∴ 3 後頭部を抑えながら、「お袋、少しは手加減してくれよ」と、文句を言う志尚と、ダンボール箱を一つ持ち、「いいからさっさとする」と背を向ける晴子。 離れてくれたので、心臓のドキドキが少しだけ落ち着いてくれた。 神原家では絶対にないようなやり取りに、実沙季は少し戸惑うが、これからはこういった光景が当たり前になっていく。自分も頭を叩かれるのかな?なんて想像した。 うん、全く想像出来ない。 「あ、そういやさ、実沙季って誰に似てるって言われる?」 そんな事を考えていると、何かを思い出したかのようにこちらを振り向いた志尚に、突然の質問をされた。 似てる?実沙季は今まで、誰かに似ているとは言われたことがない。 「な、ないです…」 「ふーん、じゃあいいや。誰かに似てると思ったんだけどなー。思い出せないんだよな…」 「………」 そう呟きながら、美しい男は洗面所へと消えて行った。 それはミサではないのか?と悟ったが、絶対に口に出すのはやめよう。ミサと気付かれたらアウトだ。 『恐ろしい…』 今度は違う意味でドキドキするのであった。 さて、一難去ってくれたので作業を再開しよう…なんて時には決まってまた、一難来るのがお約束である。 「ただいまぁ〜…暑いー!麦茶ちょーだぁーい!!……って何このダンボール!?えー!おかぁさーん、これ何ー!?って、君だれぇー!?」 三男、玖斗の登場である。 「かん、神原実沙季、です…」 「かんばら…?あー!僕の弟になる人ー!?えー!もう引越し開始してんの?ヤッバ」 「は、はい…」 少し甘ったれたような口調でヘラリと笑う玖斗は、影渕家らしくやはり美形であった。 キラキラと輝く大きな瞳に、甘い感じとは違ったキリッとした眉。でも口元はぽてりと厚く、可愛らしい印象を与える。ジャニーズ系の顔立ちだ。それなのに身長は高い。190近いかもしれない。ジャンプしたら頭が簡単に天井にぶつかるだろう。 『確か、読者モデルしているんだっけ?』 モデルなのも納得出来るビジュアルをしている。髪型も偵之や志尚のような黒髪とは違い、くすみがあるアッシュに染め、パーマがかけられているのか、毛先がところどころくるっとカーブしている。 服装はTシャツにジーンズといったラフなスタイルなのに、とてもオシャレに見えた。汗で濡れた額を手の甲でグイッと拭う様すら、ドラマのワンシーンのようにカッコイイ。 「名前なんだっけ?女の子っぽい名前だよね?」 「みさき、ですっ」 「ああそうそう。ミサキミサキ。僕のことはお兄ちゃんって呼んでね?うわークッソ嬉しいなー。弟欲しかったんだよねー」 どうやら自分は名乗らないらしい。志尚とは違ったマイペースさを持つ玖斗に、実沙季は「はあ」としか言えない。 「これから何するの?」 「荷物を、片付けて…」 「荷物って、これだけなの?少なくなくなくなーい?」 「あ、え、少なく…」 ノリが独特過ぎる…… ついていけない。 玖斗はへーと何か感心しながら積み重なったダンボールの柱をぽんぽんと叩くと、靴を脱いで家の奥へと消えていく。そしてすぐに戻ってきた。両手にお茶が入ったグラスを持っている。 「はい麦茶ー。実沙季くん飲むっしょ?今日暑くなぁい?すげーやばくない?よくこんな日に引っ越ししようと思ったねぇ。僕、散歩するのやめようと思ったしさー」 「あ、ありがとうございます」 引っ越し日は前に決めたので、暑かろうが寒かろうが、決行するしかないのだが…。 なんてことは言えないので、素直に麦茶を受け取り、一口飲む。玖斗は腰に手を当ててごくごくと喉を鳴らし一気に飲み干していた。 「犬って元気だよね。こんな日なのに連れてけって鳴くんだよ?こっちはクーラーガン効きの部屋から出たくないっつーのに」 「え、犬…?」 「オスカーだよ。僕のカワイイわんわんちゃん!」 『犬!!!』 不穏な単語を耳にし、実沙季の顔はみるみる青くなっていく。 犬…それは実沙季の弱点であり天敵なのだ。 幼少期に野良犬に追いかけられたことがあり、それから犬は大の苦手。ミニチュアダックスフントや、シーズー、チワワといった小型犬すら恐ろしい。いくら自分より小さいといっても、掌よりは大きい。掌より大きいと言うことは、噛まれたら確実に怪我をするし痛いということだ。そんな恐ろしい生き物に恐怖するなという方が無理である。 『犬、犬…うそ、犬飼ってるなんて聞いてない…お父さん何で教えてくれなかったの!?教えたら僕が引っ越しをごねると思ったのかな?うわーん!絶対そうだああ!!』 戻って来たらどういうことなのか絶対問い詰めなければ!!犬が居る家になんて住めるわけがない! 恐怖で体が冷えていく…しかも名前がオスカーという中々カッコイイ名前だ。こうなると少なからず小型犬ではないだろう。 小型犬でも恐いことにはかわりないが、大型犬よりかは幾分ましである。どーんと飛びつかれたりしないし、万が一噛まれても大怪我にはならないはず。 しかし、名前はオスカー…絶望的だ。 逃げたい。 |