熱の条件 | ナノ







「メグミー、あんたナオト知らな…え」
「…あっ…」

背筋に氷が滑り落ちたかのような冷たさが走り抜けた。
バレた。
とうとう、嗣彦にアキラのことがバレてしまった。

「その人…」

言おうとしていた言葉を何処かへと飛ばし、嗣彦は目の前の状況を理解しようとしている。
大きな瞳を見開き、横たわるアキラを凝視する。
頭のてっぺんから、つま先まで、何度も視線を往復させ、最後に桜介を見る。

「せ、せんぱ…」

絶望が体を戒めて動けない。誤魔化せる頭もない。
もう駄目だ。
桜介は全てを言わなければならない。この状況で、言い訳なんて出せる口が何処にもない。
それに今は、アキラには安静が必要だ。

「せ、先輩…彼は病人です。先程まで、過呼吸で苦しんでいました。…お願いします。今は静かにさせてあげたいんです」

震える声でそれを言うのが精一杯。恐怖で頭がグラグラする。胃が締め付けられるように痛む。

「……それはいいけど…病人なら、ベッドで寝かせてやりなよ。運ぶの手伝ってやるから………メグミは正直に話すんだよ」
「はい…」

二人でアキラの体を持ち上げ、桜介のベッドへと運び寝かせた。


それから嗣彦の部屋へと行き、アキラの事を話したが、意外にも嗣彦は詳しく聞いてはこなかった。

「メグミと三島くんが付き合ってるのは分かった。どういう経緯で二人がそうなったのかは聞かない」
「そ、それは制裁を与えるから、聞いても意味がないということですか?」
「違うから。そうじゃないよ」

ここはピンクハウスかと問いたい程、花柄と桃色に溢れ、ロココ調のゴテゴテとした自己主張が強い家具に囲まれている。全て嗣彦の趣味だ。
何かを考えるように俯き、自身の唇に触れ、薔薇柄のシーツに包まれたベッドに足を組んで座る嗣彦の姿は、美しく様になっている。
こんな時なのに嗣彦の見惚れるような美しさに感心してしまい、桜介は軽く頭を振った。

「必要以上に二人の情報を入れたくないんだよ」
「……どういうことでしょう」
「…言うつもりは無かったんだけど…」

顔を上げて桜介を見上げる。入口で立ったままの姿を見て、いいから座りな、と勉強机を引かれた。
ちょこん、と腰を下ろして不安げに見つめると、煩わしそうに髪を掻きあげ、静かに話し始めた。

「あのさ、俺、よく部屋空けてんでしょ。あと、出来る限り外泊だってしてるじゃない。それは何故だか解る?」
「生徒会の仕事や、彼氏さんに会っているから…でしょうか?」

思ったままを口にすると、小さく溜め息をつかれ、首を横に振った。
その仕草は桜介を責めているように見える。

「やっぱり解ってないね。メグミに気を使ってんだよ?
俺は一応タカミー派だからさ、タカミーの言う事はきいとこうってスタイルなの。でも、メグミの人権まで侵害はしたくないわけ。だから、俺が居ない間にメグミが何かしてても、それは目を瞑ろうって思ってるんだよ。こっそり友達なり恋人なり連れ込んでも、俺が見ていない限りはセーフ。どんなに人が居た痕跡が残ってても追求しないって自分の中でルール作ってたわけ。
ナオトや鴻一、黎治郎達はどう考えてるかは知らないけど、俺の考えは"俺が現場を見てしまわない限りは、裏で何してようがセーフと見なす"って感じなんだよ。
でもこれはメグミに伝えるつもりは無かった。これを伝える事によって、俺はタカミーを裏切ることになるからね。だからずっと、メグミには察してほしいって思ってたし、バレない程度に遊んでほしいって思ってたんだよ。
まー最近はナオトと仲が良かったみたいだから、このままナオトと友達になっとけば、俺は気を使わずに済むかなって思ってたんだけどさ…ビックリした。まさか三島アキラだとはね…これは 、困ったよ…」

もう一度溜め息をつく。心底困ったように下唇を噛み、口の中で「どうしよう」と呟いているのが分かる。

「………」

何だ…この態度は。
嗣彦が桜介に気を使っていた?そうなると、今までのことは…

『そうだ、あの時だって…』

−はー!?本当に友達いないの?誰とも話してないわけ?うっわー!メグミちょー真面目じゃん!偉すぎて余計うける!

以前、嗣彦に連れられて銀座のレストランでランチをした時だ。彼は裏校則を守っている桜介に対してこう言って笑っていた。
真面目に守っているのが信じられないと驚いていたような態度だった。

その時感じた違和感はこれだ。嗣彦が笑うのはおかしいじゃないか。だって彼は、秋山先輩に制裁を与えたと噂が立っている。秋山に制裁を下した人間が、何故桜介に対して真面目だと驚き笑うのか。

「あの、アキラくんは…」

そうなると、アキラはどうなるのだろうか。現場を見たわけだから、鷹臣に連絡がいくのだろうか…

それを確認したくて訊いたが、その問とは違う答えが返ってきた。

「いや、いい。うん、俺は目を瞑るから。今回は何も言わない。見なかったことにする」
「本当ですか!?」
「うん。でも、鴻一に知られたらヤバいんだって」
「え、浅田先輩?」

いきなり、浅田鴻一の名前が上がり、面食らってしまう。
何故鴻一?今はアキラのことではないのか?そこで何故ここに居ない人間の名前が出るのか。
全く関係は無さそうだが。

「鴻一は、タカミー教だよ。あんな奴だけど、俺らの中で一番タカミーを崇拝してて、タカミーが言う事は全てイエスだ。すんごいタカミー信者。そんな鴻一が、三島くんの事を調べている」
「え…」
「アイツは勘がいいからね…困ったな…」
「何でアキラくんを?」
「解らない。そこまで教えてもらえなかった。これはうちの仕事だからーとか意味解んないこと言ってたし俺も興味無かったからね。時期ハズレの転入生が珍しいから調べているだけだと軽く思ってたんだよ。でもさ、"コレ"じゃん?」

コレ、という時、桜介の部屋の方を親指でさした。
厄介な状況。そして、桜介との交際…軽くなんて見れるわけがない。鴻一の勘は、残念なことに当たってしまっている。
なんということだ…嗣彦よりも遥かに手強く異色である人間に目をつけられてしまった。

「そうですね…」
「仕方ないから、取り敢えず今日は此処に泊まらせるよ。何かあっても俺の客って事にしとくから。それより今は、門限破りのナオトくんだよねー…」
「え?」

だからどうすべきか。そう考えようとした途端、いきなり心が痛む人物の名を出され、言葉に詰まる。
中野島直人が何だって?門限破り?
次から次へと問題が降りかかり、桜介は混乱した。


大和寮の門限は夜の七時だ。その時間までに帰宅しなければペナルティが与えられる。ペナルティが三つたまると大量の課題を出されてしまう。
そして、一つたまる毎に家に連絡がいくのだ。
もし、七時よりも帰りが遅くなる場合は、予め届け出なければならない。緊急の時の連絡も勿論必須だ。それも提出されていないのだろうし、連絡もつかぬのだろう。

「七時過ぎてんのにさ、ナオトが帰宅してないんだよ。外泊届けも帰宅時間届けも出してない。無断外出になるよこれは。はあ、電話には出ないし」
「中野島くん、寮の部屋に居ないんですか?」
「居ないから探してんじゃん」
「……」

嗣彦が言うにはこうだ。
六時半頃、直人は寮を出た。出入り口にはICカードを読み込むセンサーがあり、そこに自身のカードを通して入退室を行う。その読み込まれたデータはすぐ隣の事務所にリアルタイムで送られ、そこにいる寮監はその記録を管理している。桜介を襲ってすぐの時刻だから、桜介の部屋を出て自室には戻らずそのまま寮を出たのだろう。

直人の帰宅は記録に残っていないらしい。帰宅していないということだ。
そのため二年棟寮長である鐐平に寮監から連絡が入り、確認をされたらしい。
そこで鐐平は咄嗟に戻っていると嘘を伝えたそうだ。停電の騒動の中で戻ったから、データが飛んだのだろうと適当に誤魔化したようだ。−このICカード制は最近導入されたものなので、まだ慣れていない機械に疎い寮監を上手く言いくるめられたみたいだ−
それを嗣彦は鐐平から報告され、こうして探しているのである。

「ナオトの奴面倒なことしてくれたなぁ。ちょっとでも問題起こしたら、家に強制送還されるのに」
「厳しいお家でしたっけ?」 .
「中野島流の跡取り息子だからねぇ。家元はそーとー厳しいばーさんだし、ちょー厄介だよ。貫地谷くんが嘘ついてくれて幾分助かった。時間稼ぎ出来たし今のうちに見つけたいのに、電話に出ないー!」

むきー!と唸りながら繋がらないスマートフォンをクッションに叩きつける嗣彦。
直人の外出は、100パーセント桜介が原因だろう。桜介が拒んだから、出て行ったのかもしれない。

「そういえば、DVD玄関に置きっぱだったね。此処には来なかったのか。雨降ってるから、いつものジョギングではないでしょ?時間もおかしい。何やってんだよアイツ……はっ!もしかして、雷にうたれた?」
「あの、それは無いと思います」
「そうだろうけどさ、とにかく連絡してこいっつの」
「僕、中野島くんと会いました…」

桜介の一言に、嗣彦は目を丸くした。

「いつ?」
「六時半より、少し前だと思います」
「直前じゃん。は?何かあったの?」
「……喧嘩、しました…」
「ケンカァ?」

あれは喧嘩とは言えないが、そう言うべきなのだろうか。

「ケンカって…何が原因だよ?」

疲れた顔をした嗣彦に睨まれ、桜介は伝えられる範囲で事のあらましを話した。