羊VS梓 | ナノ


 


 03.




何だかどんより曇った空を眺めている様な気分だった僕だけど、翌日の朝練で先輩からいつもと変わらない笑顔を向けられたら肩の荷が降りた様な感覚だった。先輩の求める特別とは意味が違えど僕にとっては特別な事に変わりは無いから。
おはよう、おはようございます、そんな何でも無い会話が成立した事に安堵して、必然的に口角が上がる。自分でもらしくないとは分かってる、だからきっと本人だってそんな事には気付いても無いんだろうけど。

別に、それで良いんだ。それで良かったんだ。
先輩の気持ちを受け止め切れなかったのは自分なんだし。そんな事で未練を残してしまえば男としても後輩としても情けなくて仕方ない。
だけど、気付いてしまったんだ。



『羊君、今日本当に迎えに来てくれるの?』

『名前が来て欲しいって思うなら行かない理由が無いでしょう?』

『……うん嬉しーい』

『僕はもっと嬉しいんだけど知ってる?』

『そうなの?』

『だって好きな女の子に甘えて貰えられる程、他に贅沢って無いと思わない?』

『寧ろ羊君は甘かし過ぎだと思うけど…』

『良いの良いの、名前は甘やかすともっと可愛くなるんだから』



昼休み、人混みに紛れて食堂を出て行く先輩と誰か。
“羊君”その名前には聞き覚えがあって、先輩が幼馴染みが春に転校して来たんだって話しをしてくれてた。それに先輩と一緒に居るところを何度か見た事がある。あんな眉目秀麗な顔、一度見れば自然と頭に焼き付く。
だけど……先輩があんな風に緩んだ顔をしてるのは初めて見た。
僕と一緒に会話をする時、ほんの少しだけ頬っぺたを赤くして終始口角が上がってる事には違いない。それでも、今みたく心底安堵しきった笑顔は見た事が、ない。



「…………………」



何で、だろう。
あの人を引き止めたくなった。
腕を掴んで、こっちを見て、違う誰かじゃない僕と話しをして欲しくなった。僕にもその顔を向けて欲しいと思った。



『どうした木ノ瀬』

「え…?ああ、宮地先輩、居たんですか?」

『俺が食堂に居たら可笑しいとでも言いたそうだな』

「嫌だな、幾ら何でも僕だってそん事言いませんよ」

『そうか。それよりボーッとしてた様だがどうかしたのか?』

「別に何でもありません」

『それならさっさと教室へ戻れ。出入口に立ってたら通行の邪魔になる』

「…そうですね。もう食事は済ませたので戻ります。失礼します」

『ああ』



“別に何でもありません”
宮地先輩にそう言った筈なのに廊下を出てから振り返ってしまったのは…

見えなくなったあの人を探す為だった。
僕は何で、先輩を探してしまったんだろう。




(20110802)



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