熱の条件 | ナノ






少しでも違うことを考えて、早く直人とのことを忘れられるようにしてやりたい。
だからアキラも、少しだけ声のトーンを上げた。

「たまにネットニュースで見るよね。そういうの海外のものが多くないかな?開けた土地で撮影されている場合が多い気がする」
「あ、確かにそうですね。それと、僕、大きい入道雲を見るのも好きなんです。小さい頃はよく「あの中にラピュタがあるんだ」なんて言っていました」

それなのにアキラは、正反対のことをしてしまう。

「ハハハ、わかる。分かるよ。俺も小さい頃はよくそういうこと、言って…た、」
「アキラくん…?」

笑った筈なのに、視界がぼやけて、鼻の奥が熱くなった。
ぼたりと大粒の水が桜介のパーカに落ちたのが見える。
それはアキラの涙だ。

「あ、え、あれ…」

一度落ちると止まらなくなってしまう。
ポロポロと勝手に溢れて、目尻や頬、顎、鼻先を濡らしていく。
奥の奥で堪えていた感情が、理性という壁を摺り抜け、勝手に飛び出してきたみたいだ。

「なん、なに…」
「アキラくんっ」

蕉雨ように静かに涙は落ちる。

桜介が笑ってくれて安心した。
未遂で終わって良かった。
桜介が電話してくれて良かった。
ここに来られて良かった。
彼を抱きしめられて良かった。
そう、安心するはずなのに。桜介に少しでも元気になってもらいたいから、別の話題を振って、和やかな空気に変えなければいけないはずなのに。

アキラは泣くことを止められない。
胸が締めつけられるように痛む。ガチガチに固めていたはずなのに、少しほっとした瞬間、こんなにも脆くなってしまうのか…

「ぅ、っ、さくら、が、最後までされなくて、良かっ…ふ、っ」
「アキラくん…大丈夫です。僕は、大丈夫ですからっ」

泣いてはいけない。桜介が心配してしまう。解っているのに、止められないし口からは本音が飛び出る。
甘えるように、彼の肩口に額を押し付け、鼻をすすり泣き続けてしまう。眼鏡のレンズがこれでもかと濡れていく。
優しい桜介は、そんなアキラの頭を撫でてくれた。

「こ、恐かっ…た、最後まで、さ、されてっ、たらっ…ひっく、うっ、おれ、さくらを、傷付けたって…っ」
「大丈夫です。もう何もありませんからっ、アキラくんが不安になることは何も…!」
「も、恐くてっ、離れたくない…っ、俺は、さくら無しじゃ、無理だよ…ひっ、こんな、好きになれるひと、うっ、さくらしか、いないんだ…っ」
「僕も同じです。僕も、アキラくんが好きです!だって、僕の初恋はアキラくんなんですから」

小さな手が背中に伸びて、ぎゅっと抱き締められた。離したくないというように彼の美しい指が食い込む。
儚く可憐で、囚われの姫のような桜介なのに、とても大きく感じた。
自分が守ると決めたのに、守られているみたいだ。
こんな気持ちは、今まで無かった。

「さくらっ…」

雷鳴や激しい雨の音なんて耳に入らない。
桜介の声や鼓動の音や息遣いだけが耳に届けばいい。

「安心して下さい。今は中野島くんはいません。僕とアキラくんの二人だけです。…このまま、本当に二人だけになりたいですね」
「ずっと、ここにいるから、」
「でも、先輩が戻ってきてしまいますよ…」
「いい、ひっ、桜が言うなら、っ、何でもする…んっ、なんでもいいから、」
「アキラくん…」

−ゴォォンッ!!

一際轟く雷鳴が、これでもかと二人きりの空気を壊した。
思わず二人で顔を上げ、窓のほうを見る。
暴風雨が寮の壁を攻撃し、窓の音を鳴らせる。まるで台風のようだ。
「すごいね」ぼんやりと感想が口から出た。桜介も「はい」と言う。

その時、突然の暗闇が二人を襲ったのだ。


『え?』

予告も無く部屋中の明かりが消えた。蝋燭の火が消えるように簡単に、そして軽く明かりが消えたのに、闇は重苦しくのしかかってくる。

『何だ?何で暗いんだよ。なんだよこれ。いきなり…』

目を開いているのか閉じているのか判らないくらいの真っ暗闇に包まれた。
泥のように重く、体中にまとわり付き口や鼻から侵入してきて息を詰まらせるようだ。
予告もないそれに、アキラの体は硬直し、動けなくなった。

「…わあ、ビックリした。停電かな?雷近かったみたいだし、落ちたんですね」

桜介の声がすぐ近くから聞こえるのに、何故か遠く感じる。
闇の中だ。
何も見えない。海の奥底みたいに。
汗が額に浮かび出す。

「停電、前にもあったんですよ。去年の台風の時かな。この辺り弱いみたいで…あ、廊下うるさいですね。みんな停電になって楽しんでるみたい。でも平気ですよ。確か予備電源?とかあって、すぐつくようにされたみたいで…」

暗い部屋。
何も見えない部屋。
窓の方だけが雷のせいか時折明るい。

『微かな灯り……コウくん…コウくん…暗い部屋で…』

胸が痛い。
潰されてしまいそうだ…

「アキラくん?どうかしましたか?」
「ああ、やだ…」
「え?」

呼吸が正常に出来ずに、手を伸ばした。何かに縋りたい。助けてほしい。
こんなに苦しいのに、何故だろうか…何で上手く息が吐けないんだ。

「ひゅっ、ひっ、ひゅ…」
「え!?アキラくん!?どうしましたか!?」
「は、ひっ、ひっ…ひっ、ぃ…」

苦しい。怖い。怖い。怖い。

『お母さん…お母さん…』
「アキラくん!?呼吸が…アキラくん…!」

駄目だ。
何かが駄目になっていく。
そう感じながら、アキラは力なく倒れた。