そういう父親に頭を撫でられ、実沙季は頷いたがやはり不安や緊張は拭えない。


何故なら、父親の再婚相手となる女性とその家族との顔合わせなのだから。


実沙季の父親・晃季(こうき)は、聞き分けが良く、真面目で素直な実沙季を溺愛していて過保護だ。年齢は49歳。33歳の時に実沙季が誕生した。
都内に数店舗出しているイタリアンレストランのオーナーで、彼自身も本店でシェフをしている。
仕事以外では常に実沙季に時間を使っていた。趣味なんてなくて、趣味は実沙季だと公言する程だ。

約9年前に両親が離婚してから父子家庭になった神原家。
まだ幼い実沙季にとっては何もかもが衝撃的で色々と悲しい思いをしたが、晃季が暗い顔を一切見せず、男手一つで懸命に育ててくれたおかげで、実沙季はここまで成長出来たのだと思う。
もし晃季が実沙季と同じように暗い表情で過ごしていたら、きっと今頃鬱病になっていたか、とっくに自殺をしてこの世にいなかったかもしれない。それくらい、当時の実沙季は心を病んでいた。
そんな父が結婚したい人がいると言っているのだ、喜んで首を縦に振るだろう。


それはいいのだが……知らない人との顔合わせとなるとやはり緊張する。
いくら事前に話を聞いていたとは言え、リラックス出来る訳が無い。
ゴールデンウイーク中のこの日、気温は高くないはずなのに、額に汗が浮かんでいる変な男子高生と思われたくなくて必死でハンカチで拭った。

「あ、来たよ。晴子!こっちだ」
『う、うわー!』

額の汗は一向に引かない。実沙季はトイレに逃げたくなった。

***

「ごめんなさいね実沙季くん。志尚(ゆきひさ)の奴、仕事にノると全然部屋から出てこなくなるのよ。トイレには行くけど、お風呂すら入らないの。下手するとご飯も食べなくなるのよ?流石にそれはやめてって怒ってるんだけどね、全然聞いてくれないの。立派なお仕事だから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどね、それでも今日くらいは出てきてほしいわよね?せっかく実沙季くんに会えるんだから。でも志尚はまだいいのよ。問題は玖斗(ひさと)の方よね…」
「母さん、そんなまくし立てて…実沙季くんが困っているじゃないか。話すときはもっとゆっくり伝えなくちゃ」
「あら、ごめんなさい。つい私ったら」

ホテル内にあるフレンチレストランでの一角、実沙季と晃季、晃季の再婚相手の影渕晴子(かげぶちはるこ)、その息子で長男の偵之(さだゆき)と共に食事をしている。

晴子は晃季より三つ上の51歳だ。だが、年を感じない透明感のある肌に、ハリがある目元、コロコロと表情が変わる大きな口を見ていると、本当に51なのかと疑いたくなる。
落ち着いたグレーのスーツから伺えるボディラインもスラリとしているし、父よりも年下に見えた。

そんな母親、晴子に注意するのは、長男の偵之だ。年は28。職業は弁護士と聞いた。
その職業だからか、その年齢だからか、はたまた長男だからか、偵之は28にしては落ち着いていて、堂々としている。声だって低くて深みがあり、随分大人に感じる。
大きく目力がある瞳は、優しそうに目尻が下がっていて、晴子を見つめる眼差しや、実沙季を見る表情が温かい。
大きな鷲鼻と、理知的に細いフェイスラインが特徴的で、横顔が計算されたかのように美しい。少し神経質そうな印象だ。
背は175センチの晃季より少し高いくらいだろうか。晃季とあまり変わらない。それなのに手足が長いせいか、遥かに長身に見えた。
長い指でナイフとフォークを握る姿は上品で、とてもよく似合っている。女性なら、それだけでメロメロになってしまうだろう。
彼が自分の兄になるのか…と思うと、理想のお兄さんで嬉しいのだが、こんな素敵な人だと緊張してしまうな、と思った。

「ごめんなさい、実沙季くん。えっと、志尚は次男で、小説家をやっているの。「粉雪に包まれて」って本、知っているかしら?志尚の代表作なんだけれど…」
「…テ、テレビで紹介されてるのは、少し見ました…あの、すみません、読んだことはないんですけど…」
「おいおい母さん、あの本は結構過激だぞ?不倫がテーマなんだから、実沙季くんみたいな子が読んだら問題になってしまうじゃないか」
「ああ、そうだったわ。まあ、恥ずかしい…もっと違う題名をいえば良かったわね。もう、随分と緊張しちゃって…自分ではリラックスしているつもりなのにね」
「いいんだよ晴子。僕だって緊張しているさ。緊張しすぎて、実沙季に三回もこの靴下でいいのか確認しちゃったんだからね」

ハハハハハ…
三人はそう笑うが、実沙季だけは笑えなかった。
本当に緊張してしまって、それどころではないからだ。
せっかく高級フレンチにきて、美味しそうな料理を食べているのに全然味が分からないし、全く喉を通らない。それなのに水ばかりはどんどん喉を通る。
晃季が言うつまらないジョークにも笑う余裕がない実沙季は、これならいつも通りに前髪を下ろせば良かったと後悔した。
だって、晴子と偵之からの視線が…凄い…

ホテルのロビーで対面した時から凄かった。

「まあ、この子が実沙季くん?…ああ、口元が貴方ソックリね。本当に可愛い…実沙季くん、影渕晴子です。よろしくね」
「こんばんは。私は長男の偵之です。宜しくお願いします」

伊達メガネで顔があまり見えないせいか、二人の視線は凄い。メガネの奥の顔をちゃんと見ようと喋るときはこちらをじっと見てくるし、何かとチラ見をされている気がする。