10.
“羊君は、怪我して欲しくなかった”
弓道着姿の彼女はそれだけ言うと、手に持っていたタオルで僕の右手を覆ってくれて。有難うを言いたかったのに上手く声にならない僕を尻目にそのまま部室の方へと走って行った。
「………………」
前回は彼女が好きだと言う彼の発言で泣いたけど今回は僕だ。
何も知らない彼女がこの光景を見たなら、理由はともかく僕があの2人を一方的に殴ってそのお陰で怪我をした、そう察するだろう。普段哉太に言う様に喧嘩を嫌う彼女だから僕までそんな事をして怪訝に感じたんだと思う。怪訝して欲しくなかった、その言葉の意味はそれだ。
それに冷静になって見てみれば…彼が言った通り酷いもんだよね。気を失ったあの2人の顔は原型が辛うじて分かるくらいで眼が開かないくらいパンパンに腫れてるし、口唇も口の中も切って真っ赤に染まってる。全部、僕が1人でやったんだ。
そんな僕を彼女はどう思った?
怖い?酷い?最低?
何でも、良いや。僕は彼女を泣かせたんだから。
『、羊……?』
「………哉太、錫也」
『おま、何やってんだよ…!』
「…………………」
『部屋にも居ないし携帯も出ないから心配して学校まで戻って来たけど…正解、だったみたいだな』
自分の右手と横たわった2人を交互に映していると後ろからは憂愁な声色で僕を呼ぶ錫也と哉太。
とりあえず寮に戻ろう、そう言ってポンと背中を叩かれたら漸く僕の足が動いた。
『……で、何があったんだ?』
「……………」
錫也と哉太につられて自室に帰れば約束してあったケーキを用意してくれた。いつもの僕なら躊躇いもなく全部食べてしまう。
だけど流石に今は食欲が湧かない。自己嫌悪が全身から沸き上がって吐き気がする。
『羊、俺達にも言えねえ話しかよ?』
「………ごめん」
『それなら無理には聞かないけど、大丈夫なのか?』
「違う。そういう意味じゃない」
『、え?』
「名前を泣かせた事に、謝ってるんだ」
『は……』
そして僕は2人に一部始終を話した。彼女が僕の所為で酷い事を言われてたのも、その行為が許せなかったのも、僕が加減もしないで殴り続けた事も、彼女が泣いてた事も全部。
ボソボソと歯切れ悪く伝えてた話しを黙って聞きながら、錫也と哉太は僕が怪我をした顔と右手の手当てまでしてくれて。本当に申し訳ないって、罪悪感まで溢れてくる。
僕以上にずっと傍で彼女を守って来た2人なのに、僕が此処へ来た所為でそれを壊した。散々大事にしてきた彼女を傷付けた。
それは謝罪の言葉も浮かばないくらい艱苦だったんだ。
『羊、』
「……うん」
『俺はさ、名前も哉太も本当に大事な幼馴染みだと思ってるんだ。例え一歩二歩道を踏み外したとしてもその気持ちは変わらない』
「………………」
『だから、羊だって同じだよ』
「……え?」
『な、哉太?寧ろ羊に感謝するところじゃないか?』
『ったり前ぇだ!!あんな奴等、海に沈めてやりゃぁ良かったんだよ馬ー鹿!』
「、え?」
な、何を言ってるんだろうこの2人は…まさか気を使ってくれてるの?僕は2人からなら殴られる覚悟で居たのに。
『羊。お前は名前を傷付けたんじゃない。俺達以上に守ってくれたんだよ』
「まも、った…?」
『そうそう。羊がやらなきゃ俺がぶん殴ってたしな、死ぬまで』
『それは遣り過ぎだろ哉太?だけど本当だ。羊が殴ってなきゃ俺だって手が出てたかもしれない』
「で、でも…彼女は泣いてたんだよ…?」
『うーん。それは混乱してたんだろうなぁ。理由を知らない訳だし』
『それそれ。お前が気にする必要ねえよ』
「………………」
『それに名前が言ってたのは違う意味だと思う。本当に怪我をして欲しくなかっただけだよ。俺だってそう思ったから』
「錫也…」
『殴る代償なんつったら臭いけどよ、怪我してんじゃねえよ馬鹿羊!』
「ちょ、哉太、止めてよ!」
グシャグシャと撫で回される頭からは確かに哉太の暖かさが伝う。錫也だって僕を映す眼はこの間と変わらない優しい色。
僕は、本当に間違って、なかったの…?
「錫也も、哉太も、」
『あ?』
「お、怒って良いんだよ?僕に気を使ってるならそれは、」
『阿呆か!!』
「っ!」
『次言ったらそれこそ殴る』
『俺も同感。まさかまだ俺達の事信用出来ないのか?』
「――――――」
『っつー事で、お前は錫也のケーキ食って糖分だけで怪我治せよな!』
「ちょ、ちょっと哉太!押し込まないでよね僕だって口切ってるんだから!そういうガサツなとこ嫌われる元だよ」
『はぁ?なんだって!?』
『ハハッ!やっとらしくなってきたな』
哉太から口にねじ込まれるケーキは傷口に染みたけど、やっぱり美味しくて仕方なかった。
そのケーキの甘さに込み上げてくるものがあって勢いのまま有難うを伝えたけど、哉太は『馬鹿』って言って外方向いてしまった。
(20110424)
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