熱の条件 | ナノ






通学鞄がないことから、もしかしたら学校に行っているのかもしれない。
学校に?アキラの存在がバレて、悠長に登校出来るのだろうか?

「……」

部屋の中はどこまでも静かで、人の気配を全く感じさせないし、雀の鳴き声しか聞こえない。
外の天気は頗る良く、昨日の雨を嬉々として蒸発させている。
お陰で部屋が暑い。

その時初めて自分が汗をかいていると気付き、手の甲でぐいと額を拭った。びっしょりと濡れている。

リビングへ移動すると、昨日は気にしなかったが、ゴテゴテとしたロココ調の家具達に派手に出迎えられた。白地に薔薇の柄が入ったソファやテーブルにクッション。
デコレーションケーキのようにうねうねと縁どられた猫足のテレビ台に、茶器が飾られた天使の装飾付きのガラスケース。
チェストもバースデーケーキのようにめでたくド派手なもので、その趣味の悪さに眉間にシワが寄った。目が痛くなるというか、頭が痛くなる派手さだ。絶対嗣彦の私物である。

『食堂でも四天王のテーブルに薔薇置いてたし、どんだけ好きなんだよ…』

胸焼けがしそう…見ているだけで、胃の中に無理矢理砂糖を詰め込まれたような気分になる。

『…ん?』

そんな薔薇柄のテーブルの上に、置き手紙を発見した。

「アキラくん
起きたらメール下さい。
お腹が空いてると思うので、おにぎりを用意しておきました。冷蔵庫にあるのであたためて食べて下さい。
恵」

という内容。

『は?どういうことだ?籠原にはバレてんだろ?いや、それとも籠原は部屋に戻らなかったとか?そうじゃなきゃ、こんな置き手紙なんて残せねーだろ』

意味が解らない。
取り敢えずスマートフォンを探すと、ベッドサイドテーブルにあったので桜介に起床した事をメールする。すぐに、そのまま部屋で過ごしていてほしいと連絡がきた。
しかも、タオルの場所や歯ブラシのストック場所まで丁寧に添えられた内容付きで、だ。
バレていないのかと返信したが、部屋に戻ってから話すと返されてしまい、アキラはそれ以上は訊けなかった。しかも今は授業中だろうし、余計にメールは送れない。

ますます意味が解らなくなったが、一先ずおにぎりを食べることにした。
桜介の手作りかと少し期待したがそんなことはなく、食堂で売られているものだ。それをレンジで温め、エアコンをつけてソファに座る。

勝手にテレビを付けてお昼のワイドショーをぼんやりと眺めた。
ハキハキとしたやたら元気のある女性リポーターが、この夏に流行るというスイーツを紹介している。アイスを食べて「今までにない味」だの「何ですかこれは」だの大げさに目を見開きスタジオに居る人間や、視聴者にこのアイスの素晴らしさを伝えている。

女の子達はこういう特集を見て、そのスイーツに心惹かれ「食べたぁい」なんて甘く可愛らしいオネダリをするのだな。と、ぼんやりと考えた。
あんながそんな女の子だった。

「アキラ、あのね、テレビで白いちごのマカロン紹介してたの。白いちごでマカロンだよ?ちょー可愛くない?あんな、それ食べたいなあ」

甘ったるく、鼻にかかった可愛い声で、あんなはアキラの腕に絡みつきながら、そうオネダリをしてみせた。彼女に似合った果物の香りがする甘い香水を今でも覚えている。
あんなはどこまでも女の子らしくふわふわしていて、女の子らしくミーハーで、女の子らしく馬鹿だった。そして、それが堪らなく可愛かった。
ほかの女の子にちょっかいを出してもやっぱりあんなが一番だったし、正統派な美人と関係を持っても、あんなの作られた可愛さの方が魅力的だった。
それくらい好きだったのに、呆気ないものだ。

あの日、あの暑い七月。

初めてこの街に来て、初めて恵桜介を見て、初めて心臓に恋の矢を突き刺され、痛いほどに片思いをしたあの日から、あんななんてどうでも良くなってしまったのだ。

冷静に、冷静に先を見越して行動が出来るくらいに、彼女に対しての気持ちは風化した。
気持ち悪いとも嫌いとも好きとも思わなくなった。「好きじゃないからそんなにくっついてくるなよ」とも思わなかった。嫌悪感がない。ただの"無"になったのだ。

だから上手くいったと思う。態度を不自然に変える事なく、緩やかに別れへと運べた。心臓は恵桜介に支配されたままで、平気な顔をしてあんなを抱けていた自分が凄い。
男であるカオルと関係を持った自分が凄い。
そして、もしかしたら家に大きな変化が訪れるかもしれないのに、それでも桜介のもとへ来た自分が凄い。

『…マジで、好きなんだよ』

自分をおかしくさせてしまうくらい、桜介が好きだ。
気持ち悪いくらい冷静に行動し、準備して、手に入れたいと願った。
桜介の為に。彼を自分のものにする為に。

興信所なんて頼めないから、自力でSNSなどで少しずつ桜介の情報を得る度に、好きになっていった気がする。誰かが桜介についての呟きをする度に、アキラは恋い焦がれ、少女のようにときめく心を必死に抑えて焦らずに準備をしてきた。