熱の条件 | ナノ






土曜日、外泊届けを出したアキラは、実家がある東京へと向かった。
天気はあいにくの雨。途中、コンビニでビニール傘を買った。梅雨時期だからだろう、しとしとと降る雨は可愛いものなのに、容赦なく靴を濡らしていく。
紫陽花が濡れて色っぽく艶を出しているが、アキラは紫陽花が嫌いだったりする。じめじめしている印象があり、清潔に見えないからだ。
そう言えば、部屋を出る前に直人のブログをチェックしたら「紫陽花が綺麗な季節ですね。僕、紫陽花が好きなんだヾ( ^ω^)ノ色も綺麗だし、あの落ち着いた感じがいいですよね。最近は学校で花を育てているし、ガーデニングにも興味あるかも」なんて文章が載っていて、頗る嫌悪した。

『なーにがガーデニングだっつの。オメーは花目当てじゃなくてただの下心だろーが!』

そう心の中で悪態をつき、気分が悪いまま寮を出たのだ。


最寄駅である日暮里駅までの電車の中で、アキラは久しぶりに夢を見た。
それはコウくんの夢で、彼にはよく、箸の正しい持ち方を教わっていた。

「あっくんダメだろ。お箸は握るんじゃないぞ。上はこうして、軽く人差し指と中指で挟むだけだ」
「はぁい」

美しい指で丁寧にアキラの指に触れ、持ち方を整えてくれる彼の表情は、心の底から美しいと思う。
大きな瞳を細め、薄い唇が笑みを象る。見える歯が真っ白で、まるで牛乳のようだと子供らしい感想を持っていた。
コウくんの筋張った大きい手に包まれた子供の手は、水餃子のようにふにゃふにゃとしていて何だか情けなく見える。

「コウくん、今日ね、保育園でサッカーしたんだよ。でも、ぼくうまくできなくて、全然ボールけれなかった」
「大丈夫だ。あっくんなら出来るよ。だってあっくんはかけっこが上手なんだから」
「かけっこが、じょうずだとサッカーできるの?」
「出来るよ。俺がそうだったんだからな!」
「そうなの?コウくんすげー!」

よく、保育園であったことを報告する。良かったことも悪かったことも。全てコウくんに話す。だって、彼はいつも適格な答えをくれるのだ。

近くの河川敷でコウくんと一緒にボールを蹴った。離れた所には、ミニ四駆で遊んでいる子供が沢山いた。誘おうと思い探したが、友達はその中には居なかった。
ドリブル、パスやシュートの練習をし、コウくんと泥だらけになっていく。
コウくんはサラサラとした黒髪を靡かせて爽やかな笑顔を向けている。いつも着ているラグランTシャツとジーンズが泥で汚れている。長い手足がこれでもかと動き、少々オーバーに見える。
健康的に焼けた肌と、甘いマスクがミスマッチなように思えた。
それでも、コウくんの魅力にはマイナスはない。

「アキラー!」

すると、母親の声がした。

「ママだー」

お母さんが迎えに来たよ。もうコウくんとはバイバイだ。
コウくんまた明日ね!と、手を振りながら、母親に抱かれて帰宅する。
お父さんはお仕事で家にいない。普段はアキラとお母さんだけ。
綺麗なワンピースを着て、お化粧をしているお母さんは可愛い。僕は可愛いお母さんが大好きだ。

「コウくんも、お母さん好きかなぁ?」

そう言いながら、振り向くが、コウくんの姿はもうそこには無かった。


「……っ」

ゆっくりと目が開く。軽く頭を振ると、隣に座っている営業周り中のサラリーマンに軽く睨まれた。
恐らく、この中年男性の肩にでも頭を乗せてしまったのだろう。押し返されて目が覚めたようだ。
お互い、気持ち悪い思いをしてしまった、と後悔しながら片手を上げて軽く謝り、車内モニターを見る。次が丁度日暮里だったので、椅子から離れた。


久しぶりの実家は相変わらずで、父親不在。と言うか、何も言わずにいきなり帰ったので、不在なのは当たり前なのだが。
代わりに家政婦の森山が居たので、土産のケーキを彼女に渡す。フィオレンティーナと印刷された紙袋を見て、森山は「あらまあ」と言いながら喜んだ。


「森山さん、俺の部屋さ、そのまんまになってるよね?」
「はい。ぼっちゃんのお部屋は何も触ってません。出られた時のままにしてありますよ」
「よかったー。じゃあ服もそのまんまだよね?」
「ええそうです。…あら、ぼっちゃんもしかして、前に着ていたお洋服をお召になるんですか?私は今のぼっちゃんのお姿が一番いいと思いますけどねぇ」
「あははは、んなこと言わないでよ、ちょっと今必要なんだからさー。あ、これから友達のとこ行くから晩ご飯は大丈夫だよ」

ケーキは全部食べちゃっていいよ。そう伝え、アキラは自室へと階段を上がっていく。


内心、焦っていた。

今、桜介と過ごせる貴重な放課後が、直人に奪われてしまっているからだ。