02.
お疲れ、そんな声が飛び交う夕まずめのグラウンド、部室へ戻れば課題プリントを教室に置きっ放しだったことを思い出す。
はぁ、小さく息を吐き出して頭をカリカリわざとらしく掻いたら、ジャージのまま鞄を手に職員室へ走る。
「……あれ?」
7時ともなれば当然教室は鍵が閉まってるだろうと見越しての回り道だったのに職員室にはクラスの鍵が返却されていなかった。こんな時間まで誰が残ってるんだよ、今度は無意識に溜息をひとつ溢して職員室を後にする。
まさか誰か持って帰ったんじゃ、なんて嫌な予感を噛み締めながら教室へ行くと、ドアが空きっ放しになってるのが見えて。あー良かった、もう一度、次こそ安堵の溜息を吐き出せばそれから 一瞬、酸素を吸う事は出来なかった。
「…………まじですか、」
教室の中はオレンジと紫の光りを纏って、それはひとりの為に存在する照明みたいな感覚。
まさか、ずっと想って来た彼女が此処に居るなんて思いもしなかった。机と自分の腕を枕に、スースーと寝息を立てる彼女は神秘的ながらもやっぱり可愛い。
再度頭をカリカリ掻いて、溜息も溢して、音を立てない様に彼女の前に座る。
「……名前ちゃーん」
『……………………』
「起きないの?」
『……………………』
返事がない事に寂しさを感じながら、だけどそれに相反して口角が上がる。
たまに授業中フラフラ頭が揺れてるところを見た事はあったけど、俺の席は彼女より後ろだったから寝顔を拝見したのは初めてで。穏やか過ぎるその寝顔が愛しくなった。
「まあ、ちょっと無防備過ぎる気がしないでもないけどな」
もしこれが別の男だったら襲われちゃってたかもしれないし。
そんな事あったら、俺がその男をシバクけど。
「それに、そろそろ帰らないとお兄さん達が心配するんじゃないのかー?」
もし怒られる様な事があったらその時は俺が庇うけど。
「名前ちゃーん?」
こうして何度も話し掛けてしまうのはやっぱり返事が無いのが寂しいからなのか。でも返事が無くとも、独り言だったとしても満足感はどこかにある。
ただ、時間が時間なだけに起こしてあげるべきだなんて意外と冷静な自分も居て。
名残惜しくないと言えば嘘になるけど、僅かな時間だけでも彼女に会えて、彼女の緩い顔を見せて貰って、それだけで幸せだよなぁ、そう噛み締めて彼女の手の甲をトントンと人差し指で突つく。
『……ん、』
「おはよう。そろそろ起きよう、かーーーーー」
彼女は顔を上げて瞠若する、そして今の時刻と俺が居る事に更に驚愕して、それを見て俺も笑っちまうんだろうなって、そう思ってたのに。
へらっ、
緩い顔からもっと緩い笑顔を見せた彼女は眼を開けないで俺の手を掴む。きゅっと人差し指を握ったら、また規則正しい寝息が教室に響いた。
「ーーー、それ、狡いよなぁ…」
誰がどう考えても可愛いじゃん。
誰がどう見ても可愛いじゃん。
人差し指から伝わる体温は暖かくて、自分のゴツゴツした手とは対称的な柔らかさを教えてくれる。
あの笑顔も、この寝顔も手も、全部が卑怯だと思う。
「名前ちゃん、ひとつ言っていい?」
『……………………』
「これさ、俺じゃなかったら絶対襲われてるからな?」
『……………………』
「ホント天然魔性、そういうの俺だけにしといてくれたら良いのに、」
『ん…』
「、」
『……ささ、く、ら、君…………』
「ーーーーーーーー」
途端、彼女が返事をするかの様に俺を呼んだ。
他の誰でもない、自分の名前を呼んでくれた。
寝てるくせに俺が分かるんだ?それとも俺の夢でも見てる?
「ごめん。前言撤回」
そう言って俺は彼女の顔に近付く。
襲わない、なんてやっぱ無理だって。
寝言で無意識なのに名前呼ばれるって、理性だって飛ぶに決まってんじゃん。
これは彼女が可愛過ぎる、せい。
「…………賭けようか、」
次に俺の名前を呼ぶのは寝言なのか、起きてからなのか。
どちらかは必然だろう2択を前に、俺はそれを合図に彼女を奪ってやろうと思う。
その距離、残り3センチ。
(んん……、あれ、佐々倉くーー、っ!?)
(………………ご馳走さまでした)
(え、ちょ、ええ……!?)
(やっぱ起きてからだよなぁ、その方が良いんだけどさ)
(は、何が、っていうか何で佐々倉君が居るの!?今何が起きたのー!?)
(うんうん、可愛いと思うよその反応)
(か、かかかかわ……!?)
(じゃあ帰ろうか)
(ちょ、全部無視して何言ーー、て、きゃー!!7時過ぎてる!!)
(大丈夫大丈夫送るから)
(そういう問題じゃないってば!え、いや、多分、)
(あはははは)
(もう!訳分かんない…………)
(20130803)
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