幾らトリップ経験をしたアタシでも時の流れに抗うことは出来なくて、翌日の朝日が眼を刺激した。
眩しくて眼を開けたくなくて、今からでも西へ沈んでくれたら昨日に戻れるんじゃないかって…既に無くなってた温もりを嘆くみたく布団を抱いた。
『名前ちゃん、居てる?』
「あ、蔵…」
『おはよう』
もう逢えないと思ってた。だけど蔵は襖を開けて目の前に居る。いつもと同じ笑顔で頭を撫でてくれる。
逢えて良かった、安堵する気持ちはいっぱいにあるのにそれだけで心を埋められてるかと言えばそうじゃなくて、カシャカシャと響く甲冑の音が心臓をズキズキ痛苦を促せた。
蔵、本当に行っちゃうの…?
『起きたばっかりやのにごめんな、今しかもう時間取られへんから…』
「もう、行くの?」
『ん…』
何度も頭を往復して撫でられると名残惜しくなる。やっぱり離れたくないって。
「く、蔵」
『うん?』
「アタシも、一緒に連れてって…!」
『え?』
「アタシも行きたい、何の力にもなれないけど西軍の1人として戦わせて欲しいの…!」
『あかん』
「でも、」
『その気持ちだけで十分やから』
「蔵……」
違うよ、そうじゃない。アタシが戦いたいのは西軍の為じゃなくて蔵の傍に居たいだけ。
でもきっと、声にしなくたって蔵は分かってるんだろうね…?
『あんな名前ちゃん。最後に約束して欲しいねん』
「、約束?」
『うん。ずっと笑ってて』
「………………」
『一人が苦しい思いをするんやない、皆が皆楽しく笑ってくれる世の中になる事が秀吉様を継ぐ俺の意志やから。名前ちゃんには一番、そうしてて欲しいんやんか』
アタシの頬っぺたに優しさがぶつかる様な柔らかい口唇が当たる。音も無く触れて音も無く離れるその行為は一瞬だけ時間を止めてくれた気がして、それでいて双曲線を描く様に蔵が近く、遠く、感じた。
『ほな、行って来る』
「あ、蔵!」
『、』
「えっと…絶対、無事に帰って来てね…?」
『――…………』
返事をする訳じゃなく、頷く訳でも無く、ただ柔軟に笑うと左手を上げて部屋を出て行った。官能的にも見えた笑顔は切なくて、綺麗で、脳裏に焼き付ければ暫くそこから一歩も動けなかった。
陽が傾き始めても何をする気にもなれなくてじっと、蔵の笑顔と蔵の口唇を繰り返し思い出すだけ。
ねぇ、もう関ケ原に着いた?
今は本陣で皆と緊張を噛み締めてるくらい?アタシの写真、見て、くれてる…?集中しなきゃいけないけど、アタシの事忘れてない?
蔵と過ごした時間は凄く色濃くて、18年生きて来た中のたった数日でしかないのにそれが全てみたいに思えるんだよ。蔵は、どれくらいアタシを占めてくれてる?それこそ我儘だけど、アタシと同じだったら良いな……、
「……蔵、アタシ、笑えないよ」
こんな広い部屋に1人きり、此処には蔵との思い出しか存在しないのに蔵は居ないんだよ?笑える筈が無い、じゃん。感じるのは孤独と寂しさと哀しさと…感傷的にしかなれない。
「それで笑えなんて、結構残酷な事言うよね…」
蔵との思い出を辿る様に鞄を漁ってガムを取り出す。口にする気にはなれないけど、見てるだけでそこに蔵が居るみたいで…。初めてガムを食べた蔵は子供の顔で笑ってたよね、間者だって疑うあの人はガム食べなかったのに最初から蔵は、アタシを信じてくれた。
「、何、これ…」
有難う、思いを込めてぎゅっとガムを抱き締めた後鞄へ戻すと見慣れない白い紙がクシャッと音を立てる。
4つに折り畳まれたソレを開けると“名前へ”という文字が見えて、
「…………っ、」
堪えてたモノが一滴流れたのを境にボロボロ零れ落ちて来た。
蔵、やっぱり約束は守れない。今すぐ逢いに行くからアタシを叱って下さい。
(20100511)
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