呪朱 | ナノ
愚者の滓



全部の本の順番を入れ換えたところで、ガコンッと何かが動く音がした。その音の出所は少し離れたところのように思えた。自分の考えが的外れでなかったことを安堵しながら陽泉の皆さんと一緒にそちらへと足を向けようとする。だけど、不意に背後に人の気配を感じた。やだやだっ、そんなはずない!だって…!喉の奥で声がつまり、空気しか出ては来ない。助けを求めたいはずなのに、なんでっ…。振り向きたくないのに誰かに操られているみたいに体が勝手に振り返ろうとする。振り返れば、直ぐ近く…それも目と鼻の先に窪んだ眼窩を此方へと向ける男がいた。恐怖で硬直してしまった体が微かに逃げようと後ずさる。そんな折りに私が着いて来ていないことに気が付いた福井さんの声が棚の向こう側から聞こえてきた。助かるかもしれないと言う僅かな希望が胸のうちに灯った瞬間、私の足許から床が消えた。宙へと投げ出される体。どれだけの高さから落ちたかは分からないけれど、強く打った体の節々が痛んだ。落ちた場所は真っ暗で何も見えない。上を見上げれば、落ちてきた穴が広がっていた。何が潜んでいるか分からない闇の中でどんどん不安が増していく。



「朽葉さん!大丈夫!?」
「あ、はい…何とか……」
「ロープみたいのじゃねぇと引き上げられねえな……」
「ご、ごめんなさい…」
「謝る必要はないでしょー。置いていったの俺達だし」



意外だった。紫原くんから、そんな言葉が出てくるなんて。出会ってからまだ数時間ぐらいしか経ってない人間のために此処から脱出するための案を考えてくれているのに私が泣きそうになってる場合じゃない。ポケットに入れたままのスマホを取りだし、アプリとして入っているライトを使って辺りを照らしてみる。奥の方に扉が見えた。よく見掛けるような教室の扉。多分、此処からは穴からじゃ出れないと思う。皆さんの顔が随分と小さく見えるし、落ちてきた時の浮遊感を感じてた時間も長かったから。そしたら手段は一つしかない。怖いけど、ここで時間を食うわけにはいかないんだ。赤司くんたちが手懸かりを必要としているんだもの。不安がないわけじゃない、それでも覚悟を決めなきゃ。



「あ、あの!向こう側に扉があるので其処から出てみます。皆さんは、体育館に戻って下さい」
「何言ってるアルか。そんなの危ないアル!」
「図書室だって安全な訳じゃないんです。何時までも私のせいで留めている訳にはいかないじゃないですか。…お願いです、行ってください。私は大丈夫ですから」
「はぁー?チビでどんくさいのに大丈夫ってよく言えるよね」
「敦。……本当に大丈夫なのかい?」
「はい」



頭上から聞こえてくる声に大きく頷いて見せる。大丈夫大丈夫、きっと大丈夫。自分にそう言い聞かせながらなんて滑稽も良いところだ。微かに自嘲の念を禁じられない。幾つかの注意を聞かされ、意を決して扉へと足を向ける。深く深呼吸をしてから、その扉を開けた。扉の先は廊下のようであり、微かに足元を照らす非常灯だけで視界は非常に悪い。ううっ…もう帰りたい。挫けそうになる心を叱咤し、足を踏み入れた。



「…なんか、埃っぽい……当たり前と言えば、当たり前なのかな…」



一人言とか言ってないと落ち着かないなんて。一人が本当に怖いから仕方がないのかな。自分で言い出したくせに後悔なんて本当に情けない…。万が一、化物が出た時のことでも考えなきゃいけないのに。指先の震えを堪えながら思考を切り替えようとしたところで少しだけ目に入る光の量が増加した。それまでに比べて視界が良くなった所は少しだけ開けた場所。其処から道が分かれていた。右か左。単純だけど難しい選択だ。ええい、迷うな直感で決めろ!右だ右!本当に直感に従って右に進み、後悔しないように走って奥へと進んでいく。息が苦しくて、もう走れないと思ったところで足を止めた。其処で目を見張ってしまう。なに、ここ……鏡の、部屋…?辺り一面の壁が全て鏡で出来ているようだ。触れてみれば、特有の冷たさが肌を刺していく。……やっぱり間違えたかな、選択。



「はぁ…結局は後悔してばっかりなんだな……どうしっ……きゃっ!?」



鏡越しに髪の長い女の子が見えて驚いた。不思議と恐怖を感じなかったのは化物ではなかったことと彼女が気を失っているようだったから。恐る恐る振り返り、そちらへと歩み寄ろうとした。けれど、それを阻むように透明な壁が私と彼女の間を隔てる。この箇所だけが硝子で出来てるんだ…。割ることは可能だろうか?けど、そんな力はないし、割ったら確実に彼女が怪我をしてしまうだろう。長い桃色の髪の女の子を見つめながら、どのくらいの時間が経っただろうか。硝子全体を観察していて可笑しなことに気が付いた。その箇所だけが妙に硝子が分厚いように思える。ゆっくりと手を滑らせれば、微かに皮膚に引っ掛かりを覚えた。そこを執拗に調べれば、一見してみると見えないように巧妙に隠された鍵穴が姿を現す。不意に廊下で見付けた鍵の存在を思い出した。だけど、あれを持ってるのは赤司くんだ。どうしよう…置いていけないよ。でも、鍵がないと出してあげられない。



「無理にでも鍵を赤司くんに渡さなきゃ良かった……」
"出してあげない"
「え…?」
"出してあげない!!"
「あ、あなた…何なの…」



何時の間にか背後に立っていた少女の姿に一目で異様だと分かる。だって半透明だし、何より血塗れなんだもの。よくあるホラー映画に出てきそうだなんて感想を覚えたのも束の間。手にしていたナイフが振り上げられる。咄嗟にガードしたことによって腕に感じる痛み。だけど、傷を確認するより先に二撃目がきて、それを回避するのに必死だった。今すぐにでも逃げ出したかったけど、どうしても女の子が気にかかってそれが出来ない。でも、このままじゃ私だって危ないことに変わりはないのだ。人間って自分の身が一番かわいいって本当なんだって思う半面、意地でもそれに逆らってやりたくなる。こうなったら意地だ!



「邪魔しないで!!私は、あの子を助ける!助けなきゃいけないんだから!!」



話したことも会ったこともない初対面なのに、そうやって口に出したところで決意が固まる。うん、助けなきゃ絶対に。だけれど、それが相手の怒りに油を注いだのか。更に形相を変え、そのナイフを振り回してくる。頑張って避けていたけれど、不意に足が縺れた。目の前でにやりと三日月が笑う。バイバイ、そんな声が鼓膜を震わす。何故なら足が縺れたその先には床はなく、ただ闇が広がっていたから。再び感じる浮遊感。一瞬だけ意識が飛び、気が付くと校舎の何処かに投げ出された体。視界に映り込む化物に絶望が胸の中へと広がった。




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