兄の背中 あのあと二人は早々に仕事を終わらせ、お待ちかねの夕食を仲間達に奪われないよう食べていた。 盛り上がる食堂だったが、外から警告の鐘が鳴り響き、全員が外へと飛び出す。 見張りをしていた仲間が指さす方向にはいくつもの大型の海賊船。 その海賊船がモビー・ディック号へと向かってきている。 今日は船長の白ひげが留守にしていた。 白ひげだけでなく、一番隊と二番隊と四番隊以外の隊も船にはおらず敵船から見れば少数しかいない白ひげ海賊団は格好の餌食。 すぐに指示を出すのは二番隊隊長で、マルコとサッチとイゾウも戦闘態勢を整える。 「おいマルコ!あのバカどこにいんだよ!」 「俺が知るわけねェだろい!」 バタバタと仲間達が右往左往している甲板の上で、イゾウがマルコに聞くも、マルコは怒りを露わにしながら答えた。 初めての敵船。初めての戦闘。 何もかも初めてだらけに焦りが焦りをうみ、どう動いていいのか解らない新入り三人。 ただ流されるように準備をし、敵船を向かい討つ。 海上に轟く雄たけびに、三人の肩が震えあがった。 「四番隊は右、二番隊は左、一番隊は前後に別れて向かい討て!」 二番隊隊長の指示に三人は別れ、マルコとイゾウは比較的安全な後方へと追いやられた。 すぐに敵船はモビー・ディックに近づき、ロープを使ってどんどん乗り込んでくる。 安全だった後方にも敵は現れ、マルコとイゾウも己を守るために剣と銃をひたすら敵に向けた。 「(街の不良とは訳が違う…)」 マルコは剣で応戦しながら今いる目の前の敵に恐怖を感じた。 今まで戦ってきた不良は、「自分を守るため」に「虚勢」を張っていた。だから少し自分の強いところを見せれば相手はすぐに崩れ落ちる。 しかし、海賊は違う。みな「自分の強さ」を誇示するために「命」を張っている。いくら相手が優位にいようが、「諦める」なんてことはせず、立ち向かってくる。 そんな海賊達に恐怖を感じた。 「ッ!」 「マルコ!?」 「うるせェよいイゾウ!」 一瞬怯んだ隙をつかれ、片腕を斬られてしまった。 血が腕を伝って甲板へと落ちる。 片手で応戦できるほど敵は弱くなく、剣を弾かれて甲板に吹っ飛ばされた。 「あばよ」 笑う敵を見て覚悟を決めた瞬間、遠くで狐が鳴いた。 海上にいるのに何故狐が? マルコだけじゃなく敵も疑問に思ったのか、甲板に一瞬だけ沈黙が走った。 「やれやれ。父様がいねェとダメだな」 パシャパシャと血溜まりを歩くのは一番隊隊長の名前。 止まっていた時間も彼の登場に動きだし、誰かが「九尾の名前だ…」と呟けば敵の全員が目の色を変えて名前に襲いかかった。 「名前ッ!」 マルコが名前を呼ぶと同時に、名前がいた場所に人だかりができあがる。 しかし、名前の悲鳴は聞こえない。悲鳴をあげる間もなく殺されてしまったのだろうか。 そう思ったマルコだったが、チリンと聞きなれた鈴の音を聞いて、空を見上げた。 「コンコン。お前らにゃあ殺されねェよ」 空高くへ逃げた名前が一度笑って、姿を変える。 月明かりのせいでハッキリとは見えないが、いつも見る獣型の狐だった。 「うっ…!」 だと言うのに、気分が悪くなった。そして激しい震えがマルコを襲う。 「怖い」「逃げたい」「気持ち悪い」「助けて」 色々な感情が頭を巡り、一粒の涙となって甲板に落ちる。 それでも、逃げてたまるかと噛みしめ、剣を探して立ち上がる。 「なん…だよい、あれ…」 マルコは自分の目を疑った。 先ほどまでたくさんいた敵は一人も立っておらず、呻き声を出しながら甲板の上で酷く苦しんでいる。 その中に一人佇んでいるのは黒に近い灰色の狐。目は赤く、息も荒い。 一本だけ生えている尾はゆらゆらと楽しそうに左右に揺らし、狐は興奮を抑えるように月に向かって遠吠えをした。 「あれ、名前だよな…」 「イゾウ…」 「あいつ何したんだ…?」 立ちつくすマルコに近づき、話しかけたのはイゾウ。 イゾウも顔や身体に浅い傷を作っていたが、痛みより名前が気になって仕方がないようだった。 「イゾウ、あいつの動きを見たか?」 「見たくなかったのに目が離せなかった」 狐へ変身した名前は敵に襲いかかった。 ただ、噛む、引っかくだけの単純な攻撃なのに、敵はいとも簡単に倒れたという。 血が流れる傷口を名前が舐めると、酷く苦しそうな悲鳴をあげながら死に絶え、何かを囁いたかと言うとありえない死に方でその場に倒れた。 「何だってんだい…」 狐から人型へと戻った名前は欠伸をして前方へとゆっくり歩いていく。 呆然としているマルコとイゾウを殴って意識を取り戻した仲間は、二人に敵を海に捨てるよう指示をし、まだ続いている戦場へと駆け足で向かった。 「見ただろ、あれが野狐だ」 初めての戦が終わって、モビー・ディック号では勝利の宴が行われていた。 奪った酒や食糧で盛り上がっているなか、新入り三人だけは、敵船に積まれていた金銀財宝を自分達の倉庫へと移動していた。 そこへやって来たのが名前。酒瓶を片手に珍しく機嫌が良さそうだった。 「あのときの俺に触れればケガをする。ケガをした場所を舐めれば死に至る。言葉を囁けばそれが現実となる。野狐そのものが「よくないもの」だ」 だから極力あの姿にならないようにしている。 酒を水のように飲み、口を離す。 「解ったならあまり俺に近づくな」 いつもと変わらない無表情な顔と、初めて感情を出した寂しそうな声で三人にそう告げた。 「そうやって拒絶してきたのか。無関心なのか」 「イゾウ…」 「イゾウ」 イゾウは拳を強く握って名前を睨む。 名前は黙ったままだが、イゾウの視線から逃れようとはしない。 「コンコン。何を言ってるんだい、イゾウ。俺は昔から他人に無関心だ。そして生きることにも無気力だ」 「それは嘘だ!じゃなかったら俺の修行に付き合ってくれねェだろ!」 「まァ暇潰しだな」 「だからそうやって拒絶するな!」 「イゾウ、落ちつけよい」 「マルコだって言いてェことあるんだろ!?言っちまえよ!」 「なんだ、マルコも俺に文句かい?いつも言ってんのに飽きねェな」 「俺は…」 最初は大嫌いだった。 名前が自分を見る目は今まで見てきた不良の目とは異質で、軽蔑・憎悪・不信感といったものはない。 あるのは「無関心」。その場にマルコがいることすら興味がない冷めきった目。 何よりその目が怖かった。街では気に入らない人間を睨みつければケンカは買って、自分という存在を相手に刻むことができた。 なのに、名前は無反応。自分の存在を否定された気分。 だけど、次第に名前のことを知れば彼を理解することができた。 白ひげと話すときの名前は少し明るいし、冗談を言えば口角をあげることもしてくれる。 彼の隣にいるのも悪くないと思い始めていた。好意には好意で返してくれるようになった。 「俺は…!名前が好きだよい…っ」 「コンコン。そうかい、そりゃあいいことを聞いたな」 「だから、…お願いだから拒絶しないでくれよい…」 最後になるほど聞き取りにくかった。 だけど弟の切ない願いに、名前は困ったように頭をかく。 俯くマルコを見たサッチはつられるように目に涙を浮かべ、名前を見る。 「俺も名前が好きだ!怖いって思うのは俺らがまだ弱ェからだ!いつかお前を倒せるぐらい強くなってやる!」 鼻をすすり、指をさして宣言するサッチ。 少しの間を置いたあと、酒瓶とは反対の手で頭を抑え、肩を小さく揺らす。 「何笑ってんだ!俺は本気だぞ!呪いになんかに絶対ェ負けねェ!」 「コンコン。勇ましい弟だ」 「…俺は名前のこと隊長だって認めねェけど、今日だけは認めてやる」 「イゾウに認められるとなんか嬉しいな」 「…」 「マルコは初めて俺の名前を何度か呼んでくれたな。初めてだよ、名前を呼ばれて嬉しいと思ったのは」 ぐしゃぐしゃ。と乱暴にマルコの頭を撫でる。 照れ臭くなったマルコが名前の手を払うと、名前が「笑って」いた。 「さあお前らも騒ごうぜ」 そう言って背中を向けて宴会場へ向かう兄を、三人の弟達はそれぞれの思いで見ていた。 ( ← | → ) ▽ topへ |