怠惰陰陽師 | ナノ
忘れてしまえ



腕に巻いた数珠が、じゃらりと鳴る。深く息を吐き出した紗雪は、怒りを鎮めようとしたが出来そうになかった。このまま術を使うわけにはいかない。心の乱れは、そのまま術に反映されるもの。故に安易に使用できないものだ。術を使わない事は出来るが、それは大抵は浄霊だ。浄霊と除霊。単純に霊を殺すか殺さないかの違いだが、この悪霊には浄霊は通じない。ならば除霊しかない。紗雪は当然ながら初めからそのつもりだった。



「…アカン、キレたんちゃうか紗雪のやつ」
「キレた?」
「せや、昔色々あって以来、彰子最優先になったんや。その彰子を狙う言うた悪霊にキレても可笑しゅうない」
「…ちなみにキレた場合の対処方法はないのですか?」
「……そもそもキレるの事態が珍しいんや。ある訳ないやろ」



微かに届く会話を聞きながら紗雪は、相手を拘束する霊力が緩んでいることに気が付いた。力を相当に溜め込んだ悪霊相手では、そろそろ限界かと灰を床へとまく。その行動に何の意味も見いだせないと悪霊は嘲笑い、会議室の備品が震えだした。俗に言うポルターガイストを起こし始めた悪霊に目を細め、再び印を結んだ。符を燃やして作った灰に意識を集中させていく。体内からの拘束より、外側からの拘束である。符にこめられた呪力を利用し、再び悪霊を拘束していく。



「ねぇ、もう出ていってよ。さっきに比べて苦しいだろ?灰を少しでも吸い込んだら其処から侵食されていくよ」
「うぐっ、あ……出てい、く…だ、から」
「見逃せ?無理だよ。お前は今まで二十人以上を憑き殺してる。そして人の体を利用して更に八人。どんなに体の奥に入ろうとも逃げられないよ。お前は此処で消し去る」
「くそぉおおおお」



滅茶苦茶に暴れまわる悪霊に目を細め、頬に走った裂傷から流れる血を拭った。此処まで悪足掻きをする悪霊も珍しいものだと紗雪は拭った血を一瞥する。自分を傷付けたのは悪霊の念――所謂、呪いのようなものだ。力をつけた悪霊には珍しくもないものだが、其処まで育つにはかなりの時間が掛かる。そして、そんな悪霊ほど力がある人間の血を欲するものだ。現に紗雪の血を見て興奮を示していた。大きく溜め息を吐き出し、無理やり霊体を引き剥がすことにする。憑かれた方の霊体も多少は傷付くし、何より疲れるために彼女には大嫌いなやり方。



「ちょっと痛いけど我慢してよね、ワカメくん。まあ、意識ないし平気か」



一応、断りの言葉を適当に述べてから頭を掴んだ。其処から霊力を鋭い刃のように見立て、物体と物体を切り離す様子をイメージする。耳をつんざぐ様な悲鳴が響いた。それを見た真田が立ち上がり、制止をかけようとするのを周りが押さえ付けながら事の行く末を見守る。無表情で膝をつく切原の体を見下ろし、そのまま腕を引いた。普段なら見えるはずもない、鬼のような形相した男が切原の体から少しずつ現れていく。一時的に視える状況にある立海の誰もが、ひくりと息を飲んだ。顔色ひとつ変えなかった紗雪は、男を完全に引き剥がしてから漸くと笑みを浮かべた。



「掴まえた。ふふっ、凄く苦しいよね。私の力が強すぎるから触られたところから焼けていくからな。でも、姫さんに手を出そうとしたから当然の報いだよ?除霊じゃ彼方側にも渡れやしない。お前の存在そのものが消える。地獄にも行けないから百の巡りも訪れない。そんな今の気分はどう?」

「……あれ、マジであの無表情ダラダラ女かよ?」
「……ブンちゃん、現実を見るんじゃ」
「紗雪は隠れドSや」



紗雪は手に力を込めると一際苦しそうに悪霊の顔が歪み、さらさらと砂のように崩れていった。そこで小瓶の蓋を開け、中に入っていた神酒を手と砂に掛ける。完全に砂が消えたのを確認してから倒れた切原を足で蹴った。



「はい、終了。もう今日は動けない帰る鯛焼き食べたい」
「……最後の一蹴りは必要あったのか?」
「ある訳ないじゃん。面倒くさい体質の精神惰弱な馬鹿にムカついたから。…このワカメ、超一級の霊媒体質だね」
「それは俗に霊に取り憑かれれやすいと言うものか?」
「糸目、正解。取り敢えず目が覚めたら帰るから、さっさと叩き起こしてくれない」



忍足に背負われながらマイペースに言い放ち、早くしろと喚き散らす。あまりの煩さに幸村が切原を起こし掛かった。すぐに目を覚ました切原に次々と声が掛けられるが、等の本人は何があったのか分からないとばかりの表情を浮かべていた。どうやらここ数日の記憶が無さそうだ。それを見ていた紗雪は、もう帰ろうと忍足に囁く。それに大人しく従うように彼は歩き出す。暫くして背後から掛けられた声に彼女は忍足を止めた。そして振り返りながら呼び止めた人物の視線を真っ正面から受け止める。



「赤也の記憶が抜け落ちてるのは、どういうこと?」
「そう怒る意味が分からないな。あんなの珍しい話じゃない」
「珍しくない…?記憶がなくなることが?」
「そうだよ。私はね、霊がどれだけ深く根付いてるか、それがどれだけ危険な霊かランクをつける。彼は深度8の危険度B。深度8って言うのは相当ヤバイんだよ。既に体を乗っ取られた状態を指す。数日前から、そんな状況だったわけだけど気付かなかった?」
「数日前から…」
「まあ、まだ体を扱いきれなかったから何も事がなかっただけだ。取り敢えず記憶がなかったことは喜んどけば」
「喜べるわけがないだろ!」
「へえ、じゃあ君はワカメくんに悪霊に乗っ取られてる時に小動物を殺してたことを覚えてろって言うんだ。酷な事を言うね」
「…自分やないんやから分かるわけないやろ。言い方考えや」
「別に。私は、自分の子供を殺したことを覚えていて気が狂った父親を知ってる。自分の家族を海に突き落として殺してしまって自殺未遂をした女を知ってる。ジロちゃん…慈朗もそうだ。友達を傷付けたって泣いて苦しんでた。だから、良いじゃん。覚えてなければ、それで。用はそれだけなら帰る。明後日には学校は元に戻ってるから」



立ち尽くす幸村に見向きもせずに、早く帰ろうと忍足に声を掛ける。ずきずき痛む傷に手を触れ、足許を歩いてくる子猫を見下ろした。にゃあ、と鳴いて姿を消す動物霊に僅かに紗雪は瞳を揺らした。




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