晃季と晴子が籍を入れ、影渕家の者は皆、苗字が神原になった。
でも、志尚は影渕志尚と言う名で作家デビューをしている為、神原姓を使うことは殆ど無い。
偵之も、影渕で名を売ることに努めていたため、仕事では影渕を名乗っている。

なので、実質変化があったのは玖斗と晴子くらいだろう。

「僕、持ち物にイニシャル書いてるんだけどさー、同じKだからすげぇラッキーだったよー。そこはメッチャ感謝」

と玖斗は言っていた。
教師から神原と呼ばれることにはまだ慣れないと笑っていたのが印象的だった。
晴子は

「もう、会社の子達がわざとらしく神原さん神原さんって呼ぶのよ。嬉しいったら恥ずかしいったらねー。おばさんをからかうもんじゃないわよホントッ」

と、満更でもないようだ。

そんな事があった夏休みが、後半に差し掛かった頃。
日曜日のその日は、実沙季と偵之しか家に居なかった。
晃季はいつも通り店でフライパンを振るっている。晃季と少しでも一緒にいたい晴子は、仕事が休みなのに晃季のレストランに行き、裏で事務仕事を手伝っている。
玖斗は雑誌のイベントがあるらしく、朝から出かけているし、志尚は担当編集者と取材旅行中。
なので実沙季は朝から喜んで女装をした。
今日は暑いので、ハーフウィッグを耳の下で三つ編みにしたおさげスタイル。ピンクのドット柄のノースリーブブラウスに、後ろにリボンがついた、尻がギリギリ隠れるくらいの白いシフォンミニスカート。
ピンクのジルコニアがついたヘアピンで前髪を止める。
汗で滲まないようにとしっかりとメイクをし、庭で偵之と洗濯物を干しているところだ。

偵之は洗濯洗剤のCMにそのまま出られそうなほど、真っ白なTシャツと綺麗な色のデニムをはき、爽やかな笑顔を浮かべている。

「今日は天気が良くて良かったよ。この前までひどい雨だったからね、洗濯物が乾かなくてイライラしてしまった。でも、実沙季くんに教えてもらった、ハイターを入れてのつけ置き。あれは本当に凄いね、とても助かった。全然生乾き臭くならないんだ。寧ろ、いつもよりいい香りがしたよ」

シャツをパンパンと伸ばしながら優しい声でそう言う偵之。彼が言うのは実沙季が教えた裏技だ。洗濯物を生乾き臭くさせないように、予め30分ハイターにつけ置きしてから洗濯をすると良いとアドバイスしたのである。
偵之はそのやり方を気に入ってくれたようだ。
綺麗好きで少し神経質な彼は、洗濯や掃除が大好き。だから偵之と過ごすときはいつもこんな感じである。

「そうなんです。ちょっとめんどうだけど、ハイターを混ぜてつけ置きしてからお洗濯すると、ぜんぜん生乾きくさくならないんですよね。部屋干し用洗剤をつかうのよりも効果的なんです」

見上げてにこりと笑うと、偵之は大きな瞳を細めて、心底嬉しそうに「なるほどね」と呟く。その笑顔はどこまでも爽やかで、本当にCMに出れそうだと思った。

「実沙季くんは若いのにそういうことも知っているなんて、本当に凄い事だよ。私は長年、ずっと家事をしてきたけれど、こんなことは知らなかったんだ。いつも部屋干しの時は風呂場の室内乾燥機か、実沙季くんの隣の部屋を使っていたんだけど、それでも臭くなってしまう時があって、志尚に文句を言われて喧嘩をしたこともあったんだ」
「ふふふ、そうなんですか?志尚さんと仲良しなんですね」
「まあね、仲は良いよ。兄弟、みんな仲良いさ…うん、でも…」

ーでも?
その続きは何だかはぐらかされてしまった。
偵之は苦笑しながら最後のシャツを干し終え、実沙季を手招き「休憩しよう」と冷房がきいたリビングへと行く。

冷たい麦茶を飲みながら晴子が定期購読しているオレンジページを捲り、そうめん特集を二人で眺めた。

「今ってこんなにアレンジがあるんだね。私の子供の頃は、めんつゆとネギとミョウガの薬味くらいしか無かったからなぁ。…ほら、見てごらん実沙季くん。冷汁風そうめんなんてある。面白いなあ」

雑誌の特集はそうめんの様々なつけ汁レシピだ。トマトをすり下ろしてめんつゆと和えたイタリアン風とか、鯖缶とキュウリ、ゴマだれを使った冷汁風、挽き肉とラー油を使った坦々麺風などが載っている。
実沙季からしたら普通のアレンジレシピなのだが、偵之の年齢からしたら風変わりなものらしい。「美味しそうだね」と言いながら瞳を輝かせる彼を見ると、何だか作ってあげたくなった。

「じゃあお昼ご飯はおそうめんにしましょう?偵之さんの好きなやつつくります!」
「うわぁ、それは嬉しいな。いいのかい?実沙季くんは何かほかに食べたいものは無い?」
「僕もおそうめん食べたいなっておもってたんです。だから丁度いいんですよ」

女装の時には見せられる自信満々の可愛らしいアイドルスマイルを向けると、偵之は見蕩れたように惚け、すぐさま初恋の女の子からデートに誘われた時のような幸せいっぱいの笑みを浮かべて、こくこくと頷いた。

もう彼は見るからに実沙季にデレデレで、それがたまらなく嬉しい。
だって、偵之のような紳士的で大人でカッコイイ人になんて好かれたことが無いのだから。