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フェイクだらけの空間





『…あー…これは、どうしたものか』


一時間ほど前にいた屋敷へ足を踏み入れると、名字はその変わり様に衝撃を受けた。
結野衆の陰陽師たちには血の跡は見られない。揃いも揃って、床へ項垂れている。優秀な結野衆がこんなザマだとは、思いもしなかった。そう、心中で呟く。

屋敷内には、異様な気配が立ち込めている。物音一つしない静かな屋敷内は、恐らく、一般人でも気が付いてしまうくらい、“何かがいる”そう感じるものであった。そして、その何かに全身を視られており、一歩足を進めれば後ろにいる何かに一歩近付かれ、前にいる何かに一歩退かれる。名字はただ一人、そんなようなものを感じ取った。

純白な式服を身に包んだ陰陽師数名を、踏まないように避けた。屋敷に立ち入って十五分、引き続き、目的である晴明か、銀時であるものを探す。もちろん、神楽も。最も、神楽はまともなものではないかもしれないと、名字は神楽に対する期待心は捨てた。


「名前さん。お待たせしました」


背後から声があり、振り向く。
名字の背後には、運転手の男、鈴宮薫がいた。


「巳厘野衆数名には志村さんの元へ行って頂きました」


黒いスーツを身にまとう鈴宮は、淡々とそう口にする。表情は常時変わらず、無表情のままである。


『そう、ありがとうございます。それにしても、あんな大勢在籍している巳厘野衆が別件で五人しか残っていないとは…これも奴の作戦でしょうか』
「さあ、どうでしょう。そうでしたら、奴は頭が回りますね。ひょっとしたら、俺たちも奴の手の中で動かされている可能性もありますよ」
『……そう。それだったら怖いですね』


名字は笑みを作るも、すぐに笑みを消した。
鈴宮が言っていることは、可能性としては十分にあることだと感じた。

――新八さんは現在、銀時さんに取り憑いてるものによって、脳が侵されているのだろう。あの様子からして、元気ではないことは確かだ。五名しか残存していない巳厘野衆を新八さんの元へ送ったが、役に立つのは一体何名であろうか。



代わり映えしない屋敷内を淡々と付き進む、その最中。
奥へ進むために襖を開けた途端、名字と鈴宮は身体を固めた。突然、ある人物に遭遇したのだ。
それは、目的である坂田銀時でも、結野晴明でも、神楽でもなかった。


「……名前さん」
『……』


背後にいる鈴宮の視線を感じた。
名字は息を呑んだ。


床に倒れていたのは、ここに居るはずがない人物。志村新八であった。
名字は即座に頭を動かす。今、先に見極めなければいけないことは、本物か、本物でないか。ただ、それだけであると。冷静に考えれば、彼はこの屋敷内に存在しないはずである。倒れていることは不自然ではないけれど、この屋敷内で倒れていることは大きく不自然だ。


「…起こしますか?」
『……最後にしましょうか』


鈴宮は小さく頷いた。
志村新八の姿をしたものを避け、名字は、その先にある襖に手をかける。抵抗なく、襖を開けた。

しかし、依然変わらず、そこにも。


『…移動しているのでしょうか?』
「……そのようですね」


背後を確認した鈴宮が肯定する。六畳ほどの和室の中心に、志村新八がうつ伏せで倒れている。どうやら、背後に居たものが、宣言通り、移動しているようであった。
私たちの行く手を阻んでいるのだろうか、と名字は溜息を漏らす。


「…どうしますか」
『……』


起こすか。起こさないか。
鈴宮は口には出さなかったが、名字はそう尋ねていると、感じ取った。どちらでも良いが、起こさないと何も進まないのだろう。


『…起こす。お前は下がっていなさい』
「…はい」


名字は足を一歩出す。二歩出す。
志村新八らしいものに近付く。
不可思議なことが起こることは予想できる。

三十センチほど先。
志村新八に手が触れることができる、その時。


ブーブー、ブーブー。
意識を集中させ過ぎていた影響か、ポケットの中で揺れ動くものに、僅かに驚いてしまった。
携帯だ。電話がかかってきている。非通知という名前の、不自然なものから。


『……』


志村新八のようなものから少し後ろへ下がり、名字は電話に出る。すると、現在の状況からして、相応しない声が耳に入った。


「…あ、名字さんですか? 僕です。志村新八です」
『……は?志村新八?』
「…はい。どうしましたか?」


電話相手は、志村新八の“声”だった。志村新八は、私の電話番号を知らないはずだと、名字は即座に電話相手を疑いにかかった。
志村新八の”声”は、適度に落ち着いていた。焦りや怯えは感じられない。


「銀さんのことで、分かったことがありまして…お電話しなくちゃと思って」
『……そうであるならば、どこから電話番号を入手したのですか?』
「そんなことはいいじゃないですか。どうでも」
『……』
「それより、分かったことはですね、あの本は今必要なものではないということです。だから、早くそれを捨ててください」
『…なぜ捨てるということになるんです』
「ははは。そんなことは別にいいじゃないですか。おかしなことを聞きますね、名字さん」


当然ながら、おかしなことを言っているのは、電話相手の方だ。もう少しうまく騙せと、名字は電話相手に呆れを感じた。
通話を容赦なく切り、鈴宮に目を向ける。鈴宮は、汗をかくことなく、変わらず無表情で名字を見ていた。


「…名前さん?」
『……』


名字の手の平に握られているものが、再び揺れ動く。
電話だ。同じく、非通知から。仕方ないといった具合で、名字は再び電話に出る。


『…なんだ。邪魔したいのですか』
「久しぶりアル!」
『……?』
「ずーっと帰ってこないから心配してたネ!何してたアルか、お前」
『……』
「どうしたネ、黙って。具合でも悪いアルか?」
『……えーっと、誰ですか?あなた』
「誰って!私アル!あはは!変なこと言わないでヨ!」
『…私って誰ですか?』
「私は私アル。ふふふふ」
『誰だって聞いてるんだけど』
「私は私。ふふふ。私。私。私…」



ここで、間が空いた。
変な、気味が悪い間が。

そして。



「ぎんとき」
『……銀時?』
「……」
『……』
「なア」
『……?』
「い。い。い。い。ら。ら。しゃ。い」
『……?』
「いらっしゃい」
『…なに?』
「いらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい」
『……はいはい』


電話を切る。電話相手は、遂に常識人の振りをするのを、止めたようだ。
再び電話がかかってきたが、出ても同じことである。そう考えた名字は無視という判断をした。その際、鈴宮に携帯の電源を切るよう促され、名字は素直に、電源を切った。否定する理由はなかったからだ。

携帯をポケットに戻すと、改めて、倒れている志村新八“らしきもの”に目を向ける。


「…名前さん。どうしますか?」
『……』


名字は鈴宮に返事を返さず、先に進むための襖に手をかける。先ほどまで簡単に開いていた戸が、元から開かないもののように閉じている。開く気配はない。


「…俺たちは何も対策を練ってきていません。一度出直しませんか」
『……』
「今の状態では、あちらの方が一枚上手です。今のままでは、やられるだけですよ」
『…ここまで来たんですから、神楽さんや晴明さん、銀時さんの安否を把握しなければいけません』
「…確かにそうですが…本が心配です。取られてしまっては元も子もありません」
『…だったら、どうしろと?』
「…この屋敷ほど危険な場所はありません。俺が預かって、本を安全な場所へ移動させます。名前さんは、どうせ彼らに本を返す予定はないんでしょう?」
『…さあ。そう感じましたか?』
「…ええ」
『そうですか。でしたら、あなたの感じた通りに動きましょうかね』


「ええ」と、鈴宮が手を差し出す。名字の懐に潜む教科書を渡せと言わんばかりに。
『はい』と、名字が鈴宮に微笑みかける。それ以外、変化はない。


「……名前さん?時間がありません。早く俺に」
『ええ。ですから、言われた通りに行動したでしょう』
「…はい?」
『あなたが言った通り、”彼らに本を返す予定はない”を実行しました。彼らとは、銀時さんに憑いているもののことでしょう?何かおかしな点でも?』
「…なぜ、俺に渡してくれないんですか?…俺を信用してないんですか」
『信用…そうですね。なぜ私があなたを信用していないのか、分かりますか?』
「……」
『分かりませんか。そうですか。…では、少し質問を変えます。
なぜ、私を騙せると感じたのでしょうか?』


ぴり、とした沈黙が、二人を囲う。


「……どういう意味ですか」


鈴宮の冷めた瞳と、名字の弧を描くも無感情な瞳がかち合う。


『…得体のしれないものとお話をするのは、やはり楽しいです。…実に興味深い。今までいろんなモノとお話をしてきましたが、あなたのようなものは初めてです。こんなに似ているモノ、初めて見ました』
「……」
『あなたは実に頭が良く、強力だ。ヒトの容姿や声を真似ることなんてお手の物なのでしょう。正直なところ、最初は私も、あなたに騙されていたのですよ。屋敷内に入る前までは、あなたを本物の薫であると思っていました。あの子は訳あって守護霊様が存在しません。ですから、あなたが薫の姿をして現れても、見た目には何の支障もありません。最中までは、あなたは完璧な薫だったのです。しかし、一つ誤りがありました。…それは、薫は私に意見をすることはない、ということです』
「……」
『意外でしょう。盲点だったでしょう。そう。あの子は私の信者であり、イエスマンなのです。そんな彼が”携帯の電源を切れ”と、私に命令をするはずがありません。だって、今までただの一度もないのですから、不自然です。そして、先程の”本を預かります”発言。もう、あなたが薫ではないことは確定しました』


口元に笑みを浮かべる名字に対し、鈴宮は俯き、顔を見せない。

背後には、”志村新八のようなもの”も、変わらず存在している。


『…ねえ、あなた。いらっしゃいと歓迎をしておいて、その本を奪うだなんて何を考えているんです。今回の主役はその本、教科書です。思い出に残ったものなんでしょう?』
「……」
『…お電話でもお尋ねしましたが、もう一度……何度でもご質問をします。
あなたは、誰ですか?』


こればかりは、名字も緊張した。

俯いている鈴宮に質問を投げたが、どうか顔を上げないでくれ、と思った。尋ねないと始まらないことだが、尋ねたところで恐ろしいことが起きるのは予想できる。

――ごく、と息を呑む音が聞こえた。自分だ。極度に緊張をしている。


目の前にいる、鈴宮薫“らしきもの”の口角が上がるのが見えた。



「ぎん、とき」



まだ、俯いている。まだ、鈴宮薫の声だ。



「ぎんとき」



まだ、俯いている。声に歪みが加わる。



「ナア。
 





 先生を知っているか」




まだ、俯いている。声は鈴宮薫のものではない。銀時のものでもない。誰のものでもない、濁った声。

襖に、ミシ、と亀裂が入る。


――先生?



「先生」
「先生は、いつも笑っている」
「いつも。いつも、笑っている」
「たのしそう」
「たのしそうに、笑っている?」
「恨めしそうに、笑っている」
「おこっている?」
「怒っている」
「怒って、笑っている」
「恨めしそうに。怒っている」
「怒っている」
「怒っている」
「怒っている」
「怒っている」
「誰に?」
「銀時に」
「おれに」
「なんで」
「だって」
「だって」
「だって」
「おれが」
「俺が」
「俺が」


顔を上げた。にっこりと、それは笑っていた。
ぐじゃ、ぐじゃと、顔の人物が変わる。銀時と、知らない、髪が長い男性が、交互に変わる。二人とも笑っている。


「だって、俺が

 

 ころしたから」



そう聞こえた時には、遅かった。

ぷしゅ、と何かが切れる音がした。何か液体が落ちる音がした。
奴が、手を伸ばす。

名字は口を開く。動く左手で印を結ぶ。
――間に合え。

唱える。
――間に合ってくれ。


「ころ 殺し ころしたから」


唱える。
仏の力を借りる。


「いっしょ 一緒に」


唱える。
生物の力を借りる。


「あやまって」


唱える。
左手の印が崩れる。


「し し」


唱えた。


『――それだけは駄目』
「し――」








目が覚める。倒れているのか、視界には茶色の天井が見える。
誰かが、見下ろしている。

「……名前さん」

眉にしわを寄せて、顔を窺うのは、結野晴明の妹である結野クリステルだと気付くには、時間はかからなかった。


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