの心配の種を取り除いてしまったからです」
丸眼鏡の奥の瞳は優しさに満ちている
薫子もつられて微笑んだ
「それではご相伴させて頂きます」


ルパンに着くとまだ二人は来ていなかった
いつも奥の席が安吾さんで兄を挟んで織田さんが座ると言うので、とりあえず安吾さんの横に着く
ちなみに、今更であるが私も兄も未成年である。
しかも、兄と違ってこれまで限られた交友関係しか築いてこなかった私はお酒を飲むのも初体験である。
内心ドキドキとしながら安吾さんと他愛もない談笑に勤しむ。
安吾さんはとても優しく、また恐ろしく仕事の出来る上司である。
分からないこと、判断し難い事案も聞けばするりと解決してしまうし、何より博識だ
そんな坂口安吾の唯一の部下が私なんかで良いのだろうか、と度々頭を過ぎるが、それと同時に誇らしくもあった。私は兄のように前線に出たりはしないけれど、情報戦というポートマフィアの側面で補給部隊位にはなれているのではないかと。
そう、思わせてくれたのは紛れもなく目の前にいる上司のおかげなのである。
…勿論、兄のことは尊敬している。
人として、ではない。兄としてでもない。ポートマフィアにおける生きる伝説として、が正しい。様々なものが欠落している兄と私の関係は希薄だ。たくさんの教養や今の職務に必要な知識も兄から教わった。それに対して感謝もしている
だが、尊敬出来る人かと言われると是とは言えない
だからこそ、安吾さんへの尊敬の念が留まることを知らないのだ。

…それから、織田さん。
三人の時間に水を差してしまったことを詫びようと、あれから謝りに行こうとした。しかし、近くのフロアに用があったからと立ち寄った織田さんは私と同時に謝った。すまなかったと、すみませんでしたが被った瞬間それを見ていた安吾さんは微笑ましげに吹き出した。私と織田さんは同時に頭を上げて目を見合わせた後、やっぱり同時に恥ずかしさから目を逸らす
不思議な人だった
安吾さんも兄さんも心を許し気兼ねなく時間を共有出来る人。その訳が言葉には出来ずとも分かった気がしたのである
陽に照らされた赤茶色が心に飛び込んでこびりついた
今度色の名前を調べてみよう。それか、会った時に綺麗な色だと言ってみよう。根元も毛先も変わらなかったからきっと地毛だろう。
私の頭の中にはそんなことばかりが浮かんでいた




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