25万打部屋 | ナノ

嫁の本気!

「マルコさんって格好いいよね」


その言葉に扉を開ける手を止めた。

我が会社では女性社員が極端に少なく、そのせいで女性専用トイレが片手で数える程度しかない。
私がいる部署からトイレに行くのに時間がかかって不便なのだが、使う人がいないので文句は言えない。

そのトイレで聞いた台詞。
化粧室も兼ねるその場所で先輩の女性社員がマルコさんの話をしていた。
「格好いい」と言われて嬉しいはずなのに、身体には緊張が走る。
ドアノブから手を離し、息を殺して聞き耳をたてた。


「何でもできるし、結構タイプかも」
「でも結婚してませんでしたっけ?」
「ああ、名前って子でしょ?あんなのただのガキじゃない。誘惑すれば簡単に落ちそうじゃない?」
「それは…。でも大事にしてるって噂ですよ」
「噂は噂。本当かどうかこれからある会議の前に聞いてみる。もしそうじゃなかったらアタックしてみようかな」


先輩の楽しそうな声に心臓をギュッ!と掴まれた気がした。
早まる心臓を抑えつつ、先輩達がその場からいなくなるのを確認して、ゆっくりと扉を開けた。
洗面台の前に立ち、手を洗ってゆっくりと顔をあげる。


「……私、そんなに子供なのかな…」


鏡の自分に問う。
確かにマルコさんや、先輩達に比べたら子供かもしれない。仕事だって大したことしてないし。
だけど女を磨いている。……でも、あんなことを言われたってことは、そうは見られてなかったってことだよね。
重たい溜息を吐いて部署へと戻った。


「おう名前、遅かったな」
「エースくん…」
「どうした?顔色悪ィぞ?」
「ちょっと…」
「名前、体調が悪いなら早退しても構わないよ?」
「ううん、本当に平気…。あ、でも…ちょっとトイレ行ってきていい?」
「また?まあ本当に体調悪そうだし…」
「部長には俺から言っとくから行ってきなよ」
「ごめんねエースくん。ありがとう、サボくん」


体調が悪いなんて大嘘。
先輩の言葉が頭から離れなくて、ずっと緊張してる…。
顔は解らないけど、あの言葉からして結構自分に自信がある人だと思う。
マルコさんへの愛は誰にも負けないけど、……けど…。マルコさんはどうなんだろう。

部署に戻り、また席を離れる。
サボくんとエースくんには悪いことをしたが、気になって仕事が手につかない。
トイレを過ぎ、本日会議が行われるであろう部屋へと進む。
マルコさんはオヤジさんの秘書だし、色んな仕事をしてるからきっと早くきてるはず。
歩くスピードを速め、早々に会議室へと到着。
乱れる息を整えながら、少しだけ開いた扉から中の様子を窺う。
もしマルコさんだけしかいなかったら、「マルコさんを誘惑する先輩がくるから気をつけて下さい」って言おう。
もし先輩だけしかいなかったら、「マルコさんは私の旦那さんです。止めて下さい!」って言おう。
もし……。もし二人がいたら?


「―――」


覗き見た室内には、マルコさんと先輩の二人だけで、先輩がマルコさんに抱きついてキスをしていた。
マルコさんの背中で先輩が隠れて、しっかり見えないけど明らかだと思う。
その瞬間、私の目からは涙が溢れ、一筋の道ができた。


「離婚が面倒なら愛人でも構いません。だから、私と付き合いませんか?」


あまりのショックに意識を手放しかけたが、先輩の声を聞いて涙を拭(ぬぐ)う。
先輩はまだ抱きついたままニッコリと笑みを浮かべ、マルコさんの返事を待っている。
この人は……。この人は何を言ってるんだ!
マルコさんが結婚をしているのを解って、何でそんなこと言うの!?
そんなに自分に自信があるの?確かに綺麗だと思うけど、マルコさんへの愛は私のほうが強いもんね!


「ちょっと待った!」


我ながらこの場面でそんな台詞はないと思った。
思ったが、頭に血が昇ってそれどころじゃない!
扉を乱暴に開け、中に入ると二人が驚いた目で私を見てきた。
大股で近づき、抱きついていた先輩をマルコさんから引き離す。
マルコさんに触るな!そう意味を込めて先輩を睨みつけると、先輩は鼻で笑って髪の毛を触りだす。


「マルコさんに触れないで下さい!マルコさんは私の旦那です!」
「そう。でもあなたじゃ無理でしょ?」


その言葉には色々な意味が含まれている。
地位的にも、経済的にも、容姿的にも…。全てが私に勝てるわけがない。と言った意味。
そう言われて言い返す言葉ができないでいると、マルコさんに名前を呼ばれた。
悔しくて涙が目に溜まったまま振り返し、今度はマルコさんを睨みつける。
何でキスさせたんですかっ…!マルコさんなら避けれたはずです!
その意志が伝わったのか、珍しくマルコさんの顔が焦っていた。
もしかしてわざと拒否をしなかった?私がいないからいいやって思った?
そんなの嫌だ。いくらマルコさんでもそんなの許さない!


「名前…」


焦り声で名前を呼ばないでほしい。
スーツの襟を掴んで自分に引き寄せ、マルコさんにキスをした。
悔しい。先輩がマルコさんにキスをしたかと思うと悔しくて涙が止まらない…!


「…っ…!」


色んな感情が入り混じりながらキスをしていたら、マルコさんが舌を入れてきた。
いつもならあまりの気持ちよさに逃げようとするのだが、今日は逃げず私も舌を絡ませた。
でもやっぱり気持ちよくて、腰がくすぐったくなる。
快感に耐えながら長いキス(とは言え、実際の時間は短い)を終え、腰が抜けて崩れ落ちそうなのを堪えながら先輩を睨みつけてやる。


「どうだ!」


震える手でマルコさんのスーツを握りしめ、言ってやると先輩は顔を赤くさせて身体を震わせていた。
怒らせたのだとすぐに解った。だけど、人の旦那に手を出したんだから許すわけないじゃない!


「勝てねェなァ…。おい、あんた。見ての通り束縛が強い嫁でな。そんなことする暇もねェよい。ほら、さっさと仕事帰りな」


マルコさんが手で先輩を払うと、先輩は何か言いたそうな顔だったけど、大人しく部屋から出て行った。
今度は私とマルコさんがこの部屋に二人っきり。


「名前、すまねェ」


沈黙のあとの謝罪に、頭がカッと熱くなった。


「何で謝罪するんですか?そういう気持ちがあったからですか?」
「そうじゃねェよい。本当に不意打ちだったんだい」
「それでも拒絶できたはずですよね?何で最後までしたんですか?」
「……悪い」
「謝罪なんていらない!」
「名前…」


マルコさんの困った顔に、私の心がズキンと痛んだ。
解ってる、信じてる。マルコさんにそんな気持ちがないこと…。
信じてるけど、実際にキスされたんだ。それを思い出すと胸が締め付けられて苦しい…!


「マルコさんのこと信じてます…。だけど…。だけどイヤですッ…!あんなのやだ…!」


両手で溢れる涙を拭っていると、両手首を掴まれ、今度はマルコさんからキスをされた。
今さっきとは違い、すぐに舌が入ってきた。
だけど私は逃げる。キスで誤魔化されてる気がしてイヤだ!
掴まれた手首を引き離そうと抵抗もしたけど、強い力に抑えられ全く意味をなさない。
マルコさんの舌も私の舌をしっかり捕まえ、絡んでくる。
また腰がくすぐったくなり、力が抜けていく。
嫌だと言っても解放してくれなかった。


「―――っは…!」
「……名前、」


ようやく手首も、舌も解放してくれた。
全身から力を奪われ、床に座り込んで口を抑えながら息を整えていると、マルコさんもしゃがんで私の手を握る。
ビクリと震え、またキスされるのかと思って目を強く閉じるけど、名前を呼ばれただけだった。


「俺ァ名前以外のキスなんかに何にも感じねェよい」
「……」
「あいつにキスされても、なんとも思わなかった。だけど名前にキスされると嬉しいし、……あー…呼吸させる時間さえあげたくねェって思う…」
「…」
「俺がスイッチ入るのは名前だけだい」
「……ほんと?」
「ああ」
「………もうさせない?」
「させねェ」
「じゃあ…許してあげます…」


なんか凄い告白をされてしまった…!
赤くなった顔のまま許してあげると、握っている手に力をこめ、抱きしめられた。
我ながら単純な女だ…。と思いながら抱きしめ返すと、耳元で名前を囁かれ、また腰にきた…。この声、好きだけど苦手だ…!


「ああ、そろそろ人が来るな。名前、あとのことは任せて帰りな」
「あとのこと?」
「いいから帰れ。それと、その赤くなった顔をどうにかして戻れよい」
「…マルコさんのせいなのに」
「名前は俺に惚れてるからな」
「マルコさんだって私に惚れてるくせに!」
「ああ、お前しか見えねェよい」
「ッ…あー…!何で今日に限って嬉しいことばっか言うんですかー…!」


マルコさんの台詞に、顔だけじゃなく、頭までゆであがってしまった…!
あまり足に力が入らないけど、ふんばって会議室から出て行く。
少しの間トイレにこもっとこう…。ごめんね、エースくん、サボくん。全てはマルコさんのせいだ!
……にしてもキス一つで許す私って単純すぎるよね。よし、今日の夜ワガママ言って困らせてやる!





後日。
会議室でキスしてきた女に呼び出され、素直に出向いた。


「昨日は邪魔されましたが、私は本気です」
「そうかい」
「おままごとに付き合うのしんどくありませんか?」


そう言ってまた抱きついてきた。
懲りねェなァ…。昨日名前に威嚇されたばかりだろい。


「私ならきっとあの子より楽しませる自信があります」


この会社はいつから風俗店になったんだい。
そういうのは赤髪んとこでやれよい。


「すまねェな。お前相手じゃ勃つもんも勃たたねェよい。そっちこそお遊びは控えるんだな。身ィ滅ぼすよい」


笑って言ってやると呆気にとられた顔で俺を見たあと、涙を少し滲ませ睨んできた。
泣きたいのはこっちだい。テメェのせいで名前に嫌われるところだっただろうが。
大事に育ててる子を虐めんじゃねェよい。
俺も睨みつけてやると、女は一歩後退したが、開き直ったように笑いだした。


「あんな子のどこがいいんですか?そこらへんの高校生より子供ですよ?」
「お前と違って純粋な子だよい」
「なっ…!」
「それと最後に忠告しとくよい。俺は例え女であろうが殴るぞ。昔の癖がなかなか直んねェんだ、困ったもんだい…」
「……」
「というのは冗談だが、社会的に抹殺することは簡単だい。さあどうする?」


消えろ。という本音が伝わったのか、何も言うことなく部屋から出て行った。
ま、あれぐらい言っとけば名前に被害はねェだろう。


「…半分は感謝してるけどな」


名前の俺への愛も確認できたわけだし、社会的抹殺は止めといてやるか。






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