嘘だ。と思った。
「なあ、お嬢ちゃん。さっきからぼうっとして、どないしてん。俺が慰めたろか。」
ぽんと頭上から優しく撫でる手のひら、消えてしまいそうなほど、柔らかい声。細くて長い指も男の人なのにきれいな優しい声も、あの人と全然違うのに、似てるな。と何故か思ってしまった。
「ほんまどうしたんや。何か言ってくれへんと分からへんで。辛いなら辛い言うたらええ。俺が真っ先に抱きしめたるから。」
「…うるさいですよ。変態ですか、あなたは」
「ヒヒッ。直球で聞かれたわ。おもろいなお嬢ちゃん。まあ変態で合うてるけど。」
肩をすくめて彼は答えた。
パイソン柄のジャケットが目にちかちか来て、私は目を逸らした。この人がヤクザなのかヤンキーなのか、はたまたただのイかれた危ないやつなのか、私には分からなかったが、よくよくじっと見てもあの人とは全然違った。同じところを挙げると、大阪弁なだけ。
…そう。久しぶりに東京で大阪弁を聞いたから、あの人を思い出してしまっただけ。
「……やっぱり、全然違った。」
「何がやねん」
「いいえ、何でもないです。…すみません、私もう行きます。絡まれてるところを助けていただいてありがとうございます。もう大丈夫なので」
「ほんまに? せやけど心配やで。俺が家まで送ったるわ。」
「大丈夫ですって。あなたと一緒に歩いたら変な目で見られます」
「うわっ、ドきついこと言うなあお嬢ちゃん。ほんまおもろいわぁ」
「面白くないです。てか着いてこないで下さい」
「助けてくれた恩人になんて言い草やねん。ちゅうか待って。名前だけ教えてくれへんか?」
「何でですか。」
「お嬢ちゃんおもろいし可愛いからや。それに、お嬢ちゃんにまた会うてお喋りしたいしな。お喋りする時には名前知っとかんとあかんやろ?」
同じ言葉を、言われたことが、ある。それはあの人からの言葉なのだが、言い方は違えどとても似ていたので本当にびっくりした。
ーー「お嬢ちゃんの名前、なんて言うん?」
ーー「…何で、知りたいんですか?」
ーー「お嬢ちゃんおもろいし可愛いからや。それに、お嬢ちゃんにまた会うてお喋りしたいんやワシ。」
ーー「……私なんかと話しても面白くないですよ」
ーー「こらこらこら、何言うんや。自分を卑下するのはあかんで。それに自分で決め付けるんやない。お嬢ちゃんはおもろいで。せやから、ワシはもっと話したい思った。ワシらの会話を今日で終わりにしたくないんや。」
ーー「…そんなにですか?」
ーー「おう、そうや。…教えてや。名前。」
ーー「……#祐里奈#です。」
ーー「#祐里奈#ちゃんか。かわいい名前やなぁ。ますます好きになったわ! これから宜しゅうな。
……ああ、いかんいかん。
話の途中で昔の長い会話を思い出してしまった。私の顔前でお兄さんが手をひらひらと振っている。意識あんのかぁ、大丈夫かお嬢ちゃん〜。と、お兄さんが言った。
私は急いで謝った後、しつこく名前を尋ねてくる彼に仕方なく名前を教えた。
「#祐里奈#、ちゃん?」
「…はい」
「#祐里奈#ちゃんか。ええなあ。かわいい名前や。もっと好きになったわ。これから宜しゅうな!」
そうニカッと彼は笑い、私の頭をまた優しく撫でた。その撫で方と言葉が、ふとあの人とリンクした。全く同じ言葉を放った彼は、あの人の生まれ変わりではないかと思ってしまうくらい、そっくりだった。
すると何故だが、忘れようとしていた情景がぶわっと脳裏に浮かんだ。#祐里奈#ちゃん。あの人は嗄れた声で私を優しく呼んだ。優しい声のあの人は、心も優しかった。私にいつも会いに来てくれて、私を笑わせてくれて、私が泣くと抱きしめてくれてーー。
「!? え…な、#祐里奈#ちゃ、な、泣いてるん?なんでや?」
声からして驚いている彼の顔がぼやけて見えなくなるくらい、私はぼろぼろと涙を零していた。この人はこんなに近くにいて私の名前を呼んでくれるのに。あの人はどうして遠くにいて、私の名前を呼んでくれないのだろう。そう思った。なんで。なんで。なんで勝手に死んじゃったの。そう思えば思うほど、涙が溢れて、泣いてるせいで頭も痛くなって、負の循環に陥ってしまった。
嗚咽を隠せないくらい泣いてしまった時、彼はぐいっと私を抱き寄せた。
頬を伝っていた涙が彼のジャケットに落ちたのを見た。
「#祐里奈#ちゃん。泣かんでええ。俺はここにおるで。せやから何も怖いことはあらへん。あんたは泣かんでええんや。」
「…っ、だって、泣きたくなくても、涙が出るんですよ。あなたが、優しいせいで。」
「俺が優しい? いやいや、#祐里奈#ちゃんが優しいから涙が止まらんのやろ。#祐里奈#ちゃんを泣かせとるやつは罪なやつやのぉ。俺がどつき回したるわ。」
「…お願いします。あの人が私の目の前で土下座して謝るくらい、どつき回して。…あの人ドMだから、多分ヘラヘラしてると思います。」
「そりゃあかんなあ。俺が根性叩き直したるわ。」
「ふふ。…叩き直して欲しいんですけど、あの人強いですよ。あなたが立ってられないくらい喧嘩が強いんですから。」
「おお、そうか? 俺も喧嘩強いで。昔っからな。喧嘩大好きなドアホによく「喧嘩しようやぁ」って、付き纏われたもんや。」
「…ふふ。あの人も言いそう。やっぱりあの人とあなたはどこか似てるのかも。」
「そうか。よう分からんけど、似とるんやろうな。」
私が頷くと、「俺に会えて良かったなぁ。」といきなり上から目線で言ってきたので、私は思わず笑みを零した。
ほんなら、俺もう行くわ。そう言って彼は立ち上がった。はいと頷いて見送ろうとしたが、彼の名前を私は知らない。
「…ああ、ええと、お名前…!私も聞いていいですか。」
「ん?知りたいんか?」
『…はい。名前知っておかないと、会いたい時に探せられないですからね。』
「さっき言うとった“あの人”の、名前は知らんのか?」
『…知らないです。聞いておけばよかったな、って後悔してます。』
「そうか。俺が探してやってもええで」
『…大丈夫ですよ。あの人、亡くなっちゃったので。私の目の前で。誰かを守って撃たれちゃったみたいです。』
「…そうか。最期まですごいやつやなあ、その人。尊敬するわ。死ぬ前に会いたかったわ」
『…そうですね。』
なんだか暗い話になってしまった。
名前を再び尋ねようとした時、私よりも先に彼は名乗った。
「真島吾郎や。また会いたくなったらあんたのこと探すわ。ほな」
私の頭にぽんと手を置くと、彼は去っていった。
真島吾郎。
聞いたことがある名前に、私は首を傾げる。
『……あ。』
真島吾郎はあの人が絶賛していた喧嘩相手だということを、今思い出した。